今日は、活動としては最終日でした。朝は、大家さんという女性にお話を聞きました。この方は、震災後しばらくは母子避難をされていたそうです。福島に戻ってきてからも、放射能に関してやはり不安を持ち続けていました。子供達が外で遊ぶと鼻血を出してしまったりしていたそうです。しかし、放射能について何か発言する事で誰かを傷つける事になるかもしれないという恐怖もあり普段はあまり話す事はないそうです。今日お話を聞いている間も、子供が外で遊びたいと訴えていました。遊び盛りの子供たちが十分に外遊びが出来ないのはやはりかわいそうでした。
午後からは、浪江町の方たちが避難している笹谷の仮設住宅にお邪魔しました。
そこで、初日に浪江町を案内していただいた熊田さんと、来んねキャンプに参加していたお母さんにお話を聞きました。震災当初は、地震や津波の被害、原発の被害があり、今の仮設住宅に入るまで何回も避難所を変わったそうです。さらに、まだまだ元の場所に住めるようになるには時間もかかるそうです。震災当初、正確な情報が入ってこず、本当に苦しかった様子が伝わってきました。やはり、多くの人に正しい情報を伝えていけるようなシステムの必要性も感じました。
その後、二本松市の真行寺で住職をしながら、幼稚園理事、NPO法人の代表をしている佐々木住職にお話を聞きました。
震災当初、お寺に避難していた何家族かを原発事故を受け避難させたこと、幼稚園での放射能対策、そして佐々木住職の原発に対する思いなどを熱く語っていただきました。幼稚園のそばには山があり、線量もまだ高いため、毎年落ち葉をしっかり集めたり、山と園庭の間に放射線予防の壁を作り、そこを子供たちの運動不足解消につながるように登れるようにしたそうです。やはり、震災以降外遊びが制限されているため、子供の運動不足は深刻化しています。このような対策が少しずつ役に立てばいいなと思います。
また、佐々木住職に、「人との出会いは大切」と言われました。今回のボランティア期間中にも多くの方に出会いました。これからも多くに方に出会っていくと思うので、ひとつひとつの出会いに感謝していきたいです。
被災地ボランティア 9日目
文責:宮崎大学 1年 森谷尚之
今日は、午前中に大内さんにお話を伺いました。震災後、母子避難をされていましたが、子どもに精神的な影響があったため福島に戻られたと聞きました。ですか、外で遊んでいたら謎の鼻血が出るようになったとか野菜などに放射線が付着していて子どもに悪影響を及ぼすのではないかと考えるようになり、日々辛い生活を今も過ごしていると泣きながら訴えていました。その場に大内さんの4歳の娘さんもいたのですが、ずっと「おそとであそびたい!」と言っていて、外で遊ばせたいけど、必死に誤魔化すように「ダメよ。」とやりとりしている様子に原発事故がなかったらこんなやりとりをすることもなかっただろうに、もっといっぱい外で自然に触れていろんなことを知って成長に繋がっていけるだろうに、と思いました。また、5年経って原発事故の影響を心配する人が年々少数化しているらしく、過去に嫌な思いをさせた経験もあり自分の思いをあまり周りに言えれない、ということも聞き、辛いなと感じました。
その後、笹谷の仮設住宅に行きました。初日に浪江町の送迎をしていただいた熊田さんと2月の保養キャンプに来たお母さんにお話を伺いました。震災の時のことを本当は思い出したくないと言っていましたが、ちょうど地震が起きてからのことを鮮明に話してくれました。何度も避難場所を変えられ、「死にたくなければ別の避難所に行ってくれ。」とも言われたみたいです。津島の森にいろいろな動物がいてその動物たちには多量の放射性物質が付着している現状があって、制限解除してもこんな状態じゃ、絶対に帰りたくても帰れないと原発事故にとても強い思いも受けました。
その後、二本松市の信行寺の住職であり、幼稚園の理事、NPO法人の代表されている佐々木住職にもお話を伺えました。震災の年に幼稚園で七夕発表会をした時にそれぞれ子どもたちが願いをしたら「原発なくなれ!」「放射能なくなれ!」「外で遊びたい!」といった願いがたくさんあったみたいでとても驚きました。そんなに子どもたちに大きな影響があったのだと感じました。また、粉ミルクにセシウムが入っていた問題で、そのメーカーは子どもに悪影響を及ぼしていたと批判されたが、佐々木住職は「そのメーカーもある意味では被害者なんだ。」という言葉もおっしゃっていました。それほど、原発事故は大きく長く影響が続いていくものだと改めて感じました。
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