今日は、懐かしい面々に再会出来た日でもあり、その方々からさまざまな思いを聞かせていただくことができた。放射能がもたらしたさまざまな苦悩の日々を聞くこととなった。
また、福島大学の災害ボランティアセンターにも行って福島で今すべきボランティアの形などを鈴木先生がたから聞き学んだ。
また、午後からは、宿泊場所とさせていただいている笹谷仮設の方々や、福島大学の災害ボランティアセンターの学生たちとの交流会をした。
たくさんの出会いがあった。たくさんの話を聞くことができた。
管野さんという方のあついお話に涙もした。
笹谷仮設
飲んでいるからこそ言うことができるんだぞっといって私にだけ話してくれたこともある。仮設の方々は、つらい顔は見せない。飲み会などをしてわずかな楽しみを味わっていた。
仮設のお風呂を利用させてもらったことがある。壁に体を寄せて、片手を伸ばすと壁に手が届いてしまうほどの狭さだった。お風呂には窓もない。田舎の実家に暮らす私には、狭すぎてこれが毎日続くと思うと耐えられないほどだ。学生の一人暮らしだろうかと思うほどだ。
今まで築き上げてきたものがあっただろう暮らしとは程遠いものがある人は少なくないはずで、とてもじゃないが良いものであるとは決して思えない。本当につらいものがあると思う。
文責:宮崎学園短期大学 2年 田代茜
お母さんと一緒に幼稚園までお迎えに行きましたが、その幼稚園は園庭の樹を除染したために樹皮がはがれていました。
お昼ご飯をいただきながら、お母さんたちからお話を聞きましたが、入れ替えた砂の方が線量が高かったこと、私立の幼稚園と公立の保育園とでは対応に大きな差があることなど、日々不安を抱えながら生活を送っているそうです。
そのあと、福島大学の災害ボランティアセンターを訪れ、顧問の鈴木先生、GMの菅野さんのお話を聞きました。これまでの足湯活動に加え、企業とコラボしたJOYBEATという体操や居住型ボランティアなど、被災された方に寄り添った支援を行っているそうです。
特に印象的だったのが、居住型ボランティアです。震災から時間が経つにつれて、仮設住宅の過疎化や高齢化が問題となっている今、一期を3ヶ月として仮設の空き部屋に実際に住み、居住者との交流をはかる、というものです。実際に聞いた話ですが、仮設の近くに住んでいる方は、なかなか仮設の方と交流する機会がないそうです。「ボランティア」という肩書きがないと、仮設に足を運びにくいのかもしれません。
仮設の使用目的に適っているか、選考をどのように行うかなど課題は山積みのようですが、原発の影響でなかなか故郷に戻れない方が大勢いる福島では新たな支援として必要なのではないでしょうか。
夜は26日から始まる「福島の中学生ケアンズリフレッシュ企画〜ホームステイ体験inオーストラリア」参加者とその親御さんを対象に事前説明会をしました。私自身、初めてのホームステイになるので、参加者からの質問にうまく答えられないこともありましたが、小玉さんにフォローしてもらいながらなんとか終えました。
オーストラリアプロジェクトまであと10日!自分にできることを最後までやり遂げたいです。
文責:宮崎学園短期大学 2年 田代茜
昨日の米沢プロジェクトの疲れがあり、今日はゆっくりとスタートしました。起きたら全身筋肉痛という悲劇でした。
福島の子供達宮崎に来んねキャンプに参加していただいた保護者の方と交流しました。
元気よく遊ぶ子供達の姿を久しぶりに見て、とても懐かしく、たくさん遊んだり、保護者の方とお話しすることができました。その中でも、不安を話されていて、安心して生活する難しさを知りました。
今回、福島の子供達宮崎に来んねキャンプでお会いすることができなかった方もいますが、また会いにいきたいと強く思いました。
その後、福島大学の災害ボランティアセンターの鈴木先生と学生の話を聞くことができました。
東日本大震災がおこってすぐにボランティアセンターを作り、仮設住宅に訪問し、足湯を行うなどいろんな活動をしています。メンバーは300人を超える人数で活動しています。
(福島大学の学生、先生と交流)
この話を聞き、もし宮崎でこの地震が起きた時にこのようにすぐに活動をスタートし、たくさんの人数を集めることは、難しいなと感じ、改めて、福島大学の素晴らしさを感じました。
この後は、宿泊させていただいている仮設住宅や福島大学の学生との交流がありましたが、私は、宿泊先に先に戻り、ゆっくりと過ごしていました。
文責:田渕亮丞
今日は来んねキャンプに参加してくださった3家族とお会いしました。
はじめに郡山に向かいました。郡山の市街地では未だ除染活動をしていて、4年たっても人通りの多いところの除染が終わってない遅さが気になりました。本当に深刻な状況が続いているということを改めて思い知りました。
昼ごはんは参加者の方と一緒に食べに行きました。子どもたちがとても興奮していて楽しそうでした。いろんな話をしていく中で子供の幼稚園の砂の入れ替えで、もっと線量の高い砂が運ばれてきたと聞き、対応のいい加減さが印象的でした。
顧問の鈴木先生に話を伺い、ジョイビートという健康体操を仮設に行き、一時間やっていると聞きました。1000ほど体操の種類があり、ラジオ体操と違い飽きずに楽しめるから、仮設に引きこもりがちな人を外に呼べ、深くいくと関連死を防ぐことも目標にしているそうです。
中には学生が企業と協力していることに興味を持ってくれる人がいると聞きました。
一番印象的だったのが、支援される人という枠組みに飽きたという言葉でした。鈴木先生は本当に被災者の方達に寄り添って、一緒にいろんなことに取り組んでいるということが伝わりました。
文責:宮崎大学 1年 川島美咲
今日は2月に開催された、福島の子どもたち宮崎に来んねキャンプに参加してくださった方とお会いして、ランチをしました。お母さんと一緒に幼稚園までお迎えに行きましたが、その幼稚園は園庭の樹を除染したために樹皮がはがれていました。
<高圧洗浄機によって樹皮のはがれた樹> |
そのあと、福島大学の災害ボランティアセンターを訪れ、顧問の鈴木先生、GMの菅野さんのお話を聞きました。これまでの足湯活動に加え、企業とコラボしたJOYBEATという体操や居住型ボランティアなど、被災された方に寄り添った支援を行っているそうです。
特に印象的だったのが、居住型ボランティアです。震災から時間が経つにつれて、仮設住宅の過疎化や高齢化が問題となっている今、一期を3ヶ月として仮設の空き部屋に実際に住み、居住者との交流をはかる、というものです。実際に聞いた話ですが、仮設の近くに住んでいる方は、なかなか仮設の方と交流する機会がないそうです。「ボランティア」という肩書きがないと、仮設に足を運びにくいのかもしれません。
仮設の使用目的に適っているか、選考をどのように行うかなど課題は山積みのようですが、原発の影響でなかなか故郷に戻れない方が大勢いる福島では新たな支援として必要なのではないでしょうか。
<福島大の先生と学生との交流> |
オーストラリアプロジェクトまであと10日!自分にできることを最後までやり遂げたいです。
文責:遠矢聖仁
被災地ボランティア12日目。
今日は、昨日の雪遊びが体に響いたのか、全身が筋肉痛で、雪国の恐ろしさを体感しました。
お昼は来んねキャンプに参加してくれた子どもたちと再会して、一緒にご飯を食べました。相変わらずの元気さにほっこりしていました。
お昼は来んねキャンプに参加してくれた子どもたちと再会して、一緒にご飯を食べました。相変わらずの元気さにほっこりしていました。
《来んねキャンプ参加者との再会!》
午後は福島大学の災ボラの鈴木顧問とGMの菅野さんのお話を聞きました。
印象に残っているのは『いるだけ支援』のお話です。
以前に少し聞いた時には、過疎化の進んでいる仮設住宅に大学生を住まわせることで、
子どもたちからすると遊び相手や勉強の先生になり、お年寄りからすると孫のような話し相手になるということで、仮設住宅に活気を取り戻す手段となると言うことを聞いていました。
《災ボラでお話を聞きました》
今日のお話の中で特に印象に残っているのは、
このいるだけ支援は、『支援する』というよりも、『次のステップに進む自立心をサポートする』という意味合いの方が強いということです。
東日本大震災での復興へのステップとして、避難所→仮設住宅→復興住宅→自立再建という段階があります。
そのそれぞれに同時並行して支援しなければなりません。
どの段階でも、まず最初の課題はコミュニティ作りとその維持です。
仮設住宅から復興住宅への移動は抽選で決まるため、当選することに喜びは感じるが、
せっかくそこで出来上がった繋がりやコミュニティは、また0から作り直さなければならず、仮設住宅ではあった自由やサポートもなくなり、また新しい問題も起こってきます。
復興というのは『何かを失って、何かを手に入れる』ものだとおっしゃっていました。
《仮設住宅での交流会》
一歩一歩の前進だが、やることは毎回同じことの繰り返しということを聞きました。
福島の復興は30年かかると言われていますが、原発や放射能の直接的な問題はもちろんのこと、
僕たちの見えない部分で起こっている問題は山ほどあるなと改めて思いました。
文責:内田拓磨
今日は午前は先月の来んねキャンプの参加者の方と会い、その人の子どもが通っている幼稚園にも入らせていただきました。幼稚園を訪れ、まず目に付いたのが、放射線の線量計でした。子どもたちが楽しそうに遊んでいる中に佇む線量計というのは、宮崎ではまず見られない光景だったので、とても印象的でした。
園庭にある大きな木も、放射能の除染の影響で樹皮が剥がれており、痛々しい状況でした。子どもたちが、放射線が残った部分に触れないようにと、高圧洗浄機で削られたそうです。幼稚園を訪れたあとは、来んねキャンプ参加者の方と昼食を食べました。お店に向かう途中でも、除染作業をしている人を見かけました。四年経った今でもまだ安心して暮らせる環境ではないのだなと感じました。現地の方は、除染している場所に対して疑問を感じているそうです。
その後には、福島大学へ行き、災ボラの顧問の方や学生のお話を聞きました。福島大学では、実際に学生が仮設住宅に住み、そこでいろいろな人と交流を図ろうとしているということを話してくださいました。大学生は、小さい子どもからは頼れるお兄さんやお姉さんのような存在であり、保護者の方からしたら、息子娘のような存在です。そんな学生にしかできない支援を考えていてすごいなと思いました。
福島大学で話を聞いた後は、仮設住宅に戻り交流会の準備をしました。宮崎の地鶏を取り寄せて焼き、仮設住宅の方に食べてもらいました。美味しいと言って下さりとても嬉しかったです。
交流会が行われた笹谷仮設住宅は、他のところに比べ人も多いのですが、交流会に参加してくれた人の数は少なかったように感じます。これからも学生たちを中心にコミュニティ作りをしていかなければと思いました。
福島大学の学生も交流会に参加していただき、交流の輪が広がった一日でした。
今日は午前は先月の来んねキャンプの参加者の方と会い、その人の子どもが通っている幼稚園にも入らせていただきました。幼稚園を訪れ、まず目に付いたのが、放射線の線量計でした。子どもたちが楽しそうに遊んでいる中に佇む線量計というのは、宮崎ではまず見られない光景だったので、とても印象的でした。
<幼稚園に置かれた線量計>
その後には、福島大学へ行き、災ボラの顧問の方や学生のお話を聞きました。福島大学では、実際に学生が仮設住宅に住み、そこでいろいろな人と交流を図ろうとしているということを話してくださいました。大学生は、小さい子どもからは頼れるお兄さんやお姉さんのような存在であり、保護者の方からしたら、息子娘のような存在です。そんな学生にしかできない支援を考えていてすごいなと思いました。
福島大学で話を聞いた後は、仮設住宅に戻り交流会の準備をしました。宮崎の地鶏を取り寄せて焼き、仮設住宅の方に食べてもらいました。美味しいと言って下さりとても嬉しかったです。
交流会が行われた笹谷仮設住宅は、他のところに比べ人も多いのですが、交流会に参加してくれた人の数は少なかったように感じます。これからも学生たちを中心にコミュニティ作りをしていかなければと思いました。
福島大学の学生も交流会に参加していただき、交流の輪が広がった一日でした。
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