2017年8月7日月曜日

福島・ドイツ高校生交流プロジェクト7日目 広島原爆慰霊 ハノーファー

福島の高校生訪独7日目は平和を考える日となりました。
この日、訪問しているハノーファー市は広島市と姉妹都市で、毎年、開催されている、8月6日の原爆慰霊の式典に参列した。
ハノーファー在住の田口さんを通じて、貴重な1日を過ごすことになります。
ハノーファー市長と牧師さんのスピーチで始まった式典に、高校生たちは浴衣姿や制服で参加。
平和について考える時間となった。
その後、田口さんをはじめとした、在ハノーファーの日本人コミュニティーの方々やその知人に市内を案内してもらいました。
まずは、市役所に行ったのですが、その向かいの大きなホテルが、いまハノーファーでの難民の受け入れ宿泊所になっていました。
市役所では、世界でも珍しい、斜めにあがるエレベーターがあり、屋上の展望台まで有料ですが、市長の計らいで全員無料にしていただきました。
その後の市内観光では、市内のいたるところにある芸術家たちのオブジェやつまづき石などの説明を受けながらの観光をしました。
つまづき石は、第2次大戦の時にユダヤ人が住んでいて、ナチスによって強制収用された人たちの家の前に設置されています。
5cm×5cmくらいの石には、当時住んでいたユダヤ人の名前、その人が強制収用された日などが刻まれています。
軽んじられている一人一人の命を21世紀になっても、22世紀になっても忘れない大きな決意がみうけられました。
私たち日本人の多くに、第2次大戦の時に奪った命や重みを考える意識すらないのが、私自身、あらためて反省しました。
二日続けての長距離移動と洗濯がなかなか出来ていなかったので、この日は早めに宿に戻り、体を休めつつ洗濯などを済ませていました。
夕方からの広島を考えるセレモニーには2人の高校生が参加したので、ブログで紹介している高校生の感想にちょっと違いがあると思うので、ぜひごらんください。
アースウォーカーズ代表理事:小玉直也




福島県立安積高校1年 渡部めぐ 広島式典参列・市内観光

今日は朝から教会へ行って広島の追悼式に参加しました。
ハノーファーは広島市と姉妹提供しているそうです。

原爆を落としたのはドイツではなくアメリカであるのに、72年経って今も遠く離れたドイツから祈りを捧げられているのはありがたいことだと思いました。
戦争と言う同じ失敗を繰り返繰り返さないために平和を祈ることが大切だと改めて実感しました。

午後は市街地の観光してドイツの歴史に触れました。
ナチスの頃の虐殺されたユダヤ人の名前掘ったモニュメントやつまずき石は、1日1日過ぎゆく中で、過去を思い出し過ちを反省する姿勢と、未来に向けて平和の大切さを訴える姿勢があると思いました。

広島の原爆ドームも同じだと思います。戦争やヒトラーの虐殺は人々にとって辛い過去だけれども、その過去は私たちに平和がどんなに大切であるかを教えてくれています。

日本ではこれから戦争が起こらないと言い切れません。
だから私は原爆10日から72年経った今日、もう一度平和について一人一人が考える必要があると思います。

また、ナチスヒトラーについて知らないことがたくさんあるしそれについてもう一度詳しく知りたいと思ったので家にある本をもう一度読みたいです。




尚志高等学校1年 八木沢美咲 訪問先:ハノーファー

今日はまず広島原爆式典に出席しました。

日本の文化の1つである茶道を見たり、市長さんの原爆に対する思いなどが雰囲気で聞き取れてよかったです。

ハノーファーの観光では新市役所にまず行きました。
少し傾いている変わったエレベーターでしたが乗っていてテンションも上がって楽しかったです。
上から見た景色はすばらしくて風は結構あって寒かったのですが、いい写真も撮れたのでよかったです。

また頂上から1階ずつ下へ降りるとその階によって見える景色の雰囲気など変わるので、おもしろかっです。

お昼は近くの屋台でソーセージとポテトを食べました。
ソーセージはやはりジューしーでボリューミーで食べ応えがあってお腹にもすぐたまりました。

そのあとはさまざまな場所を解説とともに観光しました。
道に埋められているつまづき石の意味合いなど、興味をそそられるような話をたくさん聞くことができ勉強になりました。
今日は貴重な体験をたくさんできてよかったです。




学法福島高校 2年 緑川 果琳 訪問先 教会(ハノーファー)、市役所

今日は私たち日本人にとって特別であり大切な1日です。
8月6日広島に原爆が投下され多くの人々が命を失いました。この事はいつまでも忘れてはいけない事だと思います。

今日の朝、ハノーファーの教会で市長が広島についてのお話をされていました。ドイツ語だったので内容理解ができず残念でしたが、ドイツからみて、日本は他の国にすぎないのになぜこのような事をしてくれるのかがすごく疑問でした。

しかし市長の方はドイツと日本は友好関係があり、日本で起きた大きなことを忘れないようにし平和を維持していきたいという思いがありやっていると直後に気付きました。

それは平和の鐘を鳴らした事、千羽づるやお茶をお供えした事からわかりました。
セレモニーが終わると田口さんが教会の下の白線について説明してくださいました。それは、広島に原爆が投下された8時15分の教会の影をなぞった線でした。
そのことを知った時とても感銘を受けました。

セレモニーが終わると市内観光をしました。
始めに、市役所に行きハノーファーの歴史について学びました。戦争後でも市民や政府が諦めずに復興をしたことがわかりました。

また街の様々なところにつまずき石というプレートがありました。これにはナチス政権の時に様々な理由によって虐殺されてしまった人の名前、どのように虐殺されてしまったか、捕まった日、虐殺された日が彫られていました。

また、殺されてしまった人々の名前などが書いてある石碑には人と人とが向き合える場所があり、戦争について、当時の悲惨な事件について、将来について話し合える場所になっていました。

私がこの場所を見た時言葉にどう表せばいいのかわからなくなってしまいました。たくさんの人々の名前が彫られていて、悲しいとか辛いといった感情の言葉だけで済まされるような出来事ではなかったからです。

大量虐殺という決して地球上の生物に使ってはいけない言葉を現代にあったら、私だったら、毎日1日が長く感じてしまうと思います。家族を一瞬でも見なくなってしまうと震えだすと思います。

とても貴重な話を聞けた後、広島・長崎の話を市役所で聞きました。長崎に原爆が投下され実際に炎で焼けただれてしまった方の話が書いてある紙芝居を見ました。

その後実際に先祖の方が犠牲になってしまった方の話を聞きました。ナチス政権の話の時同様、言葉に表せませんでした。

自分自身が勉強不足で知らなかった事の大きさ、重大さ。目の前にいる方の先祖の方が亡くなったと聞いた時のなんとも言えない心情。
一つ一つが自分の中での整理がつきませんでした。私はいつも自分のこととして考えてしまいます。

その時自分のこととして考えた時、私の中でどっと何かが重みとして来ました。このようなことをずっと考えてしまった1日で、いつも以上に疲れが大きかったように思います。

私たちは本当に幸せな時代、地域に生まれた数少ない人間だと思っています。家族や友達の顔が当たり前のように毎日見れ、1日3食しっかり食べることができ、住まいがあり、道を普通に歩くことができ、学校に通うことが出来る。夢や目標も自由に持てる。

そんな幸せな暮らしがある私は幸せです。戦争や平和について1日かけて学びそう思いました。これからこの幸せな生活1日1日を大切にしていきたいです。




福島県あさか開成高校 2年 鈴木ひなた 7日目:広島原爆式典、市内観光

今日は広島原爆式典に参加しました。まず、私は原爆と長崎と直接的に関わっていないドイツが広島と長崎に落とされた原爆の死者や未来へ伝えるためにこのような式典が行われていることに嬉しく思いました。

また、その場所では広島に原爆が落とされた時の8月6日、8時15日の影を線で表しおり、その日の状況ををはっきりと伝えようとしているところがすごいなと思いました。

改めて原爆について考えさせられる機会になりました。
午後は、ハノーファーの市内観光をしました。最初は、ハノーファーの市役所に行き斜めに上がるエレベーターに乗り景色を見たり、ハノーファーの歴史について学ぶことができました。

市内観光では木組みの家を見ました。また、人が連れ去られた日連れ去られた人の名前、生きていた日が描かれたものがありました。また、殺されたユダヤ人の名前が彫られてある置物がありました。

以上のことからハノーファー市民が後世に伝えるためにこのような物を作っていることに感銘を受けました。このようなことを作ることで意識を変えることができると思いました。




桜の聖母学院高等学校 一年 伊藤光雪 7日目 ハノーファー

今日は朝起きてすぐ浴衣を着たので、息苦しかったです。私は特に浴衣がきつかったので、朝食を食べるのが大変でした。朝食後、直ちに向かったのは教会でした。

広島から遠く離れたこの地で、ミサが行われていることにただただ感謝です。千羽鶴やお茶の披露など、たくさんの日本文化が演じられていて、きっと亡くなった方々も安らかに眠っていると思います。

その後、市役所に向かいました。あんなに立派で壮大な市役所は初めて見ました。ハノーファーの町がうつり変わる様子を見て行く上で、戦争の影響力を改めて感じました。人の手で作り出したものを、人の手で壊してしまったのは、なんの利益もないのになと思いました。

ハノーファーの町を散策していると、街のいたるところにモダンと伝統の融合が見られました。特に建物について、現代風な家と昔の家があって、それが違和感なく存在していたのが、一番驚いていたことです。

また、殺されたユダヤ人の方々の名前が全て書いてあるモニュメントを見て、自分たちの過去に対峙している姿勢が日本には、まだ少ないなと思いました。

過去を過去のままにせず、過去を今にも生かす。そうすれば、日本も大きく成長できると思います。

7日目を終えて、早くも一週間が過ぎていたことに驚きました。ドイツという国が、人々がどのようなものか、だんだん慣れてきました。これからはいい意味で、ドイツの悪い面も見て行きたいです。




8月6日 長島美侑 福島高校1年 ハノーファー

広島原爆式典では、市長さんのスピーチを聞いて追悼をしました。お茶を日本の方がたてていました。部屋の入りから出るまで作法に従って礼儀正しくこなされていました。

お茶道具をそっと扱う姿が日本の女性の慎ましさを感じました。鶴を供えてきました。新市役所内の市街地パノラマをみました。

年代ごとに街の様子が全く違いました1689年は街の周りを柵で囲み、川を掘って外堀の様になっていました。1939年は1969年に比べて家屋の数が増え、市として大きくなっていました。

1945年は戦後の様子で砂埃を被った街の様子でした。市役所は少し崩れただけでした。現在は道が張り巡らされ公共施設が増えていました。

旧市役所の役目は結婚したときなどに戸籍関連の事務を担当するのみだということを初めて知りました。つまづき石は犠牲者を慰る気持ちが込められていて素敵な考えだなと思いました。

犠牲者の名を彫ったモニュメントの上の部分が椅子と椅子が向かい合っている様な形をしていて考えさせられるなと思いました。




福島県立安積高校 1年 岩崎有稀   ハノーファー

今日は、朝早くに教会へ移動して、原爆についての式典に参加しました。その後市庁舎や市内を観光して帰るという流れでした。

教会での原爆に関する式典では、ハノーファー市長や司祭さんのお話を通訳して聞かせてもらいました。二人とも原爆投下に対しての悲しみと、繰り返してはいけないということをいっていました。

市庁舎にはとても珍しい斜めに動くエレベーターがありました。これはとても珍しくヨーロッパ全体でも数少ないそうです。

市内観光では、市内の至るところにアートがあって大変興味深かったです。どれも、理解するのが大変でしたが、独特な雰囲気を感じることができました。

そして街中にはドイツがナチス時代に殺した人のことを残すためのメッセージがたくさん残っていました。

私はこのようなものを見て、、ドイツからはプラスの面だけでなく、マイナスの面からの、たくさん学ぶべきものがあると思いました。




福島県立橘高校 1年 吉田美咲 訪問先:ハノーファー広島の式典 

 今日は広島の式典に参加しました。教会に行くと聞いていたのでてっきり屋内での式典なんだろうと思っていました。着いてみたら天井がなくて壁だけの教会でした。

この教会の天井は第二次世界大戦で落ちたものだと聞きました。戦争によって壊れたものをそのまま取っておくことで戦争の悲惨さを伝えようとしているドイツの姿勢は素晴らしいと思いました。

そしてそんな戦争の悲惨さを伝えてくれる教会で原爆の犠牲者を追悼する式典を行なうことでよりメッセージを強く伝えられると思いました。

 市内散策ではハノーファーのきれいな街並みを楽しめました。街の中に芸術作品が数多く設置されていました。生活の中に芸術があるなんて日本では考えられないことだと思いました。

また第二次世界大戦のときに亡くなったユダヤ人の人々などの名前が書いてある「つまづき石」や大きなモニュメントも見てきました。

自分達の先祖がしたことを忘れないで伝え続けようとしているのはすごいと思いました。

ドイツの嫌な過去を覚え続けようとすることは日本でもやっていきたいと思いました。

でも街の中にタバコの吸殻などのゴミがたくさん落ちていることや、ゴミ箱が溢れかえっていることなどは日本では見たことがなかったので少しびっくりしました。

このような部分は日本のいい所だと思ったのでそこは続けて行けるようにしたいです。


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