2012年10月21日日曜日

福島県二本松の子ども達の笑顔


今回の福島支援
福島県二本松市同朋幼稚園に行って来ました!
原発事故以降2.0μSv/hを超えている園庭
晴れているにも関わらず昨年は屋内運動会

なんとか外で裸足で運動会をやりたい!との園長先生の願いを聞き、NPO法人チーム二本松が動きました
ひと山超えた広場を借り上げ放射能表土を除去し、外から土を搬入し芝を植え、ホットスポットならぬクールスポットを作る

結果、宮崎のグラウンドと同じレベルの0.07まで下げる画期的なプロジェクト
このグラウンドを使いたいというサッカーチームや各種団体の要望が殺到中!
運動会では、福島なのに裸足で駆ける笑顔の子ども達を、撮影ながら、涙が止まりませんでした

ホームページなどの呼びかけに、募金の協力を頂いた皆さんありがとうございます!

この日は、仙台や福岡などから支援が入り豚汁やわたがしなどが立ち並ぶ中で宮崎地鶏の炭火焼を振る舞ってきました
みんな口々においしい、美味しいの連呼で瞬く間に行列が出来ました

子ども達が外で走り、笑い、寝そべり.....
普通の生活が奪われている福島県の子ども達のストレスは深刻です
そして、成長にも大きな影響が体重が増えなかったり、走る能力が向上しなかったり、いろんな運動能力が阻害されている

そんな子ども達が、のびのび遊べるクールスポットを作ったチーム二本松をアースウォーカーズも支援できて良かったです
明日は郡山、明後日は南相馬、明々後日は福島市の予定です

重ねて皆さんへのお願いがあります。
昨年、開催した「福島の子ども達 宮崎にに来んねキャンプ」第2段を準備中!
毎週、ボランティアミーティングを開催してます!協力出来る方、募集中です!
また、150万円ほどかかる予算が足りない状況です!
協力店での募金や、一口1000円のカンパや、一口1万円のサポーターも募集中です
よろしくお願いします!
文責:小玉直也

2012年10月19日金曜日

福島の子どもたち、宮崎に来んねキャンプ! 募金箱作成♪

本日、アースウォーカーズの定例ミーティングにて、
福島の子どもたち、宮崎に来んねキャンプ!第2弾
の募金箱を作成しました。



随時、協力を申し出て下さっているお店に設置されます。
見かけた際は、ぜひチャリン♪っと、大きな”ヤツ?”をお願い致します♪m(_ _)m

また、設置してくださるお店も、まだまだ募集中☆
よろしくお願い致しますm(_ _)m


それから、
下記の小園くん&これまで被災地ボランティアに参加した
大学生や小玉代表によるボランティア報告会を
11/5 17:00~ 宮崎大学工学部B-102教室(工学部入って直ぐ)
にて行います!!

久しぶりの報告会です。
ぜひぜひ皆さん、ご参加ください♪


事務局:小林

2012年10月13日土曜日

福島ボランティア9.24

小園です。

朝7時ぐらいに神くんの家で目が覚めた。久々のフカフカの布団は寝心地最高だった。寝起きの第一声が『俺、福島住むー(´Д`)』と言ってしまったほどである。

朝食にピザトーストを頂いた。美味であった。仕度をし、福島大学へ向かった。サークル棟で必要な荷物を積み込み、集合場所の近くの駅に向かった。

福島大学ボランティアセンターは、学生サークルで全体規模は300人くらいだったと思う。今日の活動は、9人ほどが参加していた。そのうち半分くらいの方が初めての足湯ボランティアだったらしい。
車で移動し、松川仮説住宅地についた。第一、第二住宅地があり、午前と午後でこの二つを回る予定だそうだ。住宅地に着くと、お湯をわかし場所作りをした。 私は、初めての仮説住宅だったので看板をもち宣伝をしながら歩き回ることにした。

多くの住宅で、プランターで家庭菜園をしていた。ミニトマトや木の実をたくさん分けてもらった。住民の方は、このくらいしかやることがないからね!といっていた。

部屋も見せていただいたが、六畳くらいの部屋で狭いなと 思った。電気・ガス・水道は通っている。

そうこうしているうちに足湯の時間になったので、会場に向かった。テントの中に、ブルーシート、ベンチをおき、足湯用のバケツみたいなものに沸かしたお湯と水と温泉の元を混ぜることで適温の温泉が出来上がる。

温泉の利用前に水分をとらせる。そして目安時間として、1人当たり10分弱温泉に浸かるということだった。その間私たちは利用者の方と話ながら手のマッサージを行うのだ。

私の1人目の相手は、おばあちゃんだった。初めてなので力加減や何を話せばいいかイロイロ不安だと思っていたが、案外楽しく接することが出来た。

宮崎の話や昨日までの活動など私の話を中心に盛り上がってしまったので、今後は自分の話を控えて相手の話を聞こうと反省した。

15分くらい足湯に使ってもらい、足が赤くなったので終了した。タオルで足をふくと、『あー気持ちよかった!またお願いね!』と言われ、昨日までのボランティアとは違う心のホッコリを感じた。

使ったバケツのようなものを消毒し、次の利用者にチェンジする。

ボランティアスタッフ9人に対し、使えるバケツが4つのため、残りの人はお湯の準備をしたり、待っているおじいさん方とお話をするのだ。私は広告回りも兼ねて、住民の方とお話をした。

大体の方が、『遠路はるばるご苦労様です。ありがとうございます。』とお礼を言われるので、よくわからないが『いえいえこちらこそありがとうございます。』 と返していた。

それから テントに戻り、待っていた方とお話をしていた。その人の番になり、『誰にマッサージをしてもらいますか?』と聞くとさっきまで話していたので..ということで私を指名してもらい、嬉しかった!

その人には、住宅のことを教えてもらった。ここに住んでいる人は皆同じ地域から来ていること。移動販売車で買い物をしたり、バスが出ているので、それで町まで買い物に行くなどである。

肩もみを喜んでもらえたのでよかった。
その人が終わると午前の部は終了だった。

住人の方が、あら汁を用意してくださったのでありがたくいただくことにした。非常においしかった。
そこに、直也さんが登場した。彼は、アースウォーカーズの代表である。すると、地鶏の炭火焼きを炊き出しする『宮崎食堂』の準備をし始めたので手伝うことになった。

炭をおこし、地鶏の炭火焼きを始めた。千切りキャベツの上に炭火焼き、見た目も非常に美味しそうだ。
住民の方に食べてもらった。非常においしい!と喜んでもらい嬉しかった。どこから出したのか焼酎もありの宴会が始まっていた。

皆さんの笑顔は本当に素晴らしいものだった。一時くらいになり、第二仮設での午後の活動の時間になった。私は、第二仮設分の炭火焼きを焼くため残った。

ようやく全ての炭火焼きを終え、移動したら午後の活動はほぼ終わりな雰囲気だったのでしまった!と思った。お茶を飲みながらほっこりしているグループに混ざり、話をした。

その時、手作り感のあるいい感じの籠を見つけた。私は母の影響か、和の雰囲気のあるものが好きだ。これはなんですか?と聞くと、『これは私たちが手作りしているもので、籠に和紙を貼ったり、古文書を貼っているものよ。今度の文芸祭にだすものなの。』と教えていただいた。

非常に興味深かったので、第二仮設の管理人の方に、作り方などを教えてもらった。すると、興味を持ったのをわかっていただき、『遠くからきてもらってるからこれはお土産よ。』と私が気に入った籠をプレゼントしていただいた!とっても嬉しかった!普通に買うと一万くらいらしい。


最後に片付けをし、管理人の方にお礼をいった。そして、管理人の話を聞いた。

『私には息子がいます。いい大人になっていますが、子供は作らないそうです。息子は、市の職員であり、原発爆発後、外回りで多くの家を回りました。息子の体内には、放射能が多く含まれているでしょう。息子は、もし子供に放射能の悪影響が出てしまったら、責任を取れないと言い、絶対に子供を作らないそうです。
なので、私は孫を見ることが出来ないんです。
返してください。私達の生活を返してください。
月10万の補償金を貰っても、私たちの生活は帰ってきません。 我が家に帰れないという不安。根無し草なんですよ。私たちは。
放射能の影響があるから、息子や孫に会うことすらできない老人がここにはたくさんいます。
なのであんな悲しみを生む原発なんてないほうがいいんです。』

話を一部しか書いていませんが、悲しみの声を聞きました。私たちに出来ることはなんなのでしょうか?


お別れをし、福島大学に着き、福島大学ボランティアセンターの人たちとお別れをしました。宮崎のお土産として、インスタント麺のうまかっちゃんをあげました。

ここから、直也さんと車で宮崎に帰ります。
高速を1600km、走行時間20時間です。
フルマラソン40回分ですもん、とりあえず、ハードでした。

帰りに、福島の事務所に寄ったり、除せん活動をしている寺に行ったりして26日に無事帰り着きました。


今回のボランティア活動のまとめとしては、
震災から一年半が経っていますが、まだまだボランティアが必要であるということ。
行ってみないと現状は分からなかったが、安全面で考えると今後行きたいという人にすすめはしない。
なので、離れた地ではあるが、宮崎からでもサポートをしていくのが一番だと思う。

そして、活動をしていくにあたって、多くの人に助けてもらって無事に活動することができました。出会った人、サポートしてくれた人、アドバイスしてくれた人に感謝します。

以上で活動報告を終わります。

2012年10月6日土曜日

福島ボランティア9.23

小園です。

朝6時起床
朝はカップラーメン。宿泊所も今日で見納めだ。
今日もセンターまで西さんに送ってもらった。しかし、西さん腹の調子が悪いらしく、コンビニに2件立ち寄った。ここらのコンビニは人があまり住んでないだろうに、ボランティアの人が客のメインターゲットなのだろうか。

今日はあいにくの雨。むしろ大雨。
しかし南相馬ボランティアセンターは他と違って休まず営業するらしい。すばらしい。
なのでカッパを借り始まるのを待った。

今日は畑の草刈り班に入った。15名ほどである。作業場は原発から近い地域らしいが、雨のため線量は低かった。着くと、広大な畑に背高い草が生い茂っていた。近くには、畑の持ち主と思われる民家があったが不在のようだ。この辺りは、海の近くだが、すこし高台なので津波の被害はなかったみたいだ。

まず、着いたら黙祷した。
そして作業にうつる。草刈り機を使える人は、畑の草を刈ってくれ。使えない人は、草刈り機では出来ないブロックの近く草取りをしてくれ。と言われ、迷わず草取りを始めた。

広範囲なので、今日は黙々と草をとる。アスファルト道路から生えた草を根っこから取るのはなかなか苦戦した。

一時間ほどしたら、センター長から『頑張ってるな!少年っ!!怪我だけはするなよ!ガハハ』と激励の言葉を頂いた。そして、草刈り機が余っていたので、軽い講習会の後、草刈り作業を始めた。

実際にしてみて分かるが、草によって角度や回転数を変えないと目ずまりを起こしやすいことが分かった。
大体の人はここでの活動で初めて草刈り機を扱っているみたいだったが、上手い人が多くて驚いた。
昼まで草刈りを行ったら、私と西さんの活動は終わりだ。西さんが用事があって帰るからだ。そして、私も福島市まで送ってくれるということなので、一緒に帰ることにしていた。

昼からも活動される皆さんに頑張ってください!また会いましょう!と伝え、借りていた道具を返しにボランティアセンターに向かった。

ここで問題が生じた。
センター長にボランティア活動報告書を貰ってなかったのである。これがないと学校に申請書が出せない。仕方がないので、西さんに送ってもらうのを諦め、外出しているセンター長の帰りを待つことにした。

ここでの活動でずっとお世話になった西さんは、『ここで会ったのも何かの縁だ!』といって南相馬市ボランティアセンターオリジナルTシャツをプレゼントしてくださった。感謝感激である。

西さんにお別れとお礼の言葉を言い、お見送りをした。そこからは、センター長の帰りを待った。しかし、全然帰ってくる気配がない。

退屈そうに待っていると、藤さんがセンターに道具を取りに着た。『どないしたん?暇してるん?せやったら、昨日の作業場のな、裏庭がまだ草刈り終わってないねん。手伝いーや。』

私は再びカッパを着て、昨日の工場へ向かった。すでに草刈りは終わっており、トン袋に草をつめた。作業は一時間ほどで終わり、工場は完璧にきれいになった。

この工場での作業が終わると、次の活動場所へ向かった。今度は小さな畑の草刈りだった。依頼者は老夫婦で、以前は田んぼをしていたが、もう一度田んぼを作る元気はない。せめて自分たちぶんの野菜だけでも作りたいので畑を復活させたいとのことだった。

津波の話も聞いた。黒い水がものすごいスピードで押し寄せてきた。津波から逃げようとする車も飲み込まれていた。泥で真っ黒になりながら唯一助けることが出来た女性に『車にまだ人がいるんです!』と言われたが、津波はすぐそこまで来ており、他の人を助けることは出来なかったのが悔しい。とおっしゃっていた。

人助けという素晴らしいことをしたが、見捨ててしまった人を悔いている複雑な心境のようだった。

その老夫婦の畑の草刈りを4時まで行い、その日の作業は終了した。

そしてセンターに帰り、無事にセンター長から活動報告書をもらうことができ、帰ろうとしたが、バス停(車で15分くらいかかる)までの足がない。

そこにたまたま通りかかった谷さん(仮名)が、声をかけてくださり、バス停まで送っていただいた。

今回のボランティアでは、本当に沢山のかたに助けてもらった。本当に感謝します!

そして、バスに乗り、私は福島市へと向かった。
明日は福島大学ボランティアセンターが行っている仮説住宅利用者への足湯ボランティアを行う。そのために、福島大学の神くんの家に前泊させていただくのである。彼は、前回の宮崎に来んねキャンプで知り合ったナイスガイだ。

福島市に着くと、神くんが迎えに来てくれた。そして、近くでボランティア関係の人と飲んでいるらしく混ぜていただくことになった。

飲み屋にいたのは、福島大学ボランティアセンターから神くん、ぎゃらくん、つねくん、広島大学からいっくん、のりぴー、あと、コリアンとゆー人がいた。よくわからないメンバーだったが、福島の現状について話し合う良い機会だった。

その日は電車で神くんの家に帰り、早めに寝た。翌日の足湯ボランティアが楽しみだったのを覚えている。

つづく。