2013年9月16日月曜日

大阪報告会 in 吹田


 大阪府吹田市勤労センターで報告会を行いました。台風の影響で来れない方がいたのが残念ですが、15人もの方が参加していただきました。報告会ではメモをとる人が多く、真剣に福島の現状などを聞かれていました。

今回もSkypeでは、渡辺さんに話しをしていただきました。また、僕も福島で見てきたことなどの話しをさせていただきました。








まだまだ、うまく話しができていないので、もっと頑張っていきたいです。


文責:須見 

2013年9月15日日曜日

大阪報告会

 大阪市阿倍野集会所で、報告会を行いました。雨が降っていたにも関わらず、12名もの人たちが参加していただきました。今回も島根の報告会と同様に渡辺さんにSkypeで震災当時の体験などを語っていただきました。話し終わった後の質問では、「除染したあとはどのようにしているのですか?」など、現在の福島についての質問が多くされました。
渡辺さんのお話の後に、僕も話しをさせていたのですが、もっと伝わりやすい話しかたを練習していかなくてはいけないなと感じました。もっと数をこなしてより伝わるように努力していきたいです。最後に今回、企画していただいた小林さん、大変ありがとうございました。

文責:須見

2013年9月12日木曜日

島根報告会 in 出雲


 今日は、出雲市総合ボランティアセンターで報告会をおこないました。平日でしたが35名というたくさんの方々が足を運んでいただきました。今回の報告会も渡辺さんに震災当時の話しなどを中心に話していただきました。参加された方は意識が高く、渡辺さんにさまざまな質問をして、より多くの事を知りたいという気持ちが伝わってきました。









この度は、島根での報告会を企画していただいた大谷さん、ありがとうございました。島根での今後の活動に期待しております。

文責:須見

島根報告会 in 松江

 午前中は島根県にある開星高校で2年生、約100人に対して報告会を行い、夕方からは雑賀公民館で30人の高校生から年配の方々まで幅広い世代の人たち対しての報告会を行いました。









報告会では、Skypeで福島県郡山市にお住まいの渡辺さんに震災当時の話しなどを中心に話しをしていただきました。参加者の人たちは福島の人の話しを聞けてよかったとのアンケートもいただけました。


また、高校生達にもアンケートを書いていただいたのですが、「福島のことをたくさん知れてよかったし、福島のためにできることがあれば、何かしたいと思った。」、「学校の友達、先生達にも今日のことを伝えてあげたいです」など素晴らしい感想が返ってきました。

文責:須見

東北ボランティア8日目 9月9日

 今日の午前中は、二本松の佐々木さんにお借りしていた線量計を返しにいきました。たまたま、全国から送られてきた野菜が届いていたので荷物運びの手伝いをしました。久しぶりの力仕事だったのでちょっと疲れましたが、少しでも役にたちたいなという気持ちがあったので、頑張る事が出来ました。









その後、アルゴ幼稚舎保育園に貝殻を届けてきました。貝殻を届けたときの子どもたちの笑顔がすごくキラキラしていて届けてよかったなと感じました。
今日で、福島での活動が終わりになります。さまざまな人から話しを聞いたり、実際にまだまだ復興していない場所に行ったりと衝撃的な毎日でした。ここで感じたこと見たことをこれから伝えていきたいなと考えています。








最後に、福島で出会った皆様本当にありがとうございました。貴方がたの強さ・優しさ・苦労に触れることでき、自分の悩みのちっぽけさに気がつくことができたし、感謝の気持ちの大切さを改めて知ることができました。今後の些細なことでもありがとうと言える大人になっていきたいです。

文責:須見

2013年9月11日水曜日

東北ボランティア7日目 9月8日

9月8日(日)福島ボランティア活動報告7



今日の午前中は、須賀川市にある「銀河のほとりというところにいきました。


そこで、話しをうかがってきました。



そこでは、「親が不安になってしまうと子どもにまで不安になってしまう」ということなど、さまざまな話しを聞きました。

これまで、いろいろな人と話してきて思ったのが本当にこの福島の問題は難しいなと感じました

安倍総理はオリンピックのコメントで「見事に復興を成し遂げた日本」と言っていましたが、
全然そうは思いません。

東京オリンピック開催決定!!いま、素直に喜べません。

すべての問題が終わってから復興したと言ってもらいたいものです


午後からは、宮崎に来んねキャンプで参加したお母さんたち・福島大学の神さんと矢吹さんで昼ごはんを食べました。

基本的にお母さんたちについてきた子どもたちと遊んでいました(笑)昨日もですが、普段子どもたちとふれあう機会があまりないので、子どもたちの笑顔を見るとすごく心が和みます。




この子たちが笑顔で暮らしていくことを心から願っております。
福島での活動もあと、明日だけになりました。
福島でたくさんのことを学び、感じた事を今後のアースウォーカーズでの活動や人生の糧にして頑張っていきたいと考えています。


福島で出会った皆様、本当にありがとうございました。


文責:須見


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私は今日が最終日です。

午前中、「銀河のほとり」という自然食レストランに行き、お話を伺いました。

ここは、震災の影響が比較的少なく、高速も近くということで、
震災直後に支援物資が全国から集まった場所で、
名前は聞いたことがありました。

アースウォーカーズの理事の宮崎で自然食レストラン ジールを経営されている福田さんのこともご存知ということで、話が盛り上がりました。

宮崎からも沢山の物資がここに届いたとのこと。

ここには、食料の放射線を計測する機械がありました。
ここで取れるお野菜には、今は殆ど放射能は検出されないとのこと。

とれたての”きゅうり”を丸かじりで、安心して美味しく頂きました☆

宮崎のジールなどでは、堂々と放射能の危険性や、
放射能対策になる食事のことなどを話すことができていますが、
同じような自然食レストランでも、場所が福島だと、やっぱり、全く状況は違うようです。

耳を塞ぎたい人ばかりで、商売はし難くなってしまったとのこと。

でも、須賀川市は比較的線量の低い場所だし、ここでがんばる!
っておっしゃっていました。
とても、力強いなと思いました。


午後からは、2月に行った「福島の子どもたち、宮崎に来んねキャンプ!」に参加された2組の親子と再開し、ランチを一緒にしました♪

移動中、除染活動をしている前を通りかかりました。
この除染活動をしている後ろの会社でパパが働いているんだ~
と教えていただきました。

こんなに身近な場所で、いまだ除染活動が行われています。

引率で参加してくれた福島大学の神くんと矢吹くんとも再開し、
楽しいランチになりました☆

ランチ後、家が近くということで、もうひと組の子のお家に突撃訪問しました!



ここのお宅の子は、もう小学生なので、来年の参加はできないね~
でも、弟がいるから、次は弟が宮崎に行く番だね!
ってもりあがりました☆

とにかく、みんな元気に、少しおねぇちゃんに、おにぃちゃんになっていて、
とても嬉しかったです!!

これからも元気でね~~☆
また逢おうね~~~♪



夕方、福島を出発し、次の日の朝、宮崎に戻ってきました。
鹿児島空港に置いていた車が灰だらけになっていましたぁ~(>。<;)

まぁ放射能ではないので、かわいいもんですが…


以上、あこロジ~☆のボランティア報告でした。
読んでいただいてありがとうございました。



小玉代表と宮大3年のこうすけくんは、この後、島根、大阪と報告会ツアーです。
9/11 島根県松江市
9/12 島根県出雲市
9/15 大阪府阿倍野区
9/16 大阪府吹田市

お近くの皆さん、ぜひお話を聞きに来てください!!
詳しくはHP、もしくはお問い合わせください。


文責:あこロジ〜☆

2013年9月10日火曜日

東北ボランティア6日目 9月7日


9月7日(土)福島ボランティア活動報告6


今日は、7時15分に南相馬市でお世話になった宿泊所を出て、福島駅へ向かいました。

そこで、移動保育をおこなっている代表の上国料さんと合流し、移動保育のボランティアに参加させてもらいました。

バスで福島駅から宮城の「国立みちのく杜湖畔公園」という所に行ってきました。
移動中のバスのなかでは子どもたちの楽しみという雰囲気が感じられ、僕もちょっとうきうきしていました。

到着すると、少し雨が降っていましたが、子どもたちは明るい笑顔で落ち葉や花などを触っていました。



上国料さんと話しをする機会があったので、話しをさせていただきました。
震災当時は放射能の不安で外遊びをさせてあげれなかったらしいですが、最近ではその不安も和らぎ始めてきていると聞き、よかったという思いでした。

しかし、子どもたちと歩いていると「これ触っていい?」と聞かれて、まだ触れちゃいけないものがあるんだなと思いました。
子どもたちの不安を和らげることができる移動保育はぜひ、つづけていってほしいと思いました。


移動保育終了後、福島大学の神さんと晩御飯を食べにいきました。
神さんは以前から小玉さんの講演会のときに何度かskypeで話していただいていたので、
有名人にあった気分でした。

深くお話はできませんでしたが、すごく真面目で素敵な人という印象を受けました。
すこしでも協力できることがあれば、ぜひ手伝わさせていただきたいです。


また、梨をつくっている農家さんの家に行き、話をしていただきました。

話しを聞いていて一番印象に残った言葉は
「日本に原子力発電がなくなっても、福島県に対する差別はなくならない」
という言葉でした。

話しによると少年野球の全国大会で福島のチームが入った後の水はぬいてくれと他県の保護者の人方々に言われたり、福島の野菜を出荷するだけで加害者呼ばわりされるたりといろいろと差別を受けていると聞きました。

小玉さんの講演会で、このような話しをしていただいたことがあったのですが、
福島にきて実際の農家さんからこの話しを聞くとさらに胸が痛くなりました。

いつ終わるかわからない戦いがここにはあるということ、

それを忘れず生きていきたいと思います。

文責:須見


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今日は気仙沼を早朝に出発し、福島で小玉、須見と合流し
移動保育プロジェクト」の”ちびっこ遠足隊”に参加させて頂きました。


”ちびっこ遠足隊”とは、毎週土曜日に福島の子ども達を、宮城県の国営みちのく湖畔公園に遠足に行もので、
毎回、応募が多数あり、参加者は抽選で決められるとこのと。
それだけ、小さなお子さんを少しでも線量の低い場所で遊ばせたいというお母さん達がいるんだなぁと思いました。



公園に行く途中の、高速のパーキングエリアのトイレにこんな張り紙がありました!


「支援者の皆様へ
 ありがとうございます
      東北より」

なんだか暖かい気持ちになりました。
こちらこそありがとうございます☆

公園では、子ども達とた〜くさん遊びました♪
この子たちも、どの子たちも、み〜んな元気に育って欲しいなぁ〜
と思います☆

夜、「福島未来塾すばる」の大内さんを訪ねました。
大内さんは、果樹園もされていて、梨や桃を育てていらっしゃいます。
育てた梨や桃は、しっかり検査をして、今年も0ベクレルだったと笑顔で仰っていましたが、
福島で農業ををするということは、出荷をする前に、検査の為にお金も時間もかけなければいけない現実があります。

そして、よく、脱原発の運動をする人達から”殺人者”扱いをされるそうです。

悪いのは農家さんではなく、東電や政府なのに…
農家さんは普通ならしなくてもいい苦労や心配をしながら育てて、
検査までしているのに…

そんな言われ方をしてしまう…
とてもその痛みの全ては分かりませんが、悲しいことだと思います。


福島の問題は、本当に複雑で難しい。。。
今回、福島に来て改めて実感しました。

正直自分の答えは見つかっていません。

福島を危険だという事で、傷つく人もいる。。
安全だという事で、傷つく人もいる。。



文責:あこロジ〜☆

2013年9月7日土曜日

東北ボランティア5日目 9月6日

9月6日(金)福島ボランティア活動報告5

今日は、午前中は浪江町の海の近い所を中心に見にいきました。
4日の見学でも衝撃を受けましたが、そのとき以上の衝撃を受けました。
流された船がそのままになっていたり、津波で流された家の土台だけが残っていたりと
「ここで暮らせる様になるのは、今から何年後になるんだろう?」と純粋に思いました。

オリンピックで国を盛り上げたり、経済を活性化させて未来を良くしていきたいという思いは分かりますが、原発の問題はいまだに解決されていないし、全然復興していないところもある。
それを解決せずにして日本全体の明るい未来があるとは思えません。
今、悲しみ苦しむ人がいるならいま助けなくちゃいけないと僕はそう思います。

午後からは、足湯のボランティアをしてきました。
1対1で、10分から15分ぐらい足湯をしながら、手のマッサージをして、
おばあちゃんやおじいちゃんと話しをしていたのですが、ある1人のおばちゃんが
「仮設はせまい。」とぼそっと僕に言ってくれました。

まわりの人たちも同じ思いをしているから普段はそんなこと言えないのでしょうか。
僕は、その言葉が本音なんだなと思いました。
そんな本音を聞けたのは足湯でリラックスできていたからなのかもしれません。
足湯って素晴らしいと思いました。これからも、ずっとつづけていってほしいと思います。

足湯終了後、小玉さんと一緒に南相馬市鹿島区にある木音というそば屋さんのお母さんとお話をしてきました。
当時のことやその後の話しなど、さまざまなことを聞きました。

一番、聞いていて辛かったことは「南相馬市っていうだけで毛嫌いされる」ということでした。

小玉さんの講演でそのようなことを聞いていましたが、やっぱりあるんだなとすごく胸にささる思いでした。
間違った知識や情報がこんな苦しみを生んでいるんだなと感じました。
ものごとを、正しくみれて、正しい判断ができる大人になっていきたいです。

またその後、小高区にラーメン屋を経営していた高木さんという人の話しを聞いてきました。
当時、どれくらいまで水がきていたのかなど、またここでも、さまざまなことを聞きました。
話しを聞いていると突然、
「あれ、ここにレジあったのにな。盗まれたか、多いんだよな」
といいました。

盗んだ人が、どういう心境だったのかわかりませんが、かなり悲しい気持ちになりました。
これ以上、悲しませて何になるんやろ・・・・

文責:須見


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○●気仙沼ボランティア3日目●○

今日は、水梨コミュニティー仮設住宅に行きました。
ここも2年前に来た所で、時計を寄付させて頂いたところです。
今もしっかり動いていました。


アースウォーカーズのHPのトップページを飾っているおばあちゃんと再会したので、
今回も記念撮影!!
なんか2年前よりもお元気になっていらっしゃるように感じました☆


そして、今日集まって下さったみなさんともパチリ♪


今日は、集会所のお茶っこ会の日で、みなさん手芸や編み物をしながら、
お茶を飲まれていました。
男性の方々は、将棋や囲碁を楽しまれていました。

なんだか、とても仲が良い雰囲気でいいなぁと思いました。

みなさんがお茶をされているところに、来週引っ越しをされる方が、挨拶にきていました。
このように、少しずつですが、仮設から出て行かれる方がいるようです。

でも、自分で土地や資金のメドがつく方達だけなので、まだまだほんの一部のようです。
行政が発表している計画では、
平成27年に宅地の整備をして、28年から建設が始まるだろうとのこと。

まだまだ時間はかかるんでしょうね〜

また、時間を作って来なければ!と思いました。


♪今日の気仙沼弁講座♪
NHKのドラマ「あまちゃん」で「じぇじぇじぇ」と言っていますが、
気仙沼では「バババ」と言うそうですよ〜♪


文責:あこロジ〜☆

2013年9月6日金曜日

東北ボランティア4日目 9月5日

9月5日(木)福島ボランティア活動報告4



今日は、8時半から14時ぐらいまで屋外でのボランティア活動を行いました。


具体的な活動内容は、

まとめられたものを燃えるものと燃えないものに分別したり、机などの家具の解体を行いました。

この地域は1年半前に入ることが許された地域で、南相馬市に1日目に案内してもらったときにも思いましたが、まだまだ全然、復興していないという印象が強かったです。


宮城や岩手ならもう暮らしていてもおかしくないのに放射能の影響で、
1年半前までは入ることさえ許されない状況、
さらにまだ昼の間だけしか入ることが許されない状況におかれている。

帰りたいが帰れない。

自分の家で暮らしたいのに暮らすことのできない人たちのことを考えると辛くなります。
また、分別しているときに人形やトロフィーなどがあるのをみて、
これがどういう思いがあるものなのか直接聞いていないのでわかりせんが、
震災がなければこれも捨てずにすんだのになと思うと家具などを解体をしていてちょっとつらかったです。

しかし、作業をはじめる前のおばあちゃんの「よろしくおねがいします。」
という言葉を思い出して、ここでこの人は生活したいと言っているのだからという理由で無心で解体作業を行いました。

作業後、綺麗になって、帰る時に「ありがとうございました。」と言っていただいた時に、
今日の作業は辛かったけどできてよかったなと感じる事が出来ました。
ただ、お手伝いをしただけやのに感謝してもらえると逆に僕の方が心を温かくなって
感謝の気持ちでいっぱいになりました。

自分で出来る事で感謝されてその感謝された心で癒されて、
人間関係って難しいですけど簡単だなって思います。
自分が悩んでいるときに、「大丈夫?」っていうだけで心温まるし、
それに対して「ありがとう」って言い返したら、言われた方も役に立てたんだなと感じると思います。そんな簡単なことで人は幸せになれるんだなと改めて思いました。
逆もあるっていうのが難しいところなんですが・・・



話しがずれましたね、戻します(笑)



作業後、ボランティアの方々と温泉に行き、その夜にボランティアの方々と今の日本の問題や歴史など

いろいろな話しをしているのを聞いていました。
すごく面白かったです。

南相馬市での活動は明日で最後なので、すこしの人でも帰りたい人の手伝いをしていきたいと思います。


文責:須見


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○●気仙沼ボランティア2日目●○

気仙沼の水梨小学校仮設住宅2日目です。
今日もみなさんとワイワイお喋りしながらマッサージをさせていただきました。

お一人20分くらいのクイックマッサージですが、
「人に触らえるのって気持ちいいんだねぇ〜」
って言ってもらえます。


わたしはおしゃべりがあまり得意ではないし、
なかなか気仙沼弁は難しいので、精神面のケアはなかなか難しいですが、
私の手からの温もりで、少しだけでも楽になって頂けたらなぁと思います。

(昨日のブログに書いた、2年前に寄付させて頂いた時計)

本日のみなさんのおしゃべりの中で印象に残った事を紹介します。

●89歳のおばあちゃんのお話
(昨日、打ち上げられた船を見に行ったという話をすると)
あの船の前に、娘さんの家があったそうです。
(娘さんの安否は聞けなかった…)
ぎっくり腰に何度もなった事があるが、震災の日もぎっくり腰になっていた。
それで、津波が来る!逃げなきゃ!と言われたけど、
「腰が痛くて動けないんです 」と言うと、見ず知らずの男性がおぶって高台に上がってくれた。
この人がいなかったら命はなかっただろう…

●もう一人のおばあちゃんのお話
震災後、不安症になってしまった。
初め呼吸が出来なくて苦しくて、救急車を呼んでもらって入院したが、何も以上は無かった。
でも、症状はおさまらなかったので、5ヶ月入院することになった。
呼吸は苦しいし、ご飯は食べれなく、お風呂にも入れなかった。
全てが不安だった。
テーブルの上に何か乗っているの、落ちてしまうのが不安で、お茶も飲めなかった。
その時は、すっかり痩せ細ってしまったけど、今はやっと元のように戻れた。

●とっても面倒見のいいおばちゃんのお話
(昨日、2年前に泥かきをした田んぼに稲がなっていて嬉しかったという話をしたら)
震災後のボランティアさんは、本当にありがたかった〜
涙がでだんだよぉ〜
家の片付けも、ボランティアをお願いしたんだけれども、
た〜くさんきてくれてね〜
自分も避難所にいたから、お菓子もお茶も出せなかった。
それなのに、ボランティアの方み〜んな、何にも言わねぇ〜で、
終わったら「じゃ〜ね」っつて帰っていくんだべ!
その後ろ姿見て、涙がでたんだよぉ〜

私が泥かきをしたのは、ほんの少しだけなので、
日本全国から、海外からも駆けつけたボランティアの方々に、
この言葉を届けてあげたいなと思いました。

そんな恩を代表して私が一心に頂くかのように、
お昼ご飯や夜ご飯まで、仮設住宅のみなさんが準備して下さるんです!!!

私は、本当にたいした事はしていないので、
申し訳ない様な思いですが、ありがたくいただきました。


写真は、準備して頂いた夜ご飯。
と〜〜〜〜〜〜っても美味しかったです☆
本当にありがとうございます!!

こんなことなら、宮崎の地鶏かなんかを持って来て、一緒に食べたかったなぁ〜
と思いました。


そして、今日はなんと!200円でお風呂に入れる大曲コミュニティーセンターに
お風呂に行きました。
高齢者は100円で入れるということで、沢山の方が入浴に来ていて、
順番待ちになるほどでした。
とってもいいお湯でした♪

そして、休憩のできる広い部屋もあったので、
「ここは震災の時は避難所になったんですか?」
と聞いてみると、
「そうだね。」
「それもだけど、ここの隣の建物は遺体安置所だったんだよ」
と教えて頂きました。

(遺体安置所になっていた建物)

私は一瞬「ぎょっ!」となりましたが、
今では、外のテニスコートでは、高校生達がテニスをしていたし、
お風呂にも沢山の方がきていて、地元の方々は暗くならずに頑張っているんだ!と
思い、その事実だけを受け止め、心の中で黙祷をしました。


気仙沼での活動は明日が最後です。
しっかりがんばります!!


文責:あこロジ〜☆

2013年9月5日木曜日

東北ボランティア3日目 9月4日

9月4日(水)福島ボランティア活動報告3

今日の午前中は、小玉さんと白山さんと一緒に福島県南相馬市の小高地区と
双葉群浪江町を車で当時のことを話してもらいながら、
現在の状況を見てまわりました。



まだ、車がそのまま放置されている所や、地震の影響で壊れてしまった家などがありました。





震災から約2年半経った今も傷跡があるのは、正直苦しい思いでした。
ここに、家族があって友達がいてみんな普通に笑顔で生活していたと考えると、
人ごとのようには思えなくなりました。

僕は、徳島でも田舎の方の出身なんですが、
この8月に帰った時、スーパーなど生まれたときからある店が閉店していて、
コンビニばかりになっていたのを見て、なんか辛いなと感じました。
それだけのことで悲しくなるのに、ここで暮らしていた人たちはどんな思いなんだろう
と考えると、すごく胸が苦しかったです。



















こんな、悲劇は繰り返して欲しくないです。


でも、四国電力は伊方原発を再稼働させたいようですね。
伊方原発は福島原発のタイプとは違うといいますが、
福島にきてみて再稼働賛成とはいえないです。


午後からは、借り上げサロンという、避難した人たちが集まる所に、お邪魔させていただきました。
他にも「元気モール」という団体さんも来ていて基本的にその人たちの手伝いとおばあちゃんたちとお話をしてきました。

お話をしていて、おばあちゃんが
前向きになれっていわれてもなかなかできないんだよ」と聞いたときは、
思い出させてしまってすいませんという気持ちになりました。
しかし、そのおばあちゃんはもう一言
「でも、一番帰ったらみんなに伝えてほしいのは、支援ありがとうございましたということ!」
その言葉を聞いたときに僕はなにも返すことばが浮かびませんでした。苦し
い思いをしたはずなのに、なんで一番伝えたいことが感謝の言葉なんだと思いました。
原発をなくしてほしいだとか、放射能の問題だとかいっぱい不安があるはずなのに、
一番伝えてほしいことが感謝の言葉とは、想像していなかったです。

また、震災当時からいままでこの人たちに何もしていないのにと思うと申し訳なさと情けない気持ちになりました。
他人の行為に感謝することそれが、どれだけ素晴らしいことか感じることのできた一日でした。

いままで僕を助けていただいたすべての人へありがとうございますって言いたい気分です。

明日は、避難指示解除準備区域での室外作業です。
すこしでも、家に帰りたい人が帰れるように頑張っていきたいです。
最後に、いままで助けていただいたすべての皆さん、ありがとうございます。

文責:須見

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○●気仙沼ボランティ1日目●○

2年ぶりに、気仙沼の水梨小学校仮設住宅にやってきました!!
2年前に来た時に自治会長をされていた菊田さんは、
現在は一般社団法人ボランティアステーションin気仙沼の代表をされていらっしゃいました。

今回、またマッサージをしに伺わせて欲しいという連絡をさせて頂いたら、
一つ返事で色々準備をして下さいました!
本当にありがたいです☆

そして、菊田さんに案内して頂き、水梨小学校の仮設住宅の集会室に行くと、
すでに住民の方々がマッサージを待っていて下さいました!!

前回させていただいた方もいて、2年前なのに覚えていて下さっていて、
とっても嬉しかったです!!

前回来た時に、集会室に時計が無いということで、
急遽、アースウォーカーズから時計を寄付させて頂いたのですが、
その時計の横に、アースウォーカーズという名前を貼って下さっていて、
前回、会わなかった方々も、
「あ〜このアースウォーカーズの方ですか〜!ありがとうねぇ〜」
って言っていただきました☆


でも、その写真を撮り忘れたので、明日写真撮ります!!!

ここの仮設住宅は、水梨小学校の校庭に建てられています。


40世帯くらいの内、5世帯の方々がお家を建てられ引っ越しをされたとのこと。
「学校の校庭なので、何年ここにいられっか、わかんねぇけど、
私は後5年くらいはいる覚悟だぁ〜」
とおっしゃっている方もいました。

町の様子などを見ても、完全復興には、まだまだまだまだ時間がかかりそうだと思いました。

とっても明るくみなさんおしゃべりされているのですが、
「変わりねぇべか?」
「まぁ〜明るくなったり、暗くなったりだべ〜」
「あはは、電気を消したり、つけたりみたいだなぁ〜」
「でも、みんな一緒さぁ〜、思い出す時もあるけど、それを我慢してんだぁ〜」

やっぱり、そんな簡単に忘れる事はできませんよね。。。
でも、こうやって明るく暮らしていらっしゃるのを見て、
こちらが勇気をもらいます。
マッサージをさせて頂いて、少しでも体か軽くなり、
これからも前向きに頑張って頂きたいなと思います。

(現自治会長さんの千葉さんと♡)

マッサージの後、前自治会長の菊田さんと現自治会長の千葉さんが、
震災当時のお話をして下さいました。

~~~~~~~~~~~

地震が起きたとき時、自分はなぜか感が働き、家には向かわなかった。
もし、家に帰っていたら、今ここにはいなかったと思う。。。

家には妻と両親がいた。
2階に大人が立って胸の高さまで、津波は来たという…
妻は本当に奇跡的に助かり、救助され病院に運ばれていた。
両親は残念ながら、瓦礫の下から遺体で見つかった。
遺体確認に行ったが、体は膨れ上がり、唇もめくれていて、全く顔は分からなかったが、
来ていた洋服で、なんとか両親だという事が分かった。

妻が病院に運ばれたという噂を聞き、駆けつけたが、もう退院していて会えなかった。
それから避難所を探しまわった。

避難所を周り「すみませ〜ん!○○(妻の名前)はここにはいませんか〜?」と言いながら、
探しまわった。

震災から4日後「すみませ〜ん!」とまだ名前を言う前に「お父さん!」
という妻の声が聞こえた。

奇跡的な再会。
本当に本当に無事でよかった。

~~~~~~

姉も奇跡的に助かった。
津波が打ち寄せたとき、家には姉と旦那さん、娘さん2人が家にいた。

外が騒がしいな!と思ったお姉さんは、玄関を開けた。
その瞬間、津波が打ち寄せた。
そのまま波に飲まれたが、奇跡的に2階の手すりに捕まり助かった。
2階から身動き取れなかったが、自衛隊に救助された。
びしょぬれだったので、2階にあった旦那さんの洋服に着替えた。

そして、無事妹さんと再会する事ができたが、
ずっと、家に帰らなきゃと言っていたそうです。

でも、家の周りは瓦礫だらけで、とても帰れなかった。
が、4/1に帰ってみると、自衛隊の方々が道を造っていてくれて、帰る事ができた。

すると、自衛隊の方々が近寄って来て、
「このお家の方ですか?」
「この家が道を塞いでいるので、片付けさせて欲しい」と言って来た。
よく見ると、家はそのまま流され、道を塞いでいた。

「でも、ここにまだ3人いるはずなんです!」
と訴え、探してもらうと、
旦那さんと娘さんのご遺体が見つかったそうです。

でも、お姉さんは旦那さんの死を受け入れられなく、
「この人は違います」とずっと言っていたそうです。


ご本人のお家は、 跡形も無く流され、
バスタブとベンキだけになっていたそうです。

今、大雨や竜巻で、日本全国、災害が相次いでいますが、
竜巻の時はバスタブやベンキに捕まればいいんだよ〜!と教えて頂きました!

災害から学ぶ!災害対策!!!



津波で海岸から500mはなれた鹿折唐桑駅付近まで流された船。
保存することも検討されたらしいが、来週から解体されることになったということで、
見に行ってきました。

本当にリアルに津波の凄まじさが分かります。
でも、本当にリアルすぎて、ここの方達は辛いだろうなと思います。

ここで、黙祷をさせていただきました。

船の周りは、土台だけになった家の跡が一面に広がっていました。

ここにどれだけのお家があったんだろう…
ここでどれだけの命が亡くなったんだろう…

でも、そんな中でも少しずつ、少しずつ復興は進んでいました。


船のすぐ前にはセブンイレブンがありました。
恐らく、土台だけになってしまったセブンイレブンのタイルの上に、
簡易的ですが、新しいセブンイレブンが出来ていました。
(写真でわかるかなぁ??)

そして、まだ少し日があったので、2年前に来た時に、田んぼの泥かきをさせて頂いた場所に行ってみました。





(2年前の泥出しをしている写真。奥にまだ流された車が残っている)


2年前の写真とアングルが違うので、分かり難いかもしれませんが、
撓わに稲が実っていました!!!
ほんの少しお手伝いをさせていただいただけですが、とってもとっても嬉しかったです☆


(再建された簡易郵便局

明日も水梨小学校の仮設住宅に行ってきます。
心と身体のケアができるようにがんばります!!

文責:あこロジ〜☆