今日は宮城県へ行きました。
最初は石巻市に行きました。
ここでは、在宅被災者の支援や子供達のサポートをしているBIGUPの原田さんにお話を聞きました。震災後、白黒灰色と町の景色は、色がなくなってしまったそうです。そこにペンキで明るい色を塗ったり、花を植えたりいろんな工夫をしていたそうです。
その後、木村さんのお話も聞きました。震災当時の様子を具体的に教えてくださり、すごく大変な思いをされていて、話されていた内容を想像すると、とても苦しくなりました。
次に南三陸町に行きました。まず、最初に行ったのは、防災対策庁舎です。津波が来ているにも関わらず、最後まで市民の方に逃げてくださいという放送を送っている姿をテレビで見ていましたが、実際に訪れるとすごく怖かっただろうなと複雑な気持ちになりました。
南三陸町で最も避難者が多かったベイサイドアリーナに行きました。ここの体育館の中に約1000人の方がダンボールで囲み避難していたという話を聞きました。窮屈な避難生活をしていると思うと、とても苦しくなりました。
最後に、南三陸町で先輩達がボランティアに入った歌津中学校に行きました。
当時の様子を話してくださり、保健室が病院になったり、教室がボランティアの宿泊場所になったりしていて、知らない人が学校にいるのが普通というのがすごく特殊だなと思いました。
明日はOFF日ということで私は仙台まで一人旅に行ってきます。
たくさんの場所を見て回ったり、ショッピングに行ったりしたいと思います。
文責:宮崎公立大 内田拓磨 3月12日
今日は宮城県を訪れ、「コスモスの家」というボランティアセンターを訪れました。そこで原田さんのお話を聞かせていただきました。コスモスの家はおもに在宅被災者の支援をしています。
そこで重要なのがやはり、コミュニティスペースの運営。泥出し作業を終えたあとは、公園の清掃をし、花を植えていきました。当時は白か黒か灰色しかなかった町並みに色を与えていきました。他にも夏祭りを開催したり、クリスマス会も催したりしました。
コスモスの家では、僕たちと同じ年齢の人も活動していて、僕の地元である静岡から来ている人も何人かいました。日本の各地から自分たちと同じ年齢の人がこうやって被災地で活動をしていることがうれしく、自分たちももっと頑張ろうという気持ちになりました。
<コスモスの家で活動する学生たちと交流>
旧南三陸町防災対策庁舎で、震災があり津波が来た時、最後まで町民の避難のために庁舎に残り命を落とした方の話を聞いたときは言葉が出ませんでした。当時の津波の被害の大きさを目に焼き付け、祈りを捧げました。
明日は自由行動の日です。自分がもっと見てみたいと思う場所を訪れ充実する日にしようと思います。
文責:松崎喜代治 被災地ボランティア八日目
南三陸や石巻が福島より進んでいるが、まだ復興はできていないと思った。いままで福島ばっかり見てたので、原発の影響で復興してない福島と事故の影響が無い所でもまだまだ復興は始まったばかりだと思いました。
<被災したガソリンスタンド>
途中旧南三陸町防災対策庁舎に行きました。そこは津波が来るまで防災無線放送を続けて亡くなられた女性職員の話で有名な所です。庁舎を実際に見て津波の破壊力を思い知らされました。
<南三陸町防災対策庁舎>
その後にコスモスの家に行きました。そこで活動をしている原田さんという方から話を聞きました。
原田さんは被災者が支援に依存しないように、自立を促してニーズを対応して行くという難しいことをしていてすごいなあと思いました。
<被災した家屋>
歌津中学校のあべさんの話で、仮設住宅から通っている子どもたちが多いと聞いて驚きました。原発事故の近くでは家を再建する事が出来るが、影響が無い場所では完全な天災なので、自費でやらないといけないので大変だと思いました。当時の状況を聞いて支援物資等の救援は三日間経てば来ると言われたのが印象に残りました。
文責:田中さやか
今でも真新しい花が手向けられているのを見ると忘れられていないとうれしくも感じました。
<防災対策庁舎で線香を供える一行>
防災対策庁舎を訪れた際に津波でなくなった方たちのことをずっと考えていた。鉄筋だけが残された状態で津波の威力を物語っていた。ここは、絶対に壊れないように設計し建てられた場所。そこにいた誰もが安全と思い込んでいたのか。住民のために最期まで戦っていた人たちが津波に飲み込まれていった場所。まだ見つからない方もいる中、残された家族は今何を思うのか。様々な立場の人がそれぞれの思いをめぐらせる場所。そんな場所に私は来たのだと思うと...。もう二度とあってほしくない、そう思いました。
<防災対策庁舎>
私はこの建物を見て屋上にのっぼって海のほうを見てみたいなとふと思いました。私は海を眺めていました。
<石巻にて>
ここに書いてある《がんばろう!》という言葉。普段よく使用しているこの言葉だが、この地に立ってみるとすごく重たいものに感じた。
<コスモスの家にてBIG UPの原田さんにお話をうかがった>
自立できる明るいまちをつくるために石巻の最前線で活動している方の声はこころに響きます。
文責:田渕亮丞
今日は宮城に行き石巻と南三陸を視察しました。まず石巻のピースボートに少しだけお邪魔しました。
そこではヘドロの掻き出しなど当時の写真がたくさん飾ってありました。林さんという方にお話を伺い、今は仮設きずな新聞を配って被災者の現状を聞いたり、イマ、ココプロジェクトといって一週間漁師の方の家に泊めて頂き、震災の話を聞いたり、一緒に作業などをしているということを聞きました。とても熱意がこもっており、感動しました。
次にBig up 石巻で頑張っている原田さんのところへ行きました。そこでは在宅被災者の支援活動の難しさや家が津波で半壊や全壊でないと仮設には入れないという事、ボランティアをやる上での注意した方がいい事などたくさん教えてくれました。
最後に歌津中学校の先生にお話を伺いました。中学校の下にあった小学校は仮設で埋め尽くされており、とてもかわいそうに思いました。歌津中に行った時は下校時間で、8割の生徒がスクールバスで帰っているというのを聞きました。福島では当たり前となっている現状が本当に恐ろしくなりました。ボランティアに来ている方で、当時ボランティアをした証明書が欲しいと言って訪ねて来る人がいると聞きました。本当に人を助けたくて来たのか分から無いとおっしゃっていて、ボランティアに来ている人にもいろいろあるという事が分かりました。
文責:遠矢聖仁 被災地ボランティア8日目
今日は早朝に笹谷仮設を出発し、宮城へ向かいました。
まずは石巻のピースボートでお話をうかがいました。気になったのは施設内に置いてあった『仮設きずな新聞』です。仮設住宅の方々に配る、生活の知恵やイベントや様々な情報などが書かれた手作り新聞でした。
〈仮設きずな新聞〉
配るのが目的で時はなく、コミュニティーの形成としての意味合いが強いという言葉が印象的でした。
抽選で仮設住宅に入り、隣に誰が住んでいるかも分からない状況の中で、一軒一軒扉を叩いて、集会所で行なうイベントに来てくださいとの呼びかけて回ること自体に意味があるということをおっしゃっていました。
現在では、毎月10日と25日に発行されています。
震災から4年が経った今でも、仮設に住む方々への細やかな支援を素敵に思いました。
また、在宅被災者の支援や、子どもたちをサポートするコスモスの家を運営している原田さんのお話を聞きました。
津波に襲われモノクロームになった街に、たくさんの花を植えたり、公園の遊具に色を塗ったりと、彩りを与えていて、景観的にはもちろん、住む人たちの心も明るくしている活動のように感じました。
また、自分たちがいなくなっても、石巻に住む人たちだけで自活出来るようにならなければ意味がないということを仰っていて、与えるだけでなく人材育成もしているなど、NPOだからこそできる支援の形を感じました。
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