2014年5月5日月曜日

福島支援4日目は浪江から郡山へ

文責:まるた
今日は朝から浪江町の原発に一番近い所から5kmまで、警戒区域に入るため許可を取る必要のある地域まで行ってきました。
町は、止まっていました。
あの日あの時テレビで見た風景、写真、映像そのものが目の前にありました。
もちろん海水は引いていましたが、海水が引いた後そのまま時は止まっていました。

小高駅の線路は荒れていて、駅の自転車は当時のまま放置、地震時倒れた家もそのまま。
津波の被害にあった地域で田んぼの砂利道にぽつんとゲームのコントローラーがあるのが目に入りました。
オレンジの、任天堂のやつでした。
原発が見える場所にも行きました。
映像でしか見た事が無いあれです。肉眼で確認できました。
ジョギングで5kmなんてすぐです。
そこに私たちはいました。
直接と間接の違いが自分の中で絶対的な物になりました。
同行をお願いした三浦さんの話は優しいトーンであるものの、ずぶりずぶりと入り込んでくるものでした。

「原発は古い技術」と言われた時、「原発は最新技術」だと思っていた自分が居なくなりました。
使用済燃料を海溝に捨てる事を前提に原発は作られました。日本では地中に埋めるつもりだったようで…。
今ではそんな事考えられません。
原発はお湯を沸かす機械です。ただお湯を沸かすというこの「機械」は、リスクが高すぎる。
それを考えると、もう答えは一つですよね。
原発は、いりません。

午後は「来んねキャンプ」で宮崎にやってきた福島大学生2名、福島の親子と再会!

みんな覚えているか心配だったのですが、ありがとう、覚えていてくれたみたいです(^^)
あれからみんな成長していました。当時おぼつかない口調だった子達がペラペラとしゃべっていたのをみて内心感涙のまるた…!
小学校に上がった子もなんだか自信がついてるようでこっちも嬉しい!女の子はみんなアイドルに成長!カメラ目線はバッチリよ♡

お母さんたちもお出迎えありがとうございました。再会できて本当に本当に本当に嬉しかったです!
夕食は、石川の方へ保養に行っていた親子の所へおじゃましました。ごちそうさまでした!
明日は福島大学の災ボラを訪れる予定です。明日も頑張ろう!



文責:明日
今日は小高や浪江の視察に行き、午後は第三回の来んねキャンプに参加した親子と再会するというような一日でした。
午前中、南相馬市小高区から浪江町の原発から5キロくらいあたりまでを案内してもらいました。
1年半前初めて小高に来たとき、まだこんなにも津波が来てから進んでいない地があるのかと衝撃を受けました。

そのときと同じような、誰もいないまち、流された車や船、1か所に集められただけの”がれき”の山、、、などの光景が目に入ってきます。
やっぱりまだまだこういうところもあるよなと改めて、伝えていかなければならないと感じました。
そして、ここを片付けていったとき、人が戻ってきて暮らせる場所になるのか、今日ここに来た私はこれから何ができるのか、なども考えました。
原発や放射能のことが絡むと本当に難しいことも多々あり、頭と心が痛くなりますが、伝える事・知る事・考える事を多くの人と一緒にやっていきたいのと同時に、苦しい思いをしている人や困っている人がいればできることがあれば何かできるといいなと思います。
ヘビーな午前のあとは、「第三回福島の子どもたち宮崎に来んねキャンプ!」に参加した親子9組中の5組が集まってくれて、再会して楽しいひと時を過ごしました。
3か月という月日は子どもたちを成長させていて、驚くのと同時に嬉しくもなりました。
子どもたちには元気にまっすぐ、そして幸せになってほしいなと思います。
子どもたちがおもちゃで遊んでいるなか、お母さんたち同士の会話では「どこどこの保養は~・・・」とか「どこどこは線量が~・・・」などの話もたくさん出ていました。


まだ出会っていない人たち含めて、必要とされている限り保養の受け入れはやっていきたいし、その他の面でもできることがあればサポートできればなと思います。
そのためにも、今回のキャンプを一緒につくってくださった方々への報告やお礼などしっかりやる必要があり、再度気を引き締めなければと感じました。

こっちではあまりに衝撃的な現実を目に耳にすることがたくさんあり、考えすぎて暗くなることもしばしばですが、嬉しい再会に元気をもらえました。










文責 たか
今日は、午前中、20km~5km圏内にある南相馬市小高区と浪江町にいきました。今日見に行った場所は、実際に津波の被害があった地域で、見た限りでは田んぼや畑に車や船、ガレキ等がありました。放射能の影響で立ち入りが困難であったため撤去活動が遅れているらしいです。 

11月ぐらいまでは、津波で来た水や液状化で発生した水で辺り一面が水浸しだったらしいです。今日見ても、所々に水が残っており水が引いている場所は草がとても生えていました。

浪江町の市内部分は、地震の影響で家屋が倒壊している所が多々ありまだ、テープで進入禁止になっているだけで手が付けられていなかったです。
また、車で走っていると、何かのイベントがあったのでしょうか、開催期間が3月9日から3月13日までになっていてここは、浪江町を始め原発周辺の地域は、まだ時間が止まっているのだなと感じました。また、今回は、立ち入り禁止区域の近くまで行って第一原発を見る事ができました。

津波被害と放射能被害両方の影響を受けている町。東日本大震災の発生から手を付ける事が出来ず、ほとんどの方が浪江町に戻らないらしいです。
今日は、浪江町に住んでいた方と一緒に行き、説明を受けながら行動しました。ちょっと驚いたのは、津波被害を受け警戒区域にいる人たちに対して、半壊なら補償金が入って来るらしいのですが、家ごと流されて土地だけしかない家は、一銭も補償金が入って来ないらしいです。この事については正直、「えっ」と思いました。この町の将来はどうなるのか?今後の動向が気になります。

午後は、来んねキャンプ時に、来られた家族5組11人と福島大学のすくな君、れい君と郡山で再会しました。みんな名前を覚えていてくれていて、ずっと子どもと遊んでいました。

気づいたら、4時間30分ぐらいたっていて、あっという間でした。お母さんたちともお話することができました。ある、お母さんには、「みんな近くに住んでいる感じがする」って言っていて、めっちゃ納得しました。福島と宮崎で距離は遠いですがいつも近くにいる人たちだなと思っています。
みんなに会えて本当に良かったです!!




文責:小玉直也
学生のみなさん、現場で見聞きして多くの事を感じたようでなによりです。
線量計を持って活動していくのですが、原発から5km地点で0.1μSv/hと福島市や郡山市の1/3程度でした。

しかし、20km圏内の地域で立ち入り制限がありゴーストタウン化している。
一方、そこより放射線量が3倍以上ある地域には子どもたちが住んでいて、安心、安全、放射能の影響は除染したのでないと言われる。
とても科学的な見地とは言いがたい。そこで不安に生活している方々への支援は出来る限り続けて行きたいと思いました。

今回、驚いたのは、宮崎で幼かった子どもたちが、食事の後、頑張って洗い物をしていたしーちゃん、りんちゃんの姿でした。
少しずつ、お姉さんに成長して行く姿をかいま見てうれしくなりました。
今回、宮崎に来てくれてありがとう。そして再会できる時間を皆さんあわせて作ってもらい感謝です。
また、会える日を楽しみにしています。

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