2015年3月14日土曜日

2015春被災地ボランティア3日目

文責:宮崎学園短期大学 2年 田代茜
今日も朝ラジオ体操をしました。朝の体操は目が覚めて、体がシャキッとするような気がします。

そして、南相馬ボランティア活動センターで活動をしました。今日は土曜日ということもあり、約100人の方が、参加されていました。
(約100人の方たちがボランティア前に集合している)

今回は、夕方まで、家財の運び出しを行いました。そこの家の民家さんは、今は仮設住宅で生活しています。震災が起きてから壊れた家を約100万円かけて修復したそうです。しかし、修復した後に市から取り壊しをめいじられたということでした。その方が頻繁におっしゃっていたのが、
「震災から4年間一回も触っていないから」
とおっしゃっていました。その言葉を聞き、私は今まで住んでいた家に住めなくなって、震災から今までの時間止まっていたんだなということを感じました。と同時に自分の家に帰れないということを想像すると、とても寂しいし、悲しい状況が4年間も続いているんだなと胸が苦しくなりました。
(民家さんとボランティアの皆さんとの集合写真)

作業が終わってから、供養塔や津波で流された家のあるところをみました。
そこには、津波で流されてしまった家や橋がそのままの状態で残されていました。
テレビで私の家はこの辺ですと流された家の付近で眺めている光景を見たことがあります。その時はそうなんだという感覚しかありませんでしたが、実際に行ってみるとガラッと変わっている景色や山積みになっている瓦礫を見て、この風景に向き合う方は本当にすごい方だなと思いました。
(津波によって壊された家)

夕方から、希望の牧場へ行きました。ここには、約300頭に及ぶ牛が生活しています。放射能の影響を受け、国からは殺処分を命じられています。しかし、ここの代表の方は牛の命を全うさせたいと育てられています。ここでは、当時の状況と今の活動についてお話しを伺いました。情報の遅さやどこも責任を取らないという責任感のなさをすごく残念におもいました。
(国から殺処分を受けたが大切に育てている牛)

この方から学んだことは行動することです。最後に行動しないといけないんだということをおっしゃっていました。私たちが出来ることをしっかりと行動に移してやっていこうという決意の1日となりました。

明日は原町仮設住宅にお話しを伺いに行ったり、福島第一原子力発電所から20キロ圏内の浪江町に視察に行ってきます。現状はどうなっているのかをしっかりと見て、伝えていきたいと思います。






文責:内田拓磨       37日 曇り時々雨
今日も朝から松本ボランティアセンターへ行き、活動をしました。まず驚いたのが、昨日に比べボランティア参加者がかなり増えていたことです。他県から来た人や外国から来た人もいて、人のつながりを感じることが出来ました。
初めて被災者の方の家を訪れ、家具の移動、中の清掃をやらせていただきました。重いものが多く、みんな肉体的に疲れきっていましたが、依頼者の笑顔と感謝のことばをいただき、人の助けになることができたと感じ、嬉しく思いました
                   <被災者の家の家具を整理する学生>

夕方からは希望の牧場へ行き、吉澤さんの話を聞かせていただきました。当時の人々の政府に対する不信感や怒り、命を目の前で失う悲しみなどを聞かせてもらい、うまく言葉にはできないけどこのままではいけないと感じました。

明日の仮設住宅訪問ではさらにお話を聞かせていただきたいと思います。







文責:田渕亮丞
今日も南相馬ボランティア活動センターで活動しました。そこでは土曜日ということでたくさんの人たちがボランティアに来ていました。
震災から4年が経とうとしているにも関わらず、百人程の人たちが参加しており、中には外国人の方もいました。
<ボランティアセンターに集まった人たち>

活動内容は菊池さんという体が不自由なおじいさんが、家を取り壊す予定なのでその部屋の片付けや、もう片方の家に家具の運搬でした。今回が初めて被災者のためにする活動なのでみんな気合いが入っていました。

家具の配置など要望を聞いて行くうちに、当時の震災の時家が少し高台にあったお陰で浸水などせずに済んだなどと色んなお話を聞きました。
<菊池さんの話を聞いている学生>

昼休みが終わり現場に着くと、菊池さんが目も足も不自由なのに私たちの為に車でコンビニに行って、おやつとジュースを買って来てくれました。人の為にやることで人に感謝されることというものが改めて実感出来ました。

午後からも張り切って活動し、その後に沿岸部の視察に行きました。そこは4年前と変わらないままの状態で、家や木がほとんど流されており、橋も骨組みしか残っていませんでした。
<4年経っても復興が進んでいない町>

当時の津波の破壊力が凄まじかったことが良くわかりました。

<津波になぎ倒された木>

その後に希望の牧場に行きました。山に登って行くと桁違いに線量が上がっていくのでだんだん放射能を意識していきました。今まで作業していた所は放射線が宮崎と同じくらいだったので、山間部に入り、改めてここは福島なんだと実感しました。
希望の牧場で吉澤さんから、牛たちが放射線被ばくの生きた証拠であることや、東電の対応の酷いことなどをお聞きしました。ボランティアの活動が本当に福島を支えていることが良くわかりました。





文責:松崎喜代治
三日目も南相馬市ボランティア活動センターに行きました。本日は家財道具の運び出しをしました。作業は大変でしたが依頼者の喜んでいる顔を見ることができてやってよかったと思いました。

<津波の被害にあった住宅>

作業の途中依頼者の方のお話を聞く機会があり、市から家の解体を進められたと言われた時の悲しそうな顔が印象に残りました。
                                               <土台だけ残った橋>

作業が終わりボランティアセンターに戻る時に津波の被害にあった家屋を見に行きました。そこで土台だけになった橋やコンクリートの基礎部分だけになった家を見て改めて津波の恐ろしさを感じました。





文責:遠矢聖仁
被災地ボランティア3日目。
今日もボランティアセンターに参加しました。
こちらではボランティア作業を始める前に、海の方向へ向かって1分間の黙祷を捧げます。
30秒は頑張るぞという気持ちを高め、30秒は津波やそれに伴う事故で亡くなった方々へのご冥福をお祈りする意味での黙祷なのだと、お話がありました。
依頼者や戻りたくても戻れない仮設住宅住まいの方々はもちろん、震災で亡くなった方々の思いも背負っての作業なのだと、改めて感じました。

《松本ボラセンのスローガン》

今回の依頼者の方は、足が悪い一人暮らしのお年寄り。
先日との違いは、依頼者の方の立ち会いの元で作業を行えたことです。
その為、詳しく要望に応えながら作業に取り組めたし、色んなお話を聞くこともできました。
仮設住宅の生活でのお話を伺うと、精神安定剤や睡眠薬を毎日服用しないとやっていけないということを涙ながらに話してらっしゃいました。
息子さん夫婦は、少し離れた原町という所に住んでいるそうですが、この方は16歳の頃から住んでいるこの家をどうしても離れたくないとおっしゃっていました。
若い人たちは避難先で新しい生活が始まっていて、なかなか帰っては来ない、戻ってくるのはお年寄りだけというお話は聞いていましたが、その現場を目の当たりにした気分でした。
《家屋の整理をする学生》

また、途中からボランティアに慣れたたくさんの応援の方に来ていただいて、自宅の周りに溜まった瓦礫の選別作業や、4年間放ったらかしにされたお庭の手入れにまで、作業が及びました。
しかしそのようなメリットとは裏腹に、今日はこの民家のみでボランティアが15人近く押し寄せ、
70歳近くのご老体に何をどうすればいいかひっきりなしに聞いていたため疲れ切ってぐったりしている様子も伺えました。
仕方ないしどうしようもないことではありますが、他人が、自分の家に入ってきて作業をすることへのストレスは、相当なものがあるだろうと感じました。
《一緒に作業したボラセンの方々》

お昼を食べようと向かった定食屋は人でいっぱいで、その中には、朝にボランティアセンターに集まっていた方々も多くいました。
諦めて近くのコンビニへ向かうと、やはりこちらにも、ボランティアセンターにいた人たちがちらほら。
しかし、それ以上に目立ったのは、『除染業者』というステッカーをつけた作業員の人たち。宮崎では中々見られない程の行列に驚きました。
このように、人がまだ戻ってきていないこの町では、開店しているお店がすくないため、お昼になると数少ない飲食店やコンビニに、作業員やボランティアが集中してしまいます。

《コンビニのレジにできた行列》

午後からは体調が悪く、少しペースダウンしながら原町の沿岸沿いなどを見て回りました。

やはり倒壊したままの民家や、ねじ曲がったガードレールがそのままであったりと、目に見える部分でも復興の足踏みを感じました。







文責:田中さやか

今日は菊池さんのお家の片付けをしました。菊池さんは、津波の被災者で現在仮設住宅暮らしをされていらっしゃる方です。今回の松本ボランティアセンターでの作業は、依頼された方と同伴で大変貴重なお話を聞くことができました。

<菊池さん宅での片付けの様子>
母屋を取り壊すこととなった菊池さんですが、そのために不要な家財、家具を捨てないといけないのですが、私たちがこれを捨てますか?と尋ねると、これはね〜とやはり思い出の詰まっているのだと思うとできるだけ菊池さんに寄り添いたいと思いました。
<中央が松本センター長>
また、私は、この日の朝に松本ボランティアセンターのセンター長の松本さんのお言葉で草刈りの意味を考えさせられました。私は、草は毎年生えるのになぜ人が住まない場所で草刈りをしているのだろうと思っていましたが、松本センター長は依頼者の活動する気力が損なわれないようにやっているという風におっしゃられていました。本当に心に寄り添える活動をしていきたいと感じました。







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