2015年3月20日金曜日

2015春被災地ボランティア7日目

文責:田代茜
今日の午前中は仮設住宅のイベントの準備をしました。
たこ焼きを作ったり、味噌汁の準備をしたりと仮設住宅の方とコミュニケーションをとりながら、楽しく行うことができました。
(イベント準備でたこ焼きを作る学生)

このイベントには、オレンジレンジをはじめとする、歌手が来ました。オレンジレンジは、小学生から中学生にかけて、よく聞いていてとても懐かしく感じました。

午後からは、休みをもらって、体調を整えました。
(仮設住宅の方とのふれあい)

4年前の今日地震が起きました。高校2年生だった私は、何かやりたいと思っても何もできなかったことを思い出します。今こうやってたくさんの人と出会っていることに感謝していきたいと思います。あの日を忘れてはいけない。現地に行き、震災後の様子を見てもっと寄り添っていかないといけないと思いますし、まだまだやれることはたくさんあるなと感じています。

被災地ボランティアも今日で折り返し地点となりました。残りの半分もたくさんの人と交流し、人と人との和を広げていきたいと思います。




文責:内田拓磨  3月11日 曇り
今日は3月11日で、震災から四年目ということで仮設住宅の集会所でみんなが集まり食事会をしました。僕はたこ焼きを作りみなさんに配っていました。歌手のオレンジレンジさんも笹谷仮設の集会所に来てくださり、地域の人と交流していました。
交流したあとは、福島大学の神さんが震災があったときにいたという、福島駅に行きました。そこで当時どのような状況だったのかを話してくださり、連絡がとれないことの不安など教えてくれました。
<福島駅にて神さんの話を聞く学生>

4年前は僕はまだ中学3年生で、地元の静岡にいました。修学旅行でスキー場にいて、帰りのバスに乗り込んだときに地震がおきました。高校生のころは何も東北のために何もできませんでしたが、今アースウォーカーズに関わって被災地のためにボランティア活動ができていることをうれしく思います。2011年に起こった震災を、みんなが忘れないように、今回学んだ事を宮崎に戻ってしっかり報告したいと思います。





文責:松崎喜代治
被災地ボランティア七日目
福島駅で神さんの話を聞いた時は、いままで震災の話を聞いた話が初めての同年代の人の話だったので状況を想像しやすかったです。やっぱ、雪が降っている中で外で待たされて大変だっただろうなあと思いました。
(環境分析研究所の数千万円の測定器)

携帯が一時的に通じなくなったというのを聞いて、災害時に携帯電話が使えないものとして動く事が大事だと思いました。
環境分析研究所に行った時に、実際に食品の放射線測定をやってみて本当に放射線が出なかったので、信頼出来るのもだと思いました。
(環境分析研究所の数百万円の測定器)

測定する機械は宮崎では見れないので、見れて良かったです。





文責:田中さやか
登録者数300人をほこる福島大学災害ボランティアセンターの代表を任されていたアースウォーカーズの活動をなさっている神 貴大(じん たかひろ)さんと初めてお会いし、お話を伺った。

震災当初から福島大学で避難場所の運営などを学生が行っていたメンバーの一人だという。3.11のあと神さんは家から出るなという指示のもと家から出られない状態だったが、福島大学から避難所のボランティアをしてくれないかというメールが来て、すぐ行動に移したという。

<福島駅で神さんの体験を聞いた>


 自分のことだけでも精一杯だっただろうにすぐ行動に移すことが出来た神さん。私にそれができるだろうか…。

福島大学でのボランティア活動の状況がどうだったのか、どういう方針でいたのかなど聞いて来た事を宮崎で災害が起こった時私たちが動けるように、うろたえるだけにならないように考え、活動していきます。それを実際に福島にきたことのあるメンバーが揃っているアースウォーカーズの活動としていけたら良いなとも思っています。

そう考えていると私がしていくべき尚且つしていきたいことが明確に具体化してきてワクワクします。

神さんの話の中に福島大学災害ボランティアの鈴木先生の言葉で避難所を自分の家のようにすごしてもらうという話を聞いて、ストレスを与えないよう活かしていきたいと思いました。駅での話を聞いている時に、何事もなかったかのように311の何気ない一日なのだろうけど、人が平然と居て、あの日はこういう日だったのだろうなあというと日常が壊れるのが怖いと思いました。

<2015.03.11の福島駅>


たこ焼きの時に夏子さんという方が居て、キャンドル潤さんのサポートをしている人が
"311の日が怖い。忘れて欲しくない。"
まだ復興終わってないという事を伝えていかないといけないと思いました。自分のことだけでも精一杯だっただろうにすぐ行動に移すことが出来た神さん。私にそれができるだろうか…。
福島大学でのボランティア活動の状況がどうだったのか、どういう方針でいたのかなど聞いて来た事を宮崎で災害が起こった時私たちが動けるように、うろたえるだけにならないように考え、活動していきます。それを実際に福島にきたことのあるメンバーが揃っているアースウォーカーズの活動としてしていけたら良いなとも思っています。

そう考えていると私がしていくべき尚且つしていきたいことが明確に具体化してきてワクワクします。
神さんの話の中に福島大学災害ボランティアの鈴木先生の言葉で避難所を自分の家のようにすごしてもらうという話を聞いて、ストレスを与えないよう活かしていきたいと思いました。駅での話を聞いている時に、何事もなかったかのように311の何気ない一日なんだろうけど、人が平然と居て、あの日はこういう日だったんだろうなあというと日常が壊れるのが怖いと思いました。
たこ焼きの時に夏子さんという方が居て、キャンドル潤さんのサポートをしている人が
"
311の日が怖い。忘れて欲しくない。"
まだ復興終わってないという事を伝えていかないといけいないと思いました。





文責:遠矢聖仁
被災地ボランティア7日目。
笹谷仮設の集会所に宿泊させて頂いていますが、
みんなの疲れもあり、比較的遅い時間から活動が始まりました。
福島大学の災害ボランティアセンターという、300人規模の学生が関わっている団体でジェネラルマネージャーと呼ばれる、全体をまとめていた神さんのお話を聞きました。
〈福大災ボラ元GM神さん〉

神さんが大学1年の頃に震災が起こり、3月17日から避難所となった福島大学で、そんな異常な事態の中、1年生ながらボランティアとして飛び込んだその行動力に、純粋にすごいなと思いました。当時は70人くらいの学生が関わっており、30人ほどの学生が毎日関わっていたようです。
神さんのおっしゃっていた他の避難所の違いというのは、施設が充実していることと、ボランティアとしての大学生が多くいたということ。顧問の鈴木先生の意向として、避難所を自分の家にいるように生活してもらおうとの配慮があり、着替えなどにもそれ専用の部屋を作ったり、体育館や運動場でスポーツ大会を学生が主体で行うなど、大学だからこそできることがあったと聞きました。また、お話を聞いてあげるだけでもストレスを軽減につながるとしてコミュニケーションを大切にするなど、『1つの避難所が、大きな家族みたいだった』という言葉が一番印象的でした。4月30日で避難所は解散で、お別れ会の時にはみんな号泣だったと話していました。
〈福島駅で当時のお話を聞いた〉

また、福島大学の青木励くんから、現在検討されているものとして『いるだけ支援』の話を聞きました。仮設住宅の過疎化が問題になっている中、空いた仮設に大学生が住むという話が進んでいるそうです。若い人がいなくなって元気が無くなっている仮設住宅に大学生がいることで、お年寄りに対しては孫の代わりとしてお話を伺い、子どもたちに対してはお兄ちゃんお姉ちゃんの代わりとして遊び相手となって、仮設住宅全体を明るくする狙いがあるそうです。
二人の話を聞いて、大学生だからできることに、私ももっと目を向けていきたいなと考えさせられました。

また、今日は3.11という事もあり、仮設住宅でもイベントが行われ、その準備のお手伝いをさせて頂きました。
福島駅で行われる『love for 日本』という音楽イベントに参加するアーティストが、笹谷仮設に傾聴訪問ということで訪れてきました。
その中には、オレンジレンジやキャンドル潤さんなど、有名な方々もいてとても驚きました。
〈仮設の方が沢山のアーティストの方々と交流〉

そこで、ナツコさんという女性スタッフの方とお話をさせて頂いたのですが、3月11日が来ると、そこに向けての盛り上がりばかりで、
それも今年で終わりなんじゃないか、人々の関心がなくなってしまうのではないかと、毎年この日を迎えるのが怖いのだということをおっしゃっていました。
震災から今日で4年もの月日が経過しましたが、原発付近の地域の作業はもちろん、仮設住宅の過疎化や人が避難してしまった地域の再生など、時間が経ったからこそ浮き上がってきた問題も数多くあることに気づきました。内部に入らなければ見れない現状、知れない情報を、被災地に来ていない学生よりは確実に身につけたと思っています。
〈ORANGE RANGEさんとパシャリ!〉

福島の内部でも被災地として風化してきている昨今、宮崎をはじめ、他の県の人に常に頭に置いてて欲しいというのは難しいのかもしれないけど、それでも自分の周りの人たちからでも、私が感じたことを伝えていかなければならないと、少し使命感というものに燃えた1日となりました。






文責:田渕亮丞
今日は午前中に仮設に住んでいる方の要望で、仮設のイベントの手伝いをしました。
そこでたこ焼き作りをしました。仮設のお母さんや、他のNPOの人たちといろんな話をしました。
あとでこのたこ焼きがオレンジレンジなど、有名な方々が食べてくれたと思うとすごい事だと感じました。
<たこ焼きを焼いている学生達>

その後、今年福島大学を卒業した神さんの話を聞きました。震災からずっと被災者の支援を続けていると聞き、本当に被災者の方にどんなケアをすれば良いかよく知っていて勉強になりました。
<福島駅で当時の話を聞いた>

震災の時間は四年前神さんが居た福島駅で黙祷し、当時どんな事をしていたかみんなで話し合いました。

夜はボランティア初日にいった環境分析研究所に行きました。そこでは学生たちが福島県の野菜を買って来て、本当に放射線の影響が無いか検査してもらいました。結果は全く含まれていませんでした。事故が起こった時は米や野菜に検出されていたそうですが、今では除染のおかげで安心して食べられるということでした。
その後、研究所の方にちゃんこ鍋をごちそうになりました。福島の国際交流の計画などの話を聞けて良かったです。

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