2013年4月6日土曜日

2013.4.6 滋賀医科大学での報告


2013.4.6 文責:時枝明日香
昨日は朝5:45に郡山を出発し、大阪に向かう予定でした。阿万さんが19時のフェリーで一足早く宮崎に帰ることになっていたのです。しかし、実際に郡山を出発できたのは8:04。大阪に到着予定は18:08。果たして阿万さんはフェリーに乗れるのか。
・・・16:20。私が目を覚ますと大阪に到着していました。前日に徹夜でブログを書いていたおかげで爆睡していたようです。(汗)阿万さんは無事に宮崎行きのフェリーに乗り込んで行ったのでした。8日間ありがとうございました!

さて、今日は滋賀医科大学で被災地報告会でした。せっかく帰り道ということで私も参加させていただきました。
ありがたい事に私にも話す時間を設けていただきました。石巻での活動の話や福島の保育園での話をさせていただきました。
私は話すのが苦手なのですが、みなさん真剣に聴いていただき本当にありがたかったです。

また後半に、福島大学ボランティアセンターの神さんに、現地の様子や今までの活動の内容を電話でお話していただきました。
質問の中で、「プライベートな時間はとれているのか」というのがでました。
「毎週末の仮設住宅での活動で、おじいちゃんおばあちゃんたちと会話する時間が自分にとって楽しい時間になっている」と話してくれました。ボランティアが彼の生活の一部になっている話はとても印象深かったです。

最後に参加している医学生やドクターの感想を聴かせていただきましたが、福島などにある現実を、自分の事のように真剣に考えていて、向き合い続けようとしている姿に、改めて私も背筋が伸びる思いでした。
報告会後、お食事会もありいろんな交流ができました。
自分とは畑違いの医学部の学生と、ボランティア関係の話から夢の話までたくさんできて、すごくおもしろかったし、話せてよかったなと思います。滋賀医科大学のみなさん、ありがとうございました。

明日はいよいよ宮崎に帰ります。
あすか

あすかさん、あまんくんお疲れさまでした。
ケガもなく無事故で帰る事が一番大事なのでよかったです。

最後に滋賀医科大学での講演、話すのが苦手な明日香さんも頑張って報告していました。やはり同じ学生の立場から話をしてもらったのが良かったですね。

今回の講演は1ヶ月前に大阪から宮崎行きのフェリーでたまたま、私、小玉の隣に座っていた医学生の河野くん(写真左から2人目)と話が盛り上がったのが始まり。
数日後に国家試験に合格して晴れてドクターとなり合格祝いにランチを食べに行き、ミニ福島報告。

そんな河野ドクターから後輩の6年生松本さんを紹介してもらい企画にいたりました。
そして、今回参加した学生が「次回はもっと学生を集めたいな」って広がりを感じるのが良かったですね。

新しい出会いがドコで待っているのか楽しみです。
文責:小玉直也

2013年4月4日木曜日

2013.4.4 どんぐりも地鶏も大好評!


2013.4. 4.    宮崎産業経営大学  阿万 裕之
 こんばんは。今日はボランティア最終日です。今日も午前中保育園にいってきました。今日は本宮市立第一保育所で昨日と同じように落ち葉などを使って子どもと遊ばせていただきました。
昨日に引き続き子どもになった気分でした。やっぱり子どもは純粋ですよね!可愛くてしょうがないです。今日は帰りにサツマイモとどんぐりと千切り大根を提供しました。
子どもも先生方も喜んでもらえて良かったです。宮崎では落ち葉などで遊ぶ事は当たり前になってますが、こっちの子どもたちはものすごく喜んでくれました。子どもたちが感謝の気持ちを表現してくれて本当にありがたく思っています。
 昼から仮設住宅地内で炊き出しを行いました。仮設住宅の方々に無料で宮崎県産地鶏を提供しました。仮設住宅に住まいの方はお年寄りが多く、4月なのですが、まだまだ気温が低く寒い思いをしています。そこで3aの野口さんも無料で毛糸の靴下を提供しました。
仮設住宅の方々が地鶏を焼いてますと寄ってきてくださり、地鶏を少しですが差し上げました。
お年寄りの方が態々宮崎から?ありがとねぇーと言い泣いてました。僕もウルッと来て、早く復興してほしいと思いました。仮設住宅に住まいの方々は苦しい思いをされているのを感じました。一部の仮説住宅にしか行けてないのですが、不満の声もあると思います。そのような声が無くなるような町になっていかないといけないです。まあ、皆地鶏美味しいと言って帰っていってもらえたので良かったです。
 夜は、上国料さんと食事をしました。上国料さんは移動保育プロジェクトを行っています。移動保育プロジェクトは、放射線の影響でなかなか遊べない子どもたちを放射線の少ない所に遊びに連れて行く法人です。上国料さんは保育園を経営しているのですが、保育士免許は持ってないみたいで、ただ子どもが好きで震災も起きたからNPOをされたそうです。移動保育はこれから先必ず進展して行く保育園だと思いました。福島は放射線の影響でなかなか思った所で遊べません。移動保育は車・バスで放射線の低い所に遊びに行きます。子どものストレス軽減になりますから親からの反応も良いと思います。これから先成功する企業の一つだと感じました。
 いよいよ明日朝6時に出発します。こちらでお世話になりました方々に本当に感謝の気持ちでいっぱいです。本当学ぶ事が沢山あり、現場を実際みて感じた事がほとんどでした。また是非被災地に行く機会を作り、もう大学4年生で就活も大変で難しいかもしれませんが、これたら来たいと思います。ではもう寝ます!!Good Night!!


2013.4.4  7日目 文責:時枝明日香
こんにちは。宮崎大学の時枝明日香です。

本日、活動最終日でした!まずは午前中、本宮市の保育園に行きました。昨日と同じように、床に落ち葉や松ぼっくり、どんぐりを広げみんなで遊びました。
昨日は混ぜるどんぐりの数が少なく感じたので、今日は多めに混ぜたところ、たくさんの子どもたちが両手に溢れさせながら集めたどんぐりを見せに来てくれました。先生が一人ずつにビニール袋を用意してくださったので、子どもたちは拾った松ぼっくりやどんぐり、他にも混じっていた木の実など次々と袋にいれていました。今回の落ち葉には蝉の抜け殻も混じっていたみたいで、男の子たち何人かが一生懸命探していました。私にも捜索担当区域が与えられ探しましたが、見つけられませんでした。結局一つしか見つからなかったので、代わりばんこに触っていました。いいですね!「分け合う心」が!最後に切り干し大根やさつまいももお渡しました。子どもたちは「どうやってたべようかな♪」「焼き芋にして食べたいな!」と盛り上がり、食べるのを楽しみにしているようでした。
今回もたくさんの笑顔を見せてくれました。みんなで遊んだ部屋からは、二回目の土の入れ替えをしている最中の砂場が見えました。
近くには測定器もありました。

子どもたちがいつでもどこでも安心して遊べて、たくさんたくさん顔を輝かせていれたらいいなと思います。
また、保育園では、2月の来んねキャンプに参加されていた佐藤さん親子と合流しました。佐藤さん親子は、私が来んねキャンプに参加したとき、一番長く一緒に過ごさせていただいた親子です。個人的にもすごく楽しい時間を過ごせて、またお会いしたいと思っていたので、今日の再会はとても嬉しかったです。しゅんたくんも保育園児たちに混じって、たくさんのどんぐりを集めてくれていました。

保育園をあとにした私たちは、郡山市内にある仮設住宅に向かいました。そこは、原発から8kmに位置する富岡町の住民の方たちが主に住まわれていました。強い風が吹き付ける中、準備をし、いざ宮崎地鶏の炊き出しです♪準備段階で「何すんだっぺ?」と様子を見に来てくださる方もいらっしゃって、焼きだしてからは口コミが人を集まめ始めました。お皿に宮崎県清武町産の千切りにしたキャベツをしき、その上に地鶏をおいていきました。「最近野菜とれてないから、キャベツ多めでお願いね♪」と言われる方もしばしばいらっしゃり、私がキャベツをもっさりつぐと「いや!もう少し少なくていいのよ!他の方とかあとから来る方の分がなくなっちゃうから!!!」とおっしゃりました。ここにも「分け合う心」「思いやりの心」が。あの事故以来、福島にはいろいろな問題が生じていると聞きますが、目の前にあるあたたかい気持ちにこちらも心をあたためられます。
また、「わざわざ宮崎から!ありがとうございます。」と言って涙を拭うおばあちゃんもいらっしゃいました。10分ぐらい行っておいで、と送られた私は、おばあちゃんについて行きお部屋にお邪魔し、お話を聴かせていただきました。最初に、地震のとき近所の人の「逃げろ」の声に慌てどこかに打ち付け腰を痛めたことを話してくれました。腰を触らせてもらうと痛々しく腫れていました。家の中には賞状や楯がたくさん飾ってありました。それはおばあちゃんとおじいちゃんの金婚やダイヤモンド婚を記念、賞するものでした。「“あなたたちは健康に気を付けてよい家庭を築きました”って賞状もらった時は涙が出たね。」と顔をほころばせながら、何度もお話をしてくれて、嬉しかったんだろうなあとこちらもあたたかい気持ちになり聴いていました。そんなおじいちゃんは手先が器用なのか、家の中に5か所ほどの棚をご自分で作られたそうです。大きな箱を収納する高いところに設置された棚から、金婚やダイヤモンド婚の楯を飾っていてすぐに手の届く場所にある小さなかわいい棚まで様々なサイズの棚たちが、おうちをスッキリかつステキにしていました。おじいちゃんは、そういうことに関するお仕事をしていたわけではないらしいのですが、見事な出来栄えに、近所のおばちゃんも「ぜひうちにも作ってほしい!」と言ってきたそうで作ってあげたそうです。素敵な旦那さんですよね(^^)♪♪他にも、避難する際、ご先祖様の写真だけ持って避難したこと、最初は関東に住む息子さんのところに避難したそうですがお姑さんにも迷惑をかけられないしおじいちゃんが仮設で一人だしということで、仮設に入ることにしたこと、今でも息子さん娘さんがちょこちょこ来てくれること、などをお話してくれました。他にも、おばあちゃんは昔、近所で学校の先生とか役人とかをしていた人の子どもも面倒を見て育てていたことなどの昔の話もしてくれたのですが、最も印象的だったのはおばあちゃんのやさしい人柄でした。「冷蔵庫もレンジもテレビも全部もらって、この家もつくってもらって本当にありがたい。うちも事業やってたから大変さがわかるんだけどね。電気や水道代は払ってるけど、家賃はタダだし、こんな家、タダでは普通住めないでしょ。だから本当にありがたいの。」隣にすむおばちゃんは「ありがたいなんて言わなくていい、あんなことがあったんだから、私たちはここにいなくちゃいけなくなったんだよ」と言うそうです。それでもお話したおばあちゃんは、「それでも私は本当にありがたいことだと思うんだけどね」と繰り返します。「ここにもいろんな人が来てくれるの。あなたたちも九州の宮崎からでしょ。こんなとこまでわざわざ来てくれるなんて、本当ーーにありがたいのよ。」と言ってまた涙をぬぐっていました。25分くらいしゃべって握手して、また10分しゃべって握手して私はこたつの外へ出たけれど、また5分くらいお話して。最後は「あなたたちも大変なことあると思うけど頑張ってね!私の今までの人生のこととか聞いてくれてありがとう。」とこっちがエール送ってもらっちゃいました。頑張って、なんて言えなくて、体に気を付けて元気でいてね、みたいなことを言ってお別れしました。小玉さんの「10分くらい」の言葉はどこへやら。長居しすぎたみたいで、私、だいぶ探されていたようです。(ごめんなさい。)みんなに合流したあと、また地鶏を配りました。3aさんの事務所に届いていた毛糸の靴下もおじいちゃんおばあちゃんに大好評の様子でした。
地鶏はあっという間になくなり、たくさんの方の笑顔を見ることができました。片づけをし、「おだがいさまセンター」(富岡町生活復興支援センター)さんにお礼を言って、3aさんの事務所に戻りました。ここで朝から合流してくださっていた佐藤さん親子とお別れ。お忙しい中、時間をつくっていただきありがとうございました。とてもとても嬉しい再会で、来んねキャンプで出逢えた他の方々も含め、またお会いするのが楽しみです♪もしかしたら出会うこともなかったかもしれない方たちと出会えて、また会えるのを楽しみにしたりって、人生っておもしろいですね♪出会いは大切にしたいものです。

さて、3aさんの事務所に戻ってからは、ひたすらブログ書きに追われました。(汗)その間に3aさんの事務所にある放射能測定器で、りんごを用いて実際に検査させていただきました。りんごを専用の箱にいれ、マシーンにセットし、検査スタート。
1検体に1800秒(=30分)かかるそうです。ブログを書きつつ待っていると・・・、結果がでました。結果は不検出。
こうやって自分の目で数値を確認できると安心できますね。

夜はNPO法人 移動保育プロジェクトの代表の上国料さんに移動保育についてお話していただきました。移動保育プロジェクトさんはその名の通り、子どもたちを放射線量の少ない場所へ連れて行き遊び学ぶ体験学習を行い、その日のうちに送り届けるという活動を行っているそうです。その場所のニーズに応える素敵な活動だなと私は思います。移動保育プロジェクトさんのことをすごく素敵だなと思ったのはもちろんなんですが、私は、代表の上国料さんが大学では工学部で学ばれていて、幼稚園を経営する道に進まれたというお話も素敵だなと思いました。今私が将来を模索しているのもあるのですが、やっぱり、進もうと決めればどんな道にも進める気がしてなんだか勇気になったというか、わくわくしました。また、上国料さんには寝る場所も提供していただいたりお世話になりました。ありがとうございました。福島での活動、東北での今回の活動は今日が最後でした。今日もとっても濃い一日でした。この地でのすべての出会い、出来事に感謝します。

2013年4月3日水曜日

宮崎と福島をつなぐ柔道着!


今回、佐土原高校から福島高校へ届けた柔道着を紹介します。

宮崎県立佐土原高校では昨年まで柔道が選択科目だったのですが、来年度から必修科目になり柔道着を全員購入するので学校で必要なくなったそうです。

そんな佐土原高校から宮崎市民活動センターに連絡があり、アースウォーカーズを介して被災地へ届ける事となりました。
佐土原高校のさいた先生からあずかった柔道着は洗濯して乾燥させ段ボールに丁寧につめてある状態で出発1週間前に預かりました。

現地の受け入れは、JCN東日本大震災支援全国ネットワークや現地のNPOや学校や柔道場などに連絡し、今回はいつもお世話になっているNPO法人TEAM二本松の理事長に福島高校を紹介してもらいました。

福島高校の体育のほんだ先生の師匠が、佐々木理事長の義父という関係で紹介していただき、当日は校長先生とも話しが盛り上がりました。昨年度は宮崎県串間市の福島高校と吹奏楽部の交流があった話やその後、PTAや教員が訪問していただいていると宮崎とのつながりを歓迎されていました。

今回はアースウォーカーズが宮崎と福島の県立高校どうしでつながった支援は初めての事でとても有意義な機会となりました。
関係者のみなさんありがとうございます。
佐土原高校のさいた先生とウェイトリフティング部のみなさんです。
文責:小玉直也

宮崎と大阪のお友達からの贈り物

文責:小玉直也
前述の「福島の子どもたち宮崎に来んねキャンプ」に参加した子どもたちが落ち葉やドングリを必死に拾って持って帰った。

母親達が「2年ぶりに落ち葉に触ったんです」と語るのを聴いて、宮崎県綾町のママ友が集まり、綾町の保育園を巻き込んでドングリや落ち葉を集め始まったドングリプロジェクト。

翌月、大阪府枚方市で開催された講演会に参加した保育士が私たちの園でもやってみようとあつめる。

そんな福島から遠い保育園児たちが集めた落ち葉が福島県郡山市の保育園に届けられた。

以下、綾町の3つの保育園の園児たちを紹介します


この日、みんなの集めた落ち葉の中から探した松ぼっくりやドングリを手にしながら
福島の子ども達は大きな声で叫んだよ!
「みやざきの おともだち ありがとう!!!」

その様子がTBS系列のTUFの夕方のニュース「スイッチ」で報道されましたので、ニュースが見たい方はDVDがあるので連絡ください。
左から小玉、時枝(宮崎大)、阿万(宮崎産経大)が子どもたちにプレゼントする際、テレビで放送された映像より
福島民友新聞社にも翌朝刊に紹介されました。
保育園では外遊びが制限され、放射能がついている可能性がある、落ち葉やドングリに触る事ができない。
1歳児〜3歳児は生まれて初めて落ち葉やドングリに触るんですと語ってくれた保育士さんの目にあふれる涙が忘れられない。

思わず、問いかける
なぜ、福島の子どもは自然に触れられないのか?
なぜ、危険と分かっている放射能を、管理できない放射能を、処分場も決まっていない放射能をそれでも使い続けるのか?
なぜ、もう少し我慢できないのか?便利さとコストを追求するあまり、子どもたちを、動物たちを、自然を、地球を傷つけ続ける事を選択してしまっている私たち。

今日、電気を使っている方にお願いがあります。
福島の子ども達が今日もストレスを感じながら生きている事を忘れないでほしい。

そして、再稼働してほしくないが、する際は最低2つのお願い。
1、アメリカ政府が危険と判断した80km内の住民にどのようなリスクがあるか説明し、全住民が納得してからにしてほしい。
2、想定外という言葉を使ってほしくない。どのような地震がきても、どのような津波がきても、北朝鮮がどのような行動をしても、原発事故は100%事故が起きないと決定してからにしてほしい。小動物が入って停電しておびえるのはごめんです。

2013.4.3 どんぐりプロジェクト大成功!!


2013.4. 3.    宮崎産業経営大学  阿万 裕之
こんばんは。今日は福島でのボランティア活動となりました。午前中は郡山市のアルゴ保育園にいってきました。福島県郡山市の保育園は放射線の影響でまともに外で遊べない状況[時間制限]が続いています。
落ち葉なども放射線の影響で触ったりもできないので、僕たちは落ち葉と松ぼっくりとどんぐりを宮崎から提供して子どもたちと1時間程度一緒に遊びました。
一緒に遊んでて子どもたちが落ち葉やどんぐりを使って楽しくしてる姿をみると来て良かったなあて思いました。

子どもたちの笑顔の為に何かしてあげたいです。こちらの方は野菜は放射線の影響で県外の食産を食べるように気を配ってるみたいなので、宮崎からお米、サツマイモ、千切り大根を保育園に提供しました。

 その後、福島大学の方に話を聞きました。
福島大学にはボランティアセンターというサークル的な活動をしている方々がいます。
その方々から聴きましたが、床下の泥だしや仮設住宅のサポートをしているみたいです。僕は、そのような学生に関心を持ちました。学生は時間がある訳ですので、ボランティアをするべきだと思います。僕も福島や宮城の被害を少しでも手助けしていきたいと思い、きっと同じ思いだと思うんですよね。
今回、被災地に来て僕は見ないと分からない事がいっぱいあることに気づきました。宮崎で被災地ヤバいなとは思ってたのですが、実際見てみるともっとヤバいと感じました。
福島に関しては、今すぐ出るって訳じゃないからまだ分からないのですが、これが5年後、10年後に被害が大きくなるような気がします。
住民の方々はそれを分かっていますので、何か怯えながらじゃないですけどそのように感じました。

 その後、福島高校に柔道着を提供しました。宮崎県立佐土原高校がこれまで柔道を選択授業で行ってたのですが、授業内容に柔道が入り、必修で全員購入となり使わなくなったため福島に提供してくださいと言われました。なので福島高校に提供したんですが、先生がものすごく喜んでる姿がみれて良い事してんだなぁと改めて感じました。

 夜は、二本松市に移動して佐々木さんという方の家で食事しながら話を聞かせて頂きました。NPO法人チーム二本松の理事長と話が出来て光栄でした。佐々木さんは昔ヤンキーであんな事やこんな事をいっぱいやらかしてたそうです。
佐々木さんは俺たちの魂の叫びだよ!!と言ってました。なんなんだろう?と思い聴いてたら、昔の単車メンバーで、東電に伝えるみたいです。
放射能と闘っている福島の県民の思いを乗せて、交通ルールを守りながら好きなバイクで伝えると言ってました。これは悪い事ではない!俺はバイクが好きだからバイクで伝える!!美術・芸術だと言ってました。僕はその話を聞いて佐々木さんの気持ちが伝わりました。福島の人達の気持ちを皆にしってもらいたいです。
 それから宿泊先に帰りました。毎日疲れるのですが、正しい事を僕たちは行っていると思います。残り少ない期間を充実させたいです。今日はゆっくりします。おやすみなさい。



2013.4.3  6日目 文責:時枝明日香
こんにちは。宮崎大学の時枝明日香です。
今日の一日は、郡山市内の保育園に物資や落ち葉たちを届け、福島大学生と交流、福島高校に物資を届け、福島の方々とお話する機会がたくさんあるという、濃い一日でした。

福島では放射線の影響で外遊びに制限がある地域があります。子どもたちは、花や木や草や虫など外にある自然のものに触っちゃいけない、と言われながら生活しているそうです。
安心な自然のもので少しでも遊んでもらおうと、宮崎や大阪で集めてもらった落ち葉や松ぼっくりやどんぐりを持って行きました。保育園の部屋に到着し、子どもたちに目をつぶって待ってもらっている間に
落ち葉に松ぼっくりやどんぐりを混ぜ、床一面に広げ、
私たちの「もう~いい~よ~!」。
続いて目を開けた子どもたちの「うわあ~~~!!!」。一斉に落ち葉の中に入り、
松ぼっくりやどんぐりを探したり、落ち葉を投げて全身で浴びたり、葉っぱのにおいをかいだり、頭に飾ったり♪
たくさんたくさん笑顔を見せてくれました。一時間程一緒に遊んで、お片づけの声がかかると、「今日ね今日ね!遊んで楽しかったっっっ!!!」と次々と言ってくれたり、落ち葉も松ぼっくりもどんぐりも手いっぱいに握りしめ、「これ、持って帰る。」と言ってくれたりしました。
純粋に、楽しんでくれたり喜んでくれたようでよかったです。裸足で葉っぱをかき分け歩き回る子どもを見つめながら、「福島ではこういうことさせられないのよ。」という先生の言葉や、「ベイビーちゃんたちなんて、こんな経験初めてよ~!」という先生の言葉からも、この時間は有意義な時間になったかなと感じられました。また先生も「この(落ち葉の)においが懐かしい~~♪♪」と素敵な笑顔をみせてくれました。集めるのにご協力いただいたみなさん、ありがとうございました。
最後に、宮崎の安心安全なさつまいもや甘夏、切り干し大根、お米をお渡ししました。
子どもたちの、ゼッケンの「みやざき」という文字をなぞりながらの「みやざき!みやざき!」「みざやき!みざやき!」(笑)という声や「まーたーきーてーね~~~ぇ!」という声に送られながら、続いて福島大学に向かいました。

福島大学には学生によるボランティアセンターがあります。
震災当時、福島大学が避難所になったのがはじまりで、その後学生団体のボランティアセンターを設立したそうです。仮設住宅で足湯をしたり、住民の方と一緒にお花見や忘年会などいろんな企画を開催したり、安心して遊べる場所に子どもたちをキャンプに連れて行ったり、様々な活動をされています。
去年のボランティアセンターの登録人数は300人を超えたそうです。福島には、放射能のこと、帰りたくても家に帰れないひとたちがいること、地震や津波の後まだ手を付けられていないところがあること、など、まだまだ大変なことがあるなと感じさせられます。
私が直接出来ることは少ないかもしれませんが、できること、すべきことを自分で考えながらやっていきたいです。福島大学のボランティアセンターの方々、お話を聴かせていただいてありがとうございました。また、2月の来んねキャンプでお会いした神さんにお会いできて嬉しかったし、お元気そうでよかったです。

お昼をはさみまして、福島高校に行きました。宮崎の佐土原高校さんからお預かりした柔道着をお届けしました!福島と宮崎、こうやってどんどんつながっていくとおもしろいですね!

夕方、福島市の片平果樹園に行きました。家に入った瞬間、「敷居を踏んじゃいかんぞ!!」話して行く中で、なんとも厳かというか、威厳があるというか、ピシッとしたものをお持ちで、でもそんなところが素敵だな思わせてくれるおじいさんだなと思いました。
おばあちゃんも笑顔がかわいくて、なんでかいい雰囲気なお2人でした♪感謝の気持ちを忘れないでいること、それを相手に伝えるのは素敵なことであることを改めて感じさせられる時間でした。片平果樹園では夏には桃がとれるそうです。カタログでも「片平さんの頑固桃」として載っていました。どんなお味の桃なんでしょう(^o^)いつか食べてみたいです♪

そして夜は、二本松市に住む、TEAM 二本松の理事長の佐々木さんのお宅にお邪魔し、お話を聴かせていただきました。とにかく熱い方だったなという印象!でも、まっすぐで、自分を持ってる方ってすごくすてきだなと、かっこいなと思うんです。
いろいろなお話をした中で印象的だったのは、「流されない自分でいることより、流されても戻って来れることの方が大事」というお話です。なるほど、と思いました。また自分の中で大切な言葉が増えた気持ちです。私にとって、いい出会いになりました。

今日も、ぐっと濃い一日でした。ちなみに私は昨日から3aの野口さんのお宅に泊めていただいています。体を休める場所を提供していただくというのは、本当にとてもありがたいことです。明日は、福島での最後の活動日です。感謝の気持ちを力に、明日も頑張りたいです。


2013年4月2日火曜日

2013.4.2 宮城最終日!


2013.4. 2.    宮崎産業経営大学  阿万 裕之
 こんにちは!!石巻に入って三日目となりました。今日で石巻でのボランティアは最後になります。今日は流れから言いますと、最初にがれき所に行き、作業して、橋本さんの家で食事して作業して、ピースボートの人達と食事して話聴いて、石巻から福島に帰るという流れでした。
 石巻でのボランティアは最終日となりました。今日も原田さんとこのBIGUP石巻で作業させていただきました。BIGUPの人達は作業をしていてとても楽しそうにしていて僕も楽しく仕事させていただきました。今日は、階段と階段の間にシリコンを塗って行く作業を午前中しました。昼食は、橋本さんの家で食事でしたが、相変わらず凄い料理です!!お腹いっぱいなのに次の料理が来たりもしますね!笑
 味もものすごく美味しくて、毎日食べたいと思いますよね。話を聞きますと、その料理代は旦那さんの退職金でしてるみたいで、既に1200万円くらいは使ってるみたいです。橋本さんは本当に凄い方で皆から愛される方だと思いましたし、僕も橋本さんみたいに自分の事だけじゃなく、被災者のために頑張らないとと背中を押してもらいました。
 午後からは、雨が降り始めてグループを組んで2カ所での作業となりました。僕はでっかい大木を道具を使って表面を剥がしていく作業でした。この作業がまた難しくて苦労しました。4時間ずっとしてましたが、時間内に終わらず終わってしまいました。
 これでBIGUPでのボランティアは終わりとなりました。作業面ではとても楽しくできて、まだまだここでボランティアしたいと思いました。今回作業をしていたBIGUPのトレーラーハウスで飲食店を開始します。僕たちはその作業の手伝いをしていました。4月6日に壮行式があり、明日くらいまでにはお店が完成すると思うんですが、出来れば壮行式までは一緒に作業をしたかったです。それだけが心残りです。BIGUPの方々を見てますと、逆に元気をもらいました。僕も彼らに負けてられないですよね!!
 夜は、ピースボートの方々と食事しました。その際に話を聞く事ができました。ピースボートは石巻に拠点を置くチームです。3月11日から1ヶ月しないうちに東京から4人で最初こられたみたいです。最初は右も左もわからず住民の方々とかに何処がヤバいかなどの情報で石巻での活動になったみたいです。ピースボートは震災後、おそらくボランティア活動で一番人を送り込んでるみたいで、延べ1万は軽く超えてるみたいです。1週間で東京から石巻に観光バス10台分のエリートのボランティア生を連れてきた話を聞いたときはものすごく頑張ってると思いました。ピースボートは主に石巻で活動をしており、凄いチームだと思います。ボランティアの方の受け入れ態勢もしっかりしています。でも、2、3日では受け入れてくれないみたいで、1週間とかだと大丈夫だそうです。
 宮城は石巻関わらず、受け入れ態勢がこんなにしっからしているのにビックリしました。中には若い方もチームにいたりして、とても関心をもったりしました。
 石巻から郡山に帰り着いて疲れ果ててますので、今日はゆっくりさせて頂きます。それでは。


2013.4.2  5日目 文責:時枝明日香
こんにちは。宮崎大学、時枝明日香です。

今日は、トレーラーハウスの作業を一日行い、夜は ピースボートという石巻にボランティアセンターを構える団体さんとお話させていただき、その後、宮城を出発し福島に戻っていくというような感じでした。

トレーラーハウスの作業の前に、がれきを捨てるためがれき置き場に連れて行っていただきました。そこでは、マスクとヘルメットを着用がありました。山のように積まれたタイヤや、家電や鉄や燃えるものなど。分別された山々を車で移動して行きます。若干においも感じられました。まだまだこんな感じなんだなと考えましたが、やはり当初の強烈なにおいはなくなったし、がれきの山も減っていっているそうです。実際にあのような場所に行ったのは人生で初めてでした。実際に行くことで、ぼんやりTVで見ているより、ずっとずっと広く大きいことを実感できた気がします。

トレーラーハウスに戻ってからは、午前中とお昼を挟んだあとの午後も、看板あたりに使われる木の表面をひたすらひたすらはがし続けました。一緒に作業した方たちと楽しく頑張れたので周りに感謝です!一緒に作業した方に地元の方がいらっしゃり、あの日の話を伺わせていただきました。その方は当時帰宅途中で津波が来たときも車に乗っていたそうです。水が押し寄せて来たとき、ちょうど少し高い位置の道路にいたそうで、振り返ると後ろ3台くらいの車は流されてしまい、前にいた車も何台か先は流されてしまったそうです。また、あの日あの時この場所にいるはずもない友人の方が本当に偶然石巻に来ていて、津波に巻き込まれてしまったり、またその逆で助かった方もいたり、運というものはあるんだなあと思った、とおっしゃってました。運というものがあったとしても、とても、とても悲しい現実に胸が痛くなりました。
ちなみに作業の方は、残念ながらすべての皮を剥がし終わることができず、明日作業に来る方々にバトンタッチすることとなりました。BIG UPさん、関係者の方々には大変お世話になりました。ありがとうございました。トレーラーハウスの完成が楽しみです。いつか実際に見に行ける日が来ればいいなとも思います♪

ちなみに今日のお昼も橋本さんのお宅にお邪魔し、おいしいご飯をいただきました。ありがとうございました。とても素敵な笑顔が印象的です♪

夕方から私の遅れている報告ブログを進めるため被災した喫茶店でひたすらパソコンと向かい合いました。(汗)そこのおじちゃんとおばちゃんもまた素敵な方で、おじちゃんは、私が自分にだけお茶をついだのを見て、注意してくれました。人の分まで気にしてついであげる、それが「思いやり」だ、「分け合う心」だ、と。目の前のことにいっぱいになってしまっている自分、そこらへんがなってない自分を反省させられました。短い時間だったけど二人とも熱く語ってくれて、いい時間になりました。

喫茶店のおじちゃんとがっちり握手をし別れました。

夜はピースボートさんのボランティアセンターと合流しました。
ピースボートさんはもともと世界一周旅行をコーディネートする団体らしく、災害支援の事業にも取り組んでこられているそうです。聴けば聴くほど話が広がっていきそうでした。今回の東日本大震災の支援においても規模がものすごく大きいらしく、ボランティアの派遣数も一万人を有に超えるとか。現在は、「イマ、ココプロジェクト」という産業の再建を後押ししたい参加者とその人材を必要としている人たちを結ぶ取り組みを行っているそうです。すごい団体だとは聴いていましたが、おもしろそうなことがたくさんあり、気になる団体の一つになりました♪たくさんお話お聴かせいただきありがとうございました。

さて、夜もふけたところで、福島県は郡山市に移動です。
明日は保育園や高校に物資を届けたり、福島大学のボランティアセンターに行ったりと盛りだくさんの模様です。明日もたくさん笑顔で頑張りたいです。

2013年4月1日月曜日

2013.4.1 トレーラーハウス!


2013.4.1  4日目 文責:時枝明日香
こんにちは。宮崎大学の時枝明日香です。

今日は、午前中トレーラーハウス開所に向けての準備をし、午後から南三陸町に行きました。
作業の前に東松島のまちを案内していただきました。壊れたままの橋、道路、ガードレール等々‥想像以上に爪痕が残っているなあという感じでした。それでも、現地に長くいる方、当初の様子を知っている方は、だいぶきれいになったと言います。

トレーラーハウスはもう完成間近で、今回はペンキ塗りや木材の角取りをしていきました。(写真手前)


途中、近所の子どもたちもペンキ塗りを手伝ってくれ、わいわい完成させていくのは、いい雰囲気だなと感じました。私たちはトレーラーハウスの完成をみることは出来ませんでしたが、あの場所が、地域の住民の方々のわいわいできるような、何かしらあの地域でのプラスになることを願います。それにしても完成が楽しみです。この日一緒にボランティアした名古屋から参加して石巻5日目のきみこさん。

午後は南三陸町へ。
一番印象的だったのはTVでもよく映されている防災庁所でしょうか。町の中に入ると、車で道路を走っても左右ほとんど建物がない景色が広がっていて、そこに立っている鉄骨だけの建物。すごくショッキングでした。
また、コンビニがプレハブというのも通常を思わせない光景でした。
プレハブといえば、この果物屋さんと左の焼き鳥屋さん。


果物屋さんは以前までテントで販売を行っていましたが、やっとプレハブになったそうです。なんとこのお店、宮崎名産の「きんかん たまたま」も販売しており、なんだか親近感がわきますよね。

お隣の焼き鳥もすっごくおいしかったです。震災後、力強く頑張る方々はTVでもよく放送され、その度私自身も「頑張らなくちゃ」と力をもらっていたのですが、そんなパワーを目の前で感じさせてくれるような、素敵な笑顔をお持ちの方が焼いています。
お二人とも素敵な方です。また会いたいと思わせれくれる二人でした。きっと私はまたあの場所を訪れるでしょう♪南三陸を訪れる方は、被災した防災庁舎跡から西に約500mなので、ぜひ行ってみてほしいものです。

他にも歌津中学校にも行ってきました。震災直後、大勢の業者さんやボランティアさんが泊まったり、支援物資置き場になったり、教室を食堂にしたりしていたそうです。どんな雰囲気、光景、世界が広がっていたのか。私には想像する事しか出来なくて、でもきっと想像以上のものがあった気がしてうまく頭が働かなくなります。ここの先生にも私は強さを感じました。
帰りに見た津波で途切れた線路。

私が次にこの地を訪れるとき、どんな姿になっているのでしょう。少しでも少しずつでもこのまちが人々を含め、前へ進んでいきますように。宮崎にいても私の心がここにつながっていますように。
さて、夜は、「逆炊き出し」を行ってきた橋本さんという方のお家にお邪魔しご飯をいただきました。
通常、炊き出しはボランティアが被災された方に行いますが、橋本さんはご自身も津波にあわれたにも関わらず、訪れるボランティアの方に炊き出しを行ってきたそうです。これがまた、ものっすごくおいしい料理たちで、5000人のボランティアに愛され、レシピやこれまでのストーリーが掲載された本も出ているのです。
橋本さん夫婦には震災当時のお話も聴かせていただきました。特に印象的だった言葉は、橋本パパの「もうあれはこの世の地獄だね」という言葉です。体が水に浸かった状態で朝には救助が来ることを信じ起き続けた夜、目の前に遺体がある状況、浮かんでいる遺体をかき分けながらボートで脱出する状況。想像しがたい現実を「地獄」という言葉で表してくれました。そんな状況のことを話してくださることはとてもありがたいことだと思います。
「本当にね、ボランティアのおかげだと思う。本当にありがたい。」「(家に)寄ってくれるのが元気のもと」こちらは橋本ママの言葉で印象的だったものです。家の泥だし等をしてくれたボランティアさんたちに何かできないか、そう考え料理を振る舞うことにたどり着いた橋本さん。お互いが相手のためにできることを考え実践していけるそんな世の中は素敵だなと思います。

明日は、一日トレーラーハウスで作業後、宮城を出発し再び福島に移動します。心をこめてトレーラーハウスを完成に近づけたいと思います。


2013.4. 1.    宮崎産業経営大学  阿万 裕之
 こんにちは。石巻IN2日目です。今日は被災地に来日して初めてのボランティアとなりました。ボランティアに行く前に原田さんに東松島に連れてってもらいました。
東松島は平地な為、津波を遮る工場が無く被害は想像を絶するものでした。周りを見渡すとがれきの山か荒地しか無い状態でした。このような光景を見てボランティアに向かうと意識が高まります。
 作業は、原田さんが指揮をとるトレーラーハウスの建設作業でした。ボランティアの内容としてはペンキ塗りが主でしたが、他にも椅子を貰いにいったりと様々な仕事をさせて頂きました。被災地でのボランティアは今日が初となりましたが、僕は足を引っ張らないように少しでもお役に立ちたいという気持ちでさせて頂きました。
 夕方は近所の子供たちにサッカーしようよ!!と誘われ、原田さんも行ってきていいよて言ってくれまして、子供たちと一緒にサッカーして遊ばしてもらいました。30分程度しか一緒に遊べませんでしたが感じることがありました。遊んでで子供たちってものすごく純粋で何もなかったかのように笑顔で楽しく遊んでました。あの子供たちの笑顔をみれて、僕たちが子供たちを元気にさせてあげないといけないのに、逆に子供たちから元気をもらうことが出来ました。

夜は、石巻ボランティアハウスの橋本ごはんという本を出版している橋本信子さんのご自宅で食事しました!!ものすごい量がテーブルに並べてありました。きゅうりの鬼からし漬け、スタミナ!カレー風味唐揚げ、さんまのやわらかすり身鍋、もやしのラー油漬けなど美味しい料理盛りだくさんでした!!今紹介したメニューはすべて本の中に作り方も載ってますので気になる方は是非読んでみるといいと思います。
 橋本信子さんとは、被災地にボランティアしに来る人達に無料でごはんを提供している方です。橋本さんは5000人のボランティアを支えてきたみたいです。橋本さんは、3,11に被害を受けています。話をお伺いすることができたんですけど、3,11の日橋本さんの家も津波の被害を受けたそうです。家の一階は津波とヘドロで凄い状態で五日間体ずぶ濡れで寒い思いをして過ごしてたみたいです。近所に住んでた方、親戚も亡くされて、がれきの下から妊娠中の女性の遺体を見つけたりされたそうです。話がリアルすぎて頭の中で想像することができませんでした。

僕としては、このような貴重な話を直接聞けて、気になることも質問できる、これ以上貴重な話は無いて位の話を聞かせてもらい、ありがたく思っている最中です。今日も内容の濃い一日になりました。石巻でのボランティアは明日までなので精一杯頑張りたいと思います。ではでは、おやすみなさい。





追伸:文責:小玉直也
南三陸町で久々に再会した大畠果物屋さん夫婦。
いや~!震災直後から何度か訪れているが少しずつグレードアップして笑顔が素敵で頼もしくなりました。
以前もブログで紹介したかとおもいますが、果物屋があった建物はすべて流されガレキだらけの駐車場にテントを出して青空商店をオープンした初日に訪れた。
暴風にテントが飛び、試行錯誤しながら当時、なんとか一歩目を踏み出そうと奮闘した夫婦との再会は格別だ。
しかも、プレハブにグレードアップしたかと思いきや、流された倉庫の再利用で焼き鳥屋までおばちゃんが始めてて、前向きに頑張る焼き鳥屋を応援したくなりました。

そして、思い入れ深い歌津中学校。
みやざき災害救援センターの佐藤さんらと初めて訪れたときは、学校にあまりの避難者と次から次に届く物資の仕分け作業は段ボールとの葛藤が続いた。
あの時、被災者にもボランティアにも必死に向き合ってた歌津中職員の阿部美晴さん(写真左)は忘れられない一人。
当時の話にも花が咲き、TEAM宮崎が再建して行った学校内の靴箱や音楽室。 
炊き出し場になっていた教室には、いまは冷蔵庫も無かった。
一つ一つが復興への一歩。グラウンド横には仮設住宅が立ち並ぶが来るたびに光景が変わりあの当時の景色から震災前に少しずつだが近づいているのが分かる。

写真は高橋なおみ先生(中央)との再会。修学旅行で記念に残すカメラをインスタントカメラにしようと計画していたので、コンパクトデジタルカメラを届け使用してもらっていた。
高橋先生は「インスタントカメラでは24枚で終わってしまうので助かりました。修学旅行以外でも使って助かってます」と宮崎からの募金で寄せられた物資が役立っている話を聞き嬉しくなりました。

もっと伝えたいことがあるのですが、打ち合わせが始まるのでこのくらいで失礼します。    小玉