2015年3月26日木曜日

2015春被災地ボランティア14日目

まだ福島に残っている学生と宮崎に6名帰った学生がいるので、2週間を振り返っての感想と現地に残る学生が今日の活動を報告します。

文責:田代茜
今日は、昼にキワニスクラブというたくさんの企業の社長さん達が集まる会に参加させていただきました。そこでは、有朋高等学院の校長先生のお話をお聞きしました。その中で、全て、運で決まるというお話で、運はどこにでも転がっていて、そこに気づくか、気づかないかとおっしゃっていました。この運は、努力をした人のみということも言っていて、努力は成功しているとは限らない。しかし成功している人は、全て努力しているという話を交えながら話をしてくださいました。私自身この話を聞いて、思い出すものがたくさんあり、もっと考えていくことが重要だなと思いました。

最後にキワニスクラブで2週間を振り返って話をさせていただきました。

(2週間を振り返って話をする様子)

この2週間を振り返って、一番に感じたことは、自分の目で見て確認することの大切さです。たくさんの情報がある中で、どれが本当なのかを確認し、自分の意見を持つことが大事だということに気づきました。このほかにもたくさんの気づきがあり、これは話を聞いたり、テレビで見たりするのではなく、実際に行ってみなければわからないことばかりでした。

最も印象に残っていることは、浪江町の復興祭です。前日に浪江町を視察し、町の様子がわかっていて、そんな中でも強く生きていることを実感しました。当時は、悲しい事ばかりだったと思います。今も続いていると思います。しかし、明るく笑いながらすごしている姿を見て、困難は乗り越えることができるんだなとその元気な姿に感動しました。

(復興祭での様子)

現地にいってこれまでにないくらいの情報量でしたが、その一つ一つを知って興味を持っていく様子が自分の中でもわかりとても楽しくなりました。知ることは面白いと感じます。今後は勉強に応用しながら、自分自身を高めていきたいと思いました。

今回の2週間の被災地ボランティアは、すごく勉強になりました。また、新しい気づきもたくさんありました。これから、たくさんの人に宮崎で話し、福島での現状を話していきたいと思います。


支援してくださる皆様、本当にありがとうございました。この被災地ボランティアに行けたことに本当に感謝いたします。

文責:宮崎大学 1年 川島美咲
今日は福島市内の仮設をでて、お昼にキワニスクラブに参加しました。有朋高等学院の校長先生のお話を聞いたほか、私たちもそれぞれこの東北ボランティアについて話をさせていただきました。臨床心理を学んでいらっしゃった先生で、物事の見方について伺いました。
<ものの見方についてのお話>
「アリとキリギリス」の話はみなさんご存じだと思いますが、その矛盾点にお気付きの方はどれほどいらっしゃるでしょうか?
キリギリスは冬を越せない虫なのです。冬が来ると死んでしまうキリギリスにとって、夏の間一生懸命働いて冬のために蓄えることは意味あることなのか?
先生が小学生のころそのように感じたそうです。
一度気づいてしまうと、疑問ばかり浮かんでしまいました。

その後、福島駅でみんなと別れ、南相馬市原町区のカリタス原町ベースに向かいました。
これまで大勢で活動していたので急に一人になったことに心細さを感じながらの移動でした。
夏にもお会いしたシスターや職員さんにも再会して夕飯をいただきました。


明日は社会福祉協議会のボランティアセンターで活動します。明日から寒くなるみたいなので体調には気をつけたいです。

文責:松崎喜代治

被災地ボランティア14日目
今日は、昼にキワニスクラブというたくさんの企業の社長さん達が集まる会に参加させていただきそこで有朋高等学院の校長先生のお話をお聞きしました。その中で印象に残っている話は強い人の弱い人の差は何でしょうか、という話した。強い人は自分の弱点を把握していて、弱い人は自分の弱点が見えず、自分の強い所しか見えていないと言う話でした。これからの生活に活かしていこうと思いました。
<振り返りを話す様子>

この二週間を通して感じたことは、実際に現地に行って情報を収集することの大切さです。実際に宮崎にいる時と比べ被災地にいる時の方が震災、原発事故に関する情報をたくさん入手することができました。
最も印象に残っていることは、福島県には未だに津波の爪痕が残っているところがたくさん残っていることでした。隣の宮城県では工事車両がたくさん現地に入っているのに対して、福島県では人がいない場所があり、復興に対する温度差を感じました。
<ガレキの写真>
ほかにもこの二週間で貴重な体験を沢山体験することができました。支援してくださった皆様、本当にありがとうございました。このたいけんを今後しっかりと活かしていきます。




文責:田渕亮丞

今日は二週間の被災地ボランティア最終日でした。昼からキワニスクラブといういろんな会社の社長さんが集まる会に参加させていただきました。そこで有朋高等学院の校長先生のお話を聞きました。面白い話をたくさんしてくださり、中には目からウロコのような話がありました。
そのあとにアースウォーカーズから小玉さんと被災地ボランティアに来ている7人が話しました。
2週間でそれぞれ印象に残ったことや思ったことを話していました。
多くの方に福島の現状を知ってもらうことができたと思うので良かったです。

<キワニスにて>



この2週間の被災地ボランティアを終えて、現地に行かないとわからないことがたくさんあると思いました。福島では毎日原発の状況がテレビで流されているが、被災地以外の都道府県では今や3.11の日に近づかないと報道されなくなりました。
震災から4年しか経っていないのにもう風化が進んでいることに恐怖を感じます。二度と繰り返してはいけないのに再稼動が進んでいるところもあります。
原発は過疎化が進んでいるところに建て、働き手が来て地域が活性化するというメリットがある一方、事故を起こすと甚大な被害がもたらされます。しかし、原発を立てるかはその地域次第ということになります。まるで政府に爆弾を落とされているかのように思います。そうならないためにも私たちが被災地で見て、聞いて、感じたことをいろんな人に伝えていかなければならないと思います。




文責:田中さやか

今日は、キワニスにてお話を聞いたり、福島について自分が思ったことをスピーチしました。
私が今回福島県に行って心に一番残ったことは、"みんな全然いつもつらい顔、悲しそうな顔少しもしないけどな、もうあれから4年経っただろ、みんなあきらめてんだよ、ここの暮らしはお世辞にもいいものとは言えないし、元に戻して欲しいって思ってるんだ本当はな、けどな、そんなこと言っててもしょうがない、はじまんないんだよ。みんなそう思ってても言わないよあきらめてんだよ。"っておっしゃっていた人の言葉だ。

その方は、私をたくさん笑わせてくれて、笑顔にしてくださったとても明るくておちゃめで優しい方でした。

その方は、"私たちボランティアできた人たちが仮設に来ることを本当に嬉しい、ここの仮設に来てくれた人たちはみんな幸せになってもらいたいって思ってんだよ"っておっしゃってくださって本当に嬉しいかった。

でも、そんな仮設住宅で暮らす人々には宮崎からでは私は何ができるのだろう…と自分の無力さも痛感させられました。

でも、"また大学卒業するまでにここに来なって"っておっしゃってくださってとても嬉しかったです。
その方には人生についてたくさんのことを語ってもらって自分の中でものの見方が変わった気がします。
また、いつか大学にいるうちに恩師に会いに行くみたいな感覚で福島に行こうかなって思ってます!

<キワニスでの集合写真>




文責:内田拓磨
今日は被災地ボランティア最終日でした。朝に仮設住宅を出発し、福島駅近くのホテルにて行われたキワニスクラブに参加させていただき、この二週間を振り返らせてもらいました。

今回、初めて被災地へ行ってみて、 テレビを見ているだけでは決して知ることができないことを、見て聞くことができました。印象に残っているのは浪江町の風景です。震災から4年経った今でも、町の復興はされておらず、人の影も一切無いのですが、建物は4年前のままという光景が忘れられません。

<震災当時のままの浪江町の建物>

他の町を車で走っているときも、放射線物質が詰められた黒い袋や、放射線の線量計が多く見られ、現地の人は不安の中生活をしていました。しかし、そんな中でも自分たちにできることをして町を明るくしていこうとする人たちもたくさんいて、彼らの前向きな姿勢にとても感動しました。

今回のボランティア活動を通して、現地の学生や仮設住宅の自治会の人たちなど、たくさんの方と関わりを持つことができました。その人たちも、自分たちに何ができるかを考え、町や人を明るくさせるため精一杯いろんなことに取り組んでいました。彼らの話を聞き、僕たちも遠く離れた場所でもできることをやっていこうと思いました。

宮崎に戻ったあとも、今回見て感じたことを伝えていき、4年前起こった震災のことをみんなが忘れないようにしたいです。また、これからも被災地ボランティアを続け、多くの学生に被災地の現状を自分の目で見てほしいと思います。

この二週間はとても充実して、たくさんの貴重な体験をしました。支援してくださった方々、現地で話を聞かせてくださった方々には、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。




文責:遠矢聖仁
被災地ボランティア14日目。
今日はキワニスクラブという、たくさんの社長さんたちが集まる集会の場で、この二週間を通しての報告をさせて頂きました。今回の被災地ボランティアでは毎日のミーティングはもちろんですが、このような外部の方にもアウトプットする場をたくさん設けて頂き、充実した毎日を過ごしながらも、気持ちを言葉として落とし込む作業も並行してできたように感じます。

今回の被災地ボランティアは、私にとって2回目の被災地訪問でした。前回、昨年の夏休みに2週間ボランティアに来た際には、目から入ってくるのは衝撃すぎる光景、耳から入ってくるのは専門的な用語混じりの地域によって異なる問題など、新しい情報に溢れていて、整理が追いつかず、とにかくメモを取ったり、全てを写真に収めようと必死でした。
そういった意味では、今回は比較的落ち着いた気持ちで、毎日の行程に従事することができました。
そんな中で、震災から今日で4年もの月日が経過しましたが、原発付近の地域の作業はもちろん、仮設住宅の過疎化や人が避難してしまった地域の再生など、時間が経ったからこそ浮き上がってきた問題も数多くあることに気づきました。内部に入らなければ見れない現状、知れない情報を、被災地に来ていない学生よりは確実に身につけたと思っています。
福島の内部でも被災地として風化してきている昨今、宮崎を始め、他の県の人に常に頭に置いていて欲しいというのは難しいのかもしれないけど、それでも自分の周りの人たちからでも、私が感じたことを伝えていかなければならないと、使命感を感じました。

また、伝えるだけでなく、大学生だからこそ動けることもあると思います。
福島大学の災ボラでは、現在でも、『足湯』などの継続的な活動をしていくとともに、『いるだけ支援』のような新しい試みも始めようとしています。
遠く離れた宮崎からでは限られているかもしれないけれど、福島の人たちのために何ができるのか、
そして、同等の災害が起こったときに、宮崎大学の中でアースウォーカーズというサークルがどこまで災ボラのように機能できるのかなど、『福島で起こった震災』ではなく、近い将来自分たちにも降り掛かる可能性のあることとして、学生の目線で話し合っていきたいと思いました。








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