2018年9月30日日曜日

第54回福島の子どもたち米沢日帰りプロジェクト(米沢市役所の企画する田んぼアートの稲刈り体験に参加)

第54回福島の子どもたち米沢日帰りプロジェクトが、9月30日に開催されました。


この日はドイツからの留学生を含む13人で、米沢市役所の企画する田んぼアートの稲刈り体験に参加しました。


白米や黒米や紫米など種類別に収穫体験をしました。


ドイツから参加したデニツさんは田んぼにお米で絵を描くのを初めて見た!と大興奮でした。


小学生たち9人と一緒に稲刈り体験をしました。


直江兼続の400回忌ということもあり、武将の姿が描かれた田んぼを展望台からも見て稲刈りに合流しました。




稲刈り中に出てきた、バッタやカエルなどを捕まえて子どもたちは違う遊びになっていきました。



この日は3年前高校生の時に訪独したリンカさんや今年訪独したヨッシーさんと優花さんも合流し、デニツさんと一緒に子どもたちとの時間を楽しみました。


初めて稲刈りをする子どもも慣れない鎌を使って稲穂を収穫しました。


収穫した稲穂を結んで、干す作業も子どもたちで手分けして着々と進みました。


昼食は、芋煮と米沢米のおにぎりで満喫しました。



その後、稲刈りで土まみれになった体を小野川温泉でさっぱりして、公園へ行きました。


ワクワクランドでは、いろんな遊ぶところで、それぞれ遊んだ後は、みんなでケイドロをしました。


未就学児から大学生まで本気で走り周って楽しんでいました。


最後はみんなでバレーボールを楽しみ終了しました。

2018年9月28日金曜日

広島豪雨災害ボランティア6日目~7日目,及び報告会

10日は、呉市の一番甚大な被害を被った天応地区のボランティアセンターに行く予定にしていました。
しかし、前日の天気予報で今日は降水確率があったために、ボランティアセンターは休みの予定になりました。


朝起きたら快晴だったので、呉の甚大な被害の支援をしたいと、朝イチでボランティアセンターに行きましたが、やはり、社会福祉協議会としては前日の決定を踏襲するということで、休みでした。
同時に、熊本から車で昨晩呉に到着し、カラオケボックスで仮眠してボランティアに来た熊本大学生も途方に暮れていたので、その大学生も一緒に三原に向かいました。


前日に本郷地区の宮田さんと感動のお別れをし、募金を託したので、ちょっと恥ずかしい気持ちもありましたが、学生たちは、3日目の三原市のボランティアに入りました。
この日は、家の敷地内に流れ込んだ土砂の撤去をしました。


表面15cmくらいに残っている白っぽい土砂を除去していくと、下には茶色い土が出てくるので、その表土を削除して行きました。
この日ボランティアの活動をコーディネートしていた宮田さんは、お好み焼きや焼きそばを作っているお店を経営していたものの、発災後は店をしめて毎日ボランティアに奮闘して活動されているそうです。


そんな宮田さんの手作りの焼きそばを昼食には振舞ってもらい、午後も頑張って活動しました。
この日の作業は熊大宮大の学生たちが中心に約20kgの土嚢袋を約800袋除去しました。
16トンの活動は、この1週間の活動で最大となりました。


そして、16:00くらいにボランティアを終えて呉市に戻り、天応地区の社協の事務所に行き、ボランティアセンターで被災現場の地図をもらい、被災現場の見学フィールドワークをしました。
土砂が流れ家や車が流され悲惨な現場となっていて、惨状に学生たちは言葉を失いながら歩きました。


川沿いを歩いていた男性2人に声をかけると、進藤さんという方が、家の中を案内してくれるということで、訪問しました。
進藤さんの家はかなりの土砂が流れてきて、家も裏の工場も再建のしようがない状況となっていて、家の近くでも3人ほどの遺体が見つかったそうです。


発災からこの2ヶ月間の現状を聞くことができました。
多くを学べたこの被災地ツアーも終え、最後のミーティングの学生の感想を明記します。






わたる:今日は最終日という事で、行く前からやり残すことがないように出発しました。仕事は土嚢袋に土砂を入れる作業でした。熊本大学の人たちとも短時間で仲良くなって、協力してペアを組んで仕事をすることが出来たのでいい経験でした。


結果的に土嚢を800くらい作ることが出来て、頑張ったなあと思います。最後に宮田さんの話を聞いて、本当にこれから頑張っていく人たちもいるし、忘れちゃいけないことだし、もっと多くのボランティアの人が来るように、SNSや友達に伝えていきたい。


天応地区の進藤さんの話を聞いて、初めて土砂と日常のものがごちゃまぜになった家屋に入って衝撃的でした。生活感もあるし、一瞬でいつもの生活が崩れ去ったのがわかるし。当時の人の心の傷は計り知れないと思いました。


あの地域の復興へのまだ程遠い家がいっぱいありました。元どおりになるかわからないけど、早く多くの人が日常の生活に戻ることを願っています。
宮崎に帰っても、この経験を本当に他で経験できない経験をできたので努力していきたい。





ゆうだい:今日は熊本の大学生と一緒にボランティアをして、昨日、トイックを受けて広島に向かった話を聞き、素晴らしい。私にはできない。


今日はチーム踏ん張るさんと一緒に土砂を運ぶ作業をして、土嚢袋を800も作って大変だったが、今までにない達成感を得ることができた。僕たちの姿を見えなくなるまで手を振っている姿を見て感想。三原市をチーム踏ん張るさんと一緒にやれてよかった。


進藤さんのお宅を訪問して車が跡形もなく潰れて、柱が折れ曲がっている姿を見て、とても土砂が急に来てひどかったんだなあと思った。壁を見てみると、土砂が来たラインが分かって、自分の身長より高く怖かった。避難して田舎たら土砂に巻き込まれて亡くなっていたかもしれない。一瞬の判断が大事。


自分が体験したことを宮崎で100%わかってもらうのは難しいかもしれないが、写真を見せたりしながら話していきたい。少しでもここの状況を伝えていきたい。





あつし:今日は最終日ということで気合を入れて臨みました。1週間とおして、今日1日もめぐまれた出会いがあった。今日は、熊本大学のみなさん。小玉さんが声をかけなかったらすれ違っていただけの学生と一緒に活動できてコミュニケーションが取れて、1日でここまではできないだろうという量が出せたので良かった。偶然のきっかけが大きな力となった。


チーム踏ん張るとは一緒にいい仕事。宮田さんの思い、活動のかける情熱から刺激を受けることが出来て、とてもためになる時間でした。最後のお別れの時にTシャツまで用意してもらい、最後も見送ってもらい、メッセージもあたたかくて、ありがたいです。


進藤さんも小玉さんが声をかけていただいて、宮崎の僕たちのために家の中まで案内してもらい、当時の状況などをこまかく教えてもらいありがたかった。そのお話を聞いたり、家を見たときの感想は、今回、天応に行っていないのでしょうがないですが、あの地域に僕たちが何も出来ていないのが悔しく思う。


できることなら、その時から何かしたいと思うくらい悔しかった。けれど、僕たちは現地で活動するのは限界があると思うので、宮崎で出来ることを、今回の広島で刺激を受けて頑張ろうと思った気持ちを大切にして、活動を続けていきたいと改めて思いました。





デニツ:今日なんか一番良かった日と思います。今日の朝、全力で行く。今日終わった時、体が動かないくらい全力で行こうと思った。今日の仕事は、難しかった。土砂がいっぱいあって、大変だった。本当にやりたいことが今日はできたと思います。


今日の仕事は、やりがいのあった。ボランティアセンターでは休憩時間が多かったが、今日は来る前に想像したやり方で一生懸命やれるだけやり切れた。本当に僕の体の強さを使ってできたと思います。


熊本の皆さんはめっちゃ嬉しかった。みんな優しくて、俺たちを全然知らないのに、一緒に全力でやって頑張って笑って全部一緒にできたのが良かった。素晴らしい。1日だけでも素晴らしい。俺たちのチームの経験が多かったから、スムーズに活動できた。だけど、できる力をみんなで発揮してチームワークも良く。雰囲気も良くて、本当に良かった。


今日のリーダーさんのさよならの言葉が良かった。昨日に引き続き言葉をもらい、嬉しかった。台風のTシャツをあげたかった。嫌ですといった。そのTシャツは使ったら、そこで手伝ったと思うから来なかった。このTシャツを受け入れられて嬉しかった。このTシャツはプライドを持って、この1週間の経験を多くを話せる。


それから進藤さんの話の時、話を聞いて家を見て良かったと思った。今までもいろんな家を見たけど、あまりシチュエーションがわからなかったが、今日はパンもグラスもキッチンも、その時のままだった。存在したあの時の瞬間が怖かった。


本当に出会ったこととは違う。その体験は僕の想像を絶する内容だったと思います。72歳だけど、若者に体験を語ってくれて、少しだけだけど、働いてモチベーションを上げた。


この1週間は本当に良かった。1週間だけなのが残念です。この1週間で僕に大事な友達になって本当に素晴らしい人たち。全力で頑張って、全力で笑って、全力で冗談言って、出会ったのが嬉しかった。将来時間があったら、一緒にしましょう。将来一緒にボランティアに行きたい。


小玉先生にこの1週間で出来た経験のために感謝したい。将来でこのプロジェクトをやったら、ぜひ、バカなルールを持ってこない所を探した方がいいと思います。





翌朝11日、宮崎へ移動し、夕方に到着して終了しました。
帰路について、宮崎の民宿みさき荘の魏 敦祥さんから10,000円の寄付を貰いました。
サーフショップnewwaveの池田雄一さんから10,139円、募金箱に寄せられた支援をあずかりました。
東日本大震災、熊本地震、西日本水害などの支援に活用させていただきます。



宮崎に到着して翌日の12日に、広島水害ボランティア報告会を開催しました。
NHKとMRTに取材に来ていただきニュースでも報道されました。
今後ともご支援よろしくお願いします。
アースウォーカーズへの寄付は下記サイトからお願いします。
http://earthwalkers.jp/pg622.html




2018年9月9日日曜日

広島豪雨災害ボランティア5日目

2018.9.9. 広島ボランティア5日目
この日は昨日に引き続き、雨が降る中、降水量が増え広島県内のいくつかの地域で避難勧告も出ていました。


なので、ボランティアセンターは休みなのですが、三原市のNPOふんばるさんは、この日も状況を見ながら活動していました。
アースウォーカーズは午前中だけ合流して被災自宅の片付けを手伝いました。


本郷地区の一階の屋根くらいまで水に浸かった自宅の片付けのサポートに入り、まとまった人数で結構作業が進んで行きました。
終了後、宮崎大学の学生らが集めた41,883円の寄付をチームふんばるさんに手渡すことが出来ました。


当初、社会福祉協議会か被災自治体の市役所に渡す予定でしたが、休みなくやっているリーダーの宮田さんの献身さと住民の声に応えるために社協が手が届かない所にコツコツ支援をしている現状に感銘を受け、前夜のミーティングで宮田さんのNPOに募金を全額届けたいという事になりました。



宮田さんは涙ながらに受け取りながら、被災者の炊き出しの焼きそばの具材や、確実に被災者に届ける活動に使わせてもらいます。と快く受け取っていただきました。
その現場を後にして、三原市の温泉に入ったあと、広島市に向かい、平和を考える時間にしようと、原爆資料館と原爆ドームを見に行きました。



夜のミーティングではイラク支援中の高遠菜穂子さんも合流してイラクの現状を20分ほど報告してもらいました。
あらためて、平和とは何かを考えるきっかけとなり、広島に来てメディアだけで知ることができない現場状況を知った今。国際情勢も広く考えるきっかけとなり、改めて深まりました。





以下、学生たちのコメントです。



ユウダイ:今日は主に個人宅の釘抜きをやっていて、結構労力がいる作業だった。昨日、今日とチームふんばるのみなさんと一緒に活動して、地元が1日でも早く復興することを願っていることがよくわかった。チーム踏ん張るのみなさんに募金を渡せて良かった。今度、今度広島に来た時は三原市を再訪したいと思いました。


小学校中学校で原爆について学んでいた。長崎は行ったことがあるが、広島は始めて行った。高校大学で勉強しなかったので、頭から抜けていた。今回の資料館を見て原爆を体験した方の話は難しくなっている。自分が資料館で見たことや学んだことを、家族などに伝えることで原爆を忘れずにいることが大事。





わたる:今日は天候もよくなくて、ボランティアできるか心配だったのですが、結果的にボランティアで来て良かった。昨日やり残したことが今日はやりきったので、良かった。昨日やったぶんもあったので、コツを掴んで効率よくできました。


募金したお金を手渡すことを見てて、涙ぐむ宮田さんの思いの強さを感じることができて感動しました。ここに来る前の募金活動の努力も生かされたと思って良かった。
これから先は手伝いに行けないけど、出来るだけ早い復興を願います。


午後から平和資料館に行った。小中高で道徳の時間で平和について学んでいたが、時間が経って風化していて、今日改めて実感した。現状を細部まで思い出すことが出来て良かった。ぜったい繰り返しては行けないと思った。みんな大学の友達も同じだと思う。写真を見せたりして、発信して周りに伝えて行きたい。





あつし:今日は天候が悪く、避難勧告が出てて、ボランティアできて良かった。宮田さんは責任感から続けられてて、自分たちも避難しなければ行けない状況でボランティアやっていたので、本当にやって良かったのかという思いもありました。家の洗浄をするために釘を抜いたりする作業だったのだが、あらかた釘抜きは終わったので、少人数だったらなかなか進まない作業なので、自分たちが行っている間に行けて良かった。


募金箱を渡すに当たって、きちんと使ってもらえるところに渡したかった。宮田さんの思いを感じ、お金を受け取らず一生懸命やってきて、そういう方に渡せて良かった。
募金箱を渡すときも涙ぐんでて、握手も一生懸命握ってくれた。


僕たちは継続して被災地に続けて支援に行くことはできないですが、宮田さんに言ってたように、現地にの状況や被災者の思いを宮崎で伝えて行くことが大事。宮崎では僕たちにしかできないので、現地にする作業にくらべたら、地味な作業だが、被災地に行けない僕たちが出来る大事な活動だと改めて思いました。


僕は長崎県出身なので、同じ被爆した日に学校で考える機会がある。いろいろ見たことある資料。大学に入って他の県では8月6日9日に平和を考える集会をしないのが驚いた。そして、今日広島と長崎との違いを知れた。原爆の事や戦争の事を意識せず生活しているので、戦争や原爆を考えられて良かった。


さっきの高遠菜穂子さんの話も聞けてとても良かった。やっぱり、自分たちがテレビの情報だけで判断している自分がいて、よくないと思った。世界の情報はいろんな方向から見ないと正しく認識できない。今日はいろんな事を知っている人から聞けた情報は貴重な時間だった。





デニツ:今日は天気がめっちゃやばかった。昨日から疲れたから、あそこに行かないかも知れないと相談していた時にちょっとだけ喜んだ。行きたかったけど、行けなくても残念ではない。。。現場の皆さんは頑張り続けているけど、私は1週間だけだから、もっと頑張るべきだと考え直し、意識を変えた。


今日は昨日と同じ仕事をすると思ったから、ちょっと怖かったけど、聞いたとき、その人たちは家の中の仕事だけと言った。めっちゃ簡単だと思った。だけど、釘がいっぱいあったから、大変だった。難しい仕事じゃないけど多い量があったから頑張った。


篤志は今日、大学生が集めたお金を彼女に出した時に涙があふれていた。それは本当に心を動かされた。それを一緒に体感して良かった。大学生たちはそのぐらいの意識をもって集めたことはめっちゃかっこいいと思った。今日の広島のミュージアムは最初行く前にめっちゃ退屈になると思った。宮島に行きたかった。みんなが宮島の方が楽しいと言ってたので。。。だけど平和資料館に行けて良かった。みんな戦争は悪いと言う。


今日、読んだレポートはもう一回僕になんで戦争は悪いということを教えてくれた。文章の意味がわかることが大事だと思った。ミュージアムのところは知っていた情報だった。一番下のところはとても良かった。
そんなに話したくなかった。今日も頑張って、釘がほとんど無くなった。良かった。



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