2012年9月29日土曜日

福島ボランティア9.22

福島ボランティア活動2日目
9.22(土)

朝6時に起床した。自分は熟睡していたが、ちゃんと寝られなかったという方が思いの外多かった。イビキや物音は控えましょう。

















部屋を出たときにはもう 水汲み組が汲み終えていて、慌ててポリタンクのようなものにいれる作業を手伝った。この水は、トイレや、生活用水として使用される、飲み水ではない。

各自朝御飯をとる、私は食料を用意していなかったため、備えのカップラーメンを食べた。

7:30頃に ボランティアセンターに移動した
私は、昨晩仲良くなった西さん(仮名)に車で送っていただいた 。

早く出たため、被災した町を見て回ることになった。始めてみる被災地の景色である。基本的に草が背高く延びている景色。

水田だっただろう場所に埋まっている自販機、車、ショベルカー、消防車、看板、ぐるぐる巻きになっているガードレール、二階の窓まで割れている家、基礎しかない家屋、めくれた道路、草が生い茂っている線路、

福島市は電車も当たり前のように通っているのに、この差には驚いた。

この異様な雰囲気は実際に見ないと伝わらないと思う。

朝から色々なものを見て、ボランティアセンターへ向かった。

到着したら、まず受付を済ませ、8:30のミーティングまで待った。この間に、カッパ、ゴーグル、マスク、長靴、ゴム手袋を借りた。

時間になると、センター長が前にたち、作業の説明を行った。

簡潔に言うと、
物事を頼まれたとき
行政は 否定から入り
企業は交渉から入り
ボランティアは受け入れる

つまり 被災者の方を救えるのは、ボランティアだということ。そして怪我をすると、元を子もないので、絶対に気を付けることである。

この話のあと、作業の班分けに入る。藤さん(仮名)をリーダーとする9人体制のグループに入った。

















ここの班の活動は、草取りと聞いた。他にも 壁ぶち壊し、瓦礫撤去、草刈りなどがあった 。

作業用の荷物をトラックに積み込み、作業所に移動した。

今回の活動場所は、小高区の、敷地内に工場がある民家である。この地域は、昼は出入りできるが、夜は入ることが出来ない区域らしい。なのでこの工場は、昼の間稼働するために、ボランティア要請をしたのである。

敷地には、工場、家、旧工場の3つの建物があった。しかし、旧工場は地震の影響で屋根を残して全壊、
瓦礫も沢山出たため、ボランティアに来ていた東電の社員の方が瓦礫撤去班を担った。

私たちの班は、リーダー藤さんの指示のもと昨日、刈った草をトン袋に詰め込む作業を行った。
草をひたすら袋に積め、トラックの収集場まで運ぶ。あとは草取り。

文字に起こすとこれだけの作業だが、これを4時前まで行った。ただ黙々とやるだけでは大変なだけの作業なので、談笑しながら楽しくボランティアを行った。

藤さんが的確に目標設定を行ってくれたため、作業がやりやすかった。ちなみに私はトン袋の草踏み係。ワイン作りのブドウを足で踏む感じで大方イメージは合っていると思う。

休憩時間には、工場の方がお茶やお菓子を出してくれたり、工場見学をさせてくれた。
最後の挨拶の時には、『最近、復興で疲れているところ、皆さんの力添えでまた元気がでたので絶対に復興してみせます!!』と強く言っていただいて、涙が出そうでした。


作業が終わったら、ボランティアセンターに帰り、使った道具をきれいに洗い、帰路についた。

活動時間中にBBQをしたいね!とゆー話をしていたので、1人500円で焼き肉パーティーを開催した!

そのBBQでのやりとりだが、ご高齢の方がいた。その人は、『私はこの先長くない。だから、決死隊という団体に入り、原発の近くで活動して、死んでもいいから原発の危険性を伝えたい。』とおっしゃっていた。それに対し、私はすごく嫌だった。死んでほしくないが、覚悟を決めている人に対し何も言えなかった。

しかし、同じ藤さんグループで活動した同年代の陣さん(仮名)は違った。『そんなことして誰のためになるんですか?どうせ死ぬんだったら、もっといい人の役にたつことしましょうよ。ここでの活動を続けた方が絶対、人の役にたつでしょ!』と説得していた。その後は、専門用語が多すぎて何をいってるかよくわからなかったが、

その説得力は感動した。
同じ年なのに、私とは知識量だったり、熱意や、考えている事が高次元だった。私もこうなりたいものだ。


今夜は風呂に入りたかったので、西さんと近くのホテルの風呂を借りに行った。プレハブのような施設だった。入浴料200円。疲れた体を癒すには十分すぎた。

宿泊所に帰り、また談笑していると車が二台やって来た。一台は、明日のボランティアに来た方だったが、もう一台は、パトカーだった。
『どうされました?』と聞いたら、深夜にこの辺りを走る車は少ないので、空き巣をしに来たのではないかと疑い、着いてきたそうだ。

実際に被災地では、空き巣被害が多く、警察が沢山パトロールしている。この日だけでも六台のパトカーとすれ違った。そして、被災地に来たボランティアが交通違反でよく捕まっているそうだ。気を付けましょう。



その夜も、様々な方と話すことができ、気持ちよく10時には眠ることができた。ここに泊まるのも今日で最後だと考えるとすこしさみしかった。


つづく。

2012年9月25日火曜日

福島ボランティア9.20~21

こんにちわ!!!宮崎大学の小園翔平です。
福島ボランティア(移動日)について

インターネットでボランティアを検索したら、南相馬市ボランティアセンターのHPを見つけた。前泊可能で、無料宿泊所があるそうなので、そこまでの道のりを書こうと思います(^^)

9/20(木)
学校の実験が終わり、飛行機で宮崎から東京へ。
夜行バスで福島へ着いた。

9/21(金)
朝、福島駅に着き、
夕方に直通バスで南相馬市原ノ町駅で着いた。
・・あとあと調べてみると、東京から南相馬への直通バスもあったらしい



原町駅からは、
ボランティアセンター長直々に、迎えに来ていただいた。なかなか寡黙な方で車内は沈黙だった。

『・・・・お名前お伺いしてもよろしいですか?』と聞いたら
普通は自分から名乗るもんだとおこられた。
そりゃそうだ。



前泊する宿泊所のグリーンパークについた。















第一印象は、手作り感ある小屋だなって思った。

発電機にガソリンをいれ電気を起こす
電気 ガス 水道 通ってない地域ということを実感した。
後々知ったのだが、ここは大平洋の近くであり津波でやられていたことを知った。


センター長(忙しい方なので)は私を下ろすとすぐに帰ってしまい、よくわからないままここで一晩過ごすことになった。

分からないことは聞くしかないので、
宿泊していたベテランそうな人に聞いた

わかったことは、
10時消灯
6時起床
置いてある飲み物 インスタント食品はご自由に
朝は水汲みから始める
ということである

なるほど そーゆー所かと判断した。
滞在しているボランティアの方が 新参者にルールを伝えるようになっていた。

その日は、お風呂に入れず、
カップラーメンとシーチキンと酒を交え経験者の方と話した。

被災地を自転車で旅をしている方、仕事の合間をぬってきている方、学生 いろんな方がいた。

自転車で旅をしている方に、被災地の写真を見せていただいた。
何かが欠けている写真だ。と思った。

廃墟。多少崩れてはいるがきれいな家なのに人がいない。瓦礫の山。
街がゴーストタウンのようになってしまい、人が写っていないのだ。

『音のないホラー映画を見ている感じ』とその人は語っていた。
明日から自分はこれを見るのか と覚悟した。




その日は最終的に40人くらいの人数が宿泊された。部屋一杯に並んで寝た。
週末は人がたくさん来るらしい。

明日からの活動に不安を感じながらも
疲れた為か即寝した。

久しぶりの福島入り!

今日は、飯館村から避難している仮設住宅に行って、久々の宮崎地鶏の振るまい炊き出し「宮崎食堂」を開催してきました。
福島大学ボランティアセンターの学生らの足湯ボランティアと合流する事になり盛り上がりました。


昨年震災後から被災地に常駐し、今年の2月に過労から休暇療養していました。代表の小玉直也です。

今回、被災地で活用していた車が来月にも車検が切れてしまうので、一度宮崎に運ぶ必要がありました。
そんな中、アースウォーカーズ学生ボランティア会員の宮崎大学のショウヘイが、最後の夏休みに被災地ボランティアに駆けつけるという話しになり、それなら日程を合わせて車で帰ってこようという事になりました。

まだ、全快とはいきませんが、体調見ながらボチボチ参加している所です。

2012年9月24日月曜日

初めまして!!宮崎大学4年の小園です!

初めまして!!宮崎大学4年の小園です!

今回 前回の宮崎キャンプでのつながりで
福島大学の神くんの活動している
福島大学ボランティアセンターで
足湯ボランティア活動をしてきました!

それまでも 南相馬市にて
瓦礫撤去作業もしてきたので
近日中に詳しくアップしようと思います(^-^)/


皆様 後ご期待です!