2013年4月1日月曜日

2013.4.1 トレーラーハウス!


2013.4.1  4日目 文責:時枝明日香
こんにちは。宮崎大学の時枝明日香です。

今日は、午前中トレーラーハウス開所に向けての準備をし、午後から南三陸町に行きました。
作業の前に東松島のまちを案内していただきました。壊れたままの橋、道路、ガードレール等々‥想像以上に爪痕が残っているなあという感じでした。それでも、現地に長くいる方、当初の様子を知っている方は、だいぶきれいになったと言います。

トレーラーハウスはもう完成間近で、今回はペンキ塗りや木材の角取りをしていきました。(写真手前)


途中、近所の子どもたちもペンキ塗りを手伝ってくれ、わいわい完成させていくのは、いい雰囲気だなと感じました。私たちはトレーラーハウスの完成をみることは出来ませんでしたが、あの場所が、地域の住民の方々のわいわいできるような、何かしらあの地域でのプラスになることを願います。それにしても完成が楽しみです。この日一緒にボランティアした名古屋から参加して石巻5日目のきみこさん。

午後は南三陸町へ。
一番印象的だったのはTVでもよく映されている防災庁所でしょうか。町の中に入ると、車で道路を走っても左右ほとんど建物がない景色が広がっていて、そこに立っている鉄骨だけの建物。すごくショッキングでした。
また、コンビニがプレハブというのも通常を思わせない光景でした。
プレハブといえば、この果物屋さんと左の焼き鳥屋さん。


果物屋さんは以前までテントで販売を行っていましたが、やっとプレハブになったそうです。なんとこのお店、宮崎名産の「きんかん たまたま」も販売しており、なんだか親近感がわきますよね。

お隣の焼き鳥もすっごくおいしかったです。震災後、力強く頑張る方々はTVでもよく放送され、その度私自身も「頑張らなくちゃ」と力をもらっていたのですが、そんなパワーを目の前で感じさせてくれるような、素敵な笑顔をお持ちの方が焼いています。
お二人とも素敵な方です。また会いたいと思わせれくれる二人でした。きっと私はまたあの場所を訪れるでしょう♪南三陸を訪れる方は、被災した防災庁舎跡から西に約500mなので、ぜひ行ってみてほしいものです。

他にも歌津中学校にも行ってきました。震災直後、大勢の業者さんやボランティアさんが泊まったり、支援物資置き場になったり、教室を食堂にしたりしていたそうです。どんな雰囲気、光景、世界が広がっていたのか。私には想像する事しか出来なくて、でもきっと想像以上のものがあった気がしてうまく頭が働かなくなります。ここの先生にも私は強さを感じました。
帰りに見た津波で途切れた線路。

私が次にこの地を訪れるとき、どんな姿になっているのでしょう。少しでも少しずつでもこのまちが人々を含め、前へ進んでいきますように。宮崎にいても私の心がここにつながっていますように。
さて、夜は、「逆炊き出し」を行ってきた橋本さんという方のお家にお邪魔しご飯をいただきました。
通常、炊き出しはボランティアが被災された方に行いますが、橋本さんはご自身も津波にあわれたにも関わらず、訪れるボランティアの方に炊き出しを行ってきたそうです。これがまた、ものっすごくおいしい料理たちで、5000人のボランティアに愛され、レシピやこれまでのストーリーが掲載された本も出ているのです。
橋本さん夫婦には震災当時のお話も聴かせていただきました。特に印象的だった言葉は、橋本パパの「もうあれはこの世の地獄だね」という言葉です。体が水に浸かった状態で朝には救助が来ることを信じ起き続けた夜、目の前に遺体がある状況、浮かんでいる遺体をかき分けながらボートで脱出する状況。想像しがたい現実を「地獄」という言葉で表してくれました。そんな状況のことを話してくださることはとてもありがたいことだと思います。
「本当にね、ボランティアのおかげだと思う。本当にありがたい。」「(家に)寄ってくれるのが元気のもと」こちらは橋本ママの言葉で印象的だったものです。家の泥だし等をしてくれたボランティアさんたちに何かできないか、そう考え料理を振る舞うことにたどり着いた橋本さん。お互いが相手のためにできることを考え実践していけるそんな世の中は素敵だなと思います。

明日は、一日トレーラーハウスで作業後、宮城を出発し再び福島に移動します。心をこめてトレーラーハウスを完成に近づけたいと思います。


2013.4. 1.    宮崎産業経営大学  阿万 裕之
 こんにちは。石巻IN2日目です。今日は被災地に来日して初めてのボランティアとなりました。ボランティアに行く前に原田さんに東松島に連れてってもらいました。
東松島は平地な為、津波を遮る工場が無く被害は想像を絶するものでした。周りを見渡すとがれきの山か荒地しか無い状態でした。このような光景を見てボランティアに向かうと意識が高まります。
 作業は、原田さんが指揮をとるトレーラーハウスの建設作業でした。ボランティアの内容としてはペンキ塗りが主でしたが、他にも椅子を貰いにいったりと様々な仕事をさせて頂きました。被災地でのボランティアは今日が初となりましたが、僕は足を引っ張らないように少しでもお役に立ちたいという気持ちでさせて頂きました。
 夕方は近所の子供たちにサッカーしようよ!!と誘われ、原田さんも行ってきていいよて言ってくれまして、子供たちと一緒にサッカーして遊ばしてもらいました。30分程度しか一緒に遊べませんでしたが感じることがありました。遊んでで子供たちってものすごく純粋で何もなかったかのように笑顔で楽しく遊んでました。あの子供たちの笑顔をみれて、僕たちが子供たちを元気にさせてあげないといけないのに、逆に子供たちから元気をもらうことが出来ました。

夜は、石巻ボランティアハウスの橋本ごはんという本を出版している橋本信子さんのご自宅で食事しました!!ものすごい量がテーブルに並べてありました。きゅうりの鬼からし漬け、スタミナ!カレー風味唐揚げ、さんまのやわらかすり身鍋、もやしのラー油漬けなど美味しい料理盛りだくさんでした!!今紹介したメニューはすべて本の中に作り方も載ってますので気になる方は是非読んでみるといいと思います。
 橋本信子さんとは、被災地にボランティアしに来る人達に無料でごはんを提供している方です。橋本さんは5000人のボランティアを支えてきたみたいです。橋本さんは、3,11に被害を受けています。話をお伺いすることができたんですけど、3,11の日橋本さんの家も津波の被害を受けたそうです。家の一階は津波とヘドロで凄い状態で五日間体ずぶ濡れで寒い思いをして過ごしてたみたいです。近所に住んでた方、親戚も亡くされて、がれきの下から妊娠中の女性の遺体を見つけたりされたそうです。話がリアルすぎて頭の中で想像することができませんでした。

僕としては、このような貴重な話を直接聞けて、気になることも質問できる、これ以上貴重な話は無いて位の話を聞かせてもらい、ありがたく思っている最中です。今日も内容の濃い一日になりました。石巻でのボランティアは明日までなので精一杯頑張りたいと思います。ではでは、おやすみなさい。





追伸:文責:小玉直也
南三陸町で久々に再会した大畠果物屋さん夫婦。
いや~!震災直後から何度か訪れているが少しずつグレードアップして笑顔が素敵で頼もしくなりました。
以前もブログで紹介したかとおもいますが、果物屋があった建物はすべて流されガレキだらけの駐車場にテントを出して青空商店をオープンした初日に訪れた。
暴風にテントが飛び、試行錯誤しながら当時、なんとか一歩目を踏み出そうと奮闘した夫婦との再会は格別だ。
しかも、プレハブにグレードアップしたかと思いきや、流された倉庫の再利用で焼き鳥屋までおばちゃんが始めてて、前向きに頑張る焼き鳥屋を応援したくなりました。

そして、思い入れ深い歌津中学校。
みやざき災害救援センターの佐藤さんらと初めて訪れたときは、学校にあまりの避難者と次から次に届く物資の仕分け作業は段ボールとの葛藤が続いた。
あの時、被災者にもボランティアにも必死に向き合ってた歌津中職員の阿部美晴さん(写真左)は忘れられない一人。
当時の話にも花が咲き、TEAM宮崎が再建して行った学校内の靴箱や音楽室。 
炊き出し場になっていた教室には、いまは冷蔵庫も無かった。
一つ一つが復興への一歩。グラウンド横には仮設住宅が立ち並ぶが来るたびに光景が変わりあの当時の景色から震災前に少しずつだが近づいているのが分かる。

写真は高橋なおみ先生(中央)との再会。修学旅行で記念に残すカメラをインスタントカメラにしようと計画していたので、コンパクトデジタルカメラを届け使用してもらっていた。
高橋先生は「インスタントカメラでは24枚で終わってしまうので助かりました。修学旅行以外でも使って助かってます」と宮崎からの募金で寄せられた物資が役立っている話を聞き嬉しくなりました。

もっと伝えたいことがあるのですが、打ち合わせが始まるのでこのくらいで失礼します。    小玉





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