2023年8月12日土曜日

【福島の高校生5日目はベルリンで広島原爆投下記念式典】

朝からふくもとさんと合流して記念式典会場に到着。
広島原爆投下を繰り返さないと毎年開催されている企画で数百人の方が参加する中、沖縄出身の方の三味線でスタートし、ベルリンの平和協会の方のスピーチ、元ドイツ軍兵士のスピーチなどが続き、福島の高校生たちの出番となった。
今年は祐太のスピーチが選ばれ、この場所ではご高齢の方が多く英語でのスピーチしても伝わらないという事もあり、日本語での要約したスピーチをしてそれをドイツ語で通訳してもらうという形で進んでいった。
小学校のころ避難先の学校で福島出身ということで辛い思いをした事、そのあと福島に戻り中学校の時に汚染水を海洋放出する話が出て、小学校の時のような事が起きるのではないか?と汚染水を流して欲しくないと思った事、そして福島のフルーツはとても美味しいからそれを使ったパティシエになりたいと思っている事などを語り、日本から遠く離れたベルリンの地で広島の惨劇を繰り返して欲しくないと毎年このようなセレモニーをしていることに感謝している話で締めくくり拍手喝采でした。
最後に国会議員のスピーチがあり、高校生みんなで鳩を飛ばすセレモニーを行いました。
終了後多くの人に寄付をいただき317.5ユーロ集まりました。
ありがとうございます。
その時の模様は下記YouYubeで配信動画が見れます。
1時間01分くらいから福島の高校生のスピーチが始まります。

主催団体のYouTubeは43分から高校生たちが登壇してスピーチ。
他の団体や合唱などが終わって1時間12分くらいから鳩を飛ばします。

途中の駅でランチを済ませ、涙の宮殿へ。
東ドイツと西ドイツの移動するためのパスポートコントロールしていたところで、東西ドイツの負の歴史、そしてベルリンの壁崩壊へと歴史が動いた明暗をパネルや映像を見ながら学びました。
そのあと世界遺産になっているベルリンの壁へ。
もともと数メートルの壁1枚だったのだが、乗り越えて西側に行く人が出てきたので、東ドイツ側にもう1枚壁を作り、2枚の壁を乗り越える必要があった。1枚目と2枚目の間を走っている間に射殺された人も少なくなく、当時亡くなった人たちの写真や年齢などをみながら重みのある歴史を振り返る時間となりました。
その壁が見渡せる展望台にあがり、当時、仕事で東ドイツに住んでいたふくもとさんが当時の東ドイツの体験を話してもらいました。
そのあと、西村さんも合流してカフェに行き、ふくもとさん、西村さんを囲んでエネルギーの話や福島の汚染水の話、ドイツの生活の話など多岐に渡り語り合いました。
最後の帰路は美波、祐太の案内でなかなか遠回りしながら苦労しましたが、なんとかホテルに到着できました。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
アースウォーカーズの福島の子どもたち支援は下記からお願いします。

以下は、高校生の感想レポートです。

名前: 阿部 穂佳
5日目
主な訪問先: 涙の宮殿、ベルリンの壁
今日は午前中に広島原爆落下式典がありました。白いハトを飛ばしたことが一番印象深いです。人生の中で体験することがないような体験をすることができたのですごい、いい体験になりました。
ハトをとばす前に「ふるさと」を歌っていてすごい感動しました。小玉さんがドイツでは、このような式典を各地でやっているということを聞いて日本とは違いみんな関心があっていいなと思いました。
涙の宮殿ではベルリンの壁がどのように開放されたかを知ることができました。偶然が重なったことによって、壁が開いて警備していた人は罪を受けることになってしまったけど、すごいいいことをしたなと思いました。
ベルリンの壁を上から見る機会があったけど、2重になっていることを初めて知って衝撃を受けました。またベルリンの壁を越えるために命を落としてしまった人の中には赤ちゃんもいてすごいかなしかったです。
カフェで西村さんと話す機会があって昨日自分が話を聞いて、思った感想を言った時、アドバイスのようなものをもらうことができてすごいいい時間でした。また甲状腺がんの話になった時に、チェルノブイリの話についても詳しく教えてもらえてすごいいい時間になりました。ふくもとさんも西村さんもすごい何にでももの知りで、お話上手で、すごい憧れのまとになりました。私も2人のように、自分の意見をはっきりと言えて、人に伝えられるような大人になりたいと思いました。
すごい楽しいベルリンの5日間でした。
I am looking forward to the form stay from tomorrow.
I want to eating delicious food with for

名前: 深谷 美波
5日目
主な訪問先: 記念式典、ベルリンの壁
今日はまず平和記念式典に参加しました。雨の中でも多くの方が来てくださっていて、遠くの国から私たちの国のことを思ってくれていることにとても驚きました。式典の中、色々な方のスピーチを聞いていて感じたのは1人1人が心を込めて話しているということです。ドイツ語で、何を言っているのかは分かりませんでしたが「私の話を聞いて!」という声が聞こえてきた気がしました。また、聞いている人たちも返事をしたり拍手をしたりしていて、しっかりと向き合っている感じがしました。
またベルリンの壁の記念館では当時の資料を見ました。壁が崩壊されたときの動画を見て思ったのは皆が幸せそうに笑っているのがちょっと怖いというものでした。崩壊は東西での争いがなくなって平和になった象徴になっているのだと思いましたが、記念館へ行く前、亡くなった人々の写真なども見ていたので、壊すこと=解決ではないような気がして鳥肌が立ちました。
福本さんとカフェで汚染水の問題について話した時には、色々な知識を教えていただけるのと同時に事実を知ること、知るために文献を読むことの大切さを学びました。
1日を通して思ったのは、震災、エネルギー問題、戦争と平和について「若い人」と関心が少ないということです。これからの未来を作るのは私たちなのだから、色々なことに興味を持ち積極的に行動すること、また将来は若い人が興味を唆られる表現をすることをしたいと強く感じました。
Don’t forget to have an interested in getting information.

名前: 遠藤 真志
5日目
主な訪問先: ベルリン
今日は午前中にベルリン平和の鐘で開かれた広島原爆投下記念式典に参加しました。夜のミーティングで小玉さんのお話からもあったのですが、ドイツ全土でこのような式典を開いているとのことで日本では広島や長崎では開かれていても全国で開かれている訳ではないので、驚きと同時に若い人の参加が少なくとも過去のできごとを忘れまいと大勢の方が参加していることに対する感動、原爆が落とされた広島・長崎ではないのにも関わらず、自国であったかのように人々が真剣に話を聞き、記憶に残そうとしている姿に感謝の念が尽きませんでした。式の最後には、白い鳩を飛ばしたのですが、生きている鳩を触る機会はそうないので良い経験ができました。
午後は、世界遺産ベルリンの壁博物館に行きました。当時、ベルリンの壁が壊されるいたった経緯や前後の歴史(東ドイツと西ドイツに分かれていた時)を、ふくもとさんから聞くことができて、日本の社会の教科書の中では知りえなかった事実を知り、自分の知聞を広げることができたと感じています。実際の壁を見て、それを乗り越えることの困難さがいかなることなのか、またその壁によって亡くなった方がどれほど多くいたのか肌身で言葉に表せないような恐怖を感じました。
カフェで休憩をしたのですが、西村さんにおごっていただいたアイスは美味でした。その際、ふくもとさんから放射線の危険さや原爆などから発せられる中性子の恐ろしさ、現在、問題視されている原子力発電所から出た処理の海洋放出について何が問題でどのような意見があるのかなどを教えていただきまいした。やはりニュースや新聞、ネットの記事では知れない情報もあり、勉強になりました。
I can’t find facts on the internet.

名前: 押山 裕太
5日目
主な訪問先: 広島長崎追悼式典
僕は広島長崎追悼式典で日本語でスピーチをしました。このスピーチをするということを、最初は知らされてませんでした。知らされたのはドイツに行く前日の8月1日の午前中に知らされました。最初は「英語のスピーチもおぼえなくていけなくて、それにプラスで日本語のスピーチもあるのは、いくら日本語の方はおぼえなくていいといっても大変だな」と思ってあまりのりきではありませんでした。しかし、僕の作った文をベルリンにいるふくもとさんが直してくれたのでとてもすばらしい文ができました。ドイツにきてふくもとさんにお会いしたときにふくもとさんからもらった原稿をみてみると読まなくてもいい日本語のところもあったので少し気持ちがらくになりました。
いざ本番当日になると、とても緊張で上手に話せるのかなどとても不安になりました。ふくもとさんにも応援してもらいながらスピーチをする時をまっていました。いざその時にスピーチをしたら自分が思ってたより上手にできました。
スピーチをしているとき、気付いたことがあり、それは僕が話してても、ふくもとさんがドイツ語にほん訳してしてくれているときでも必らず話している人の目を見て話しを聞いてくれてたのでとても話しやすく相手に日本語でいいから伝えたいと思えるようになりました。
日本ではあまり話しをしている人の目を見て聞くというのは教えていてもあまりできていないので人の話しをきくときの態度はドイツをまねすべきだと思いました。
ベルリンの壁はとてもすごく言葉になりませんでした。
Listen to people with their eyes!

名前: 古川 佳音
5日目
主な訪問先: 広島原爆投下記念式典、涙の宮殿、ベルリンの壁、カフェ
<広島原爆投下記念式典>
思っていたよりも多くの人が式典に来ていて、これだけたくさんの人が広島原爆をおもい、世界の平和を祈っていることを知りました。この式典に来ていた人たちのように、平和は自分から願うことをしなければ、平和な世界をつくれないと感じました。なぜなら、戦争や争いは、それ自体をしたくしている人は少なくて、ちょっとしたすれ違いから衝突が生まれてしまうと思うので、それが争いに発展しないようにくい止め、平和をつくっていく必要があると思ったからです。
<涙の宮殿 / ベルリンの壁>
私はベルリンの壁が壊れたきっかけを知らなかったので、知れて良かったです。意外にもかん違いが連鎖して崩壊したことに驚きました。歴史が変わる瞬間は偶然と人の思いによってつくられると知り、リアルだなと思いました。ベルリンの壁を実際に見ると、思っていた以上に圧迫感や閉塞感があって、当時の人のことを思うと苦しい気持ちになります。
<カフェ>
西村さんとまたお会いできて嬉しかったです。お話させていただいた中でも海洋放出の話に興味をもちました。東電と県民、国と県民のコミュニケーションや信頼関係がうまくいっていないことに問題があるという意見は自分の中で新しいものでした。この問題を一つの失敗として認め、次の世代につなげることが大切だと思います。また、一つのことを突きつめて自信をつけることが大切だと分かりました。
Thank you for today! I knew that many shops closes on Sundays. I was surprised.

名前: 相原 美咲
5日目
主な訪問先: ベルリンの壁
日本の原爆のことについて、遠く離れたドイツで式典がやっていたのがびっくりしました。日本で起こったことなのに日本ではある一定のところでしか式典をやりません。式典をやってくれた方にドイツでもこういう式典がやっていることに感動した。と伝えると「これが私たちの役目」と話してくれました。私はその話を聞いて、「ドイツでここまでやってくれているのに、なんで日本人の私は原爆についてあんまり知らないんだろう。同じ日本で起こったことなのに」と自分の日本の出来事に対する無関心さに恥ずかしくなりました。
式典の後に1人のドイツ人の女性と話すことができました。自分のつたない英語でも、聞きとってくれてうれしかったです。将来の夢を聞かれ、ウェディングプランナーになりたいと伝えると、すごく応援してもらえました。一緒に写真を撮れたり、メアドを交換できたのが嬉しかったです。
ベルリンの壁は、最初遠くから見たときは「意外とそんなもんでもないんだな」と思いました。ですが、近くに行ってみて、これがずっと続いてたと考えたらゾクゾクしました。亡くなった方達の顔写真を見たときに、命日がその方の誕生日の一日前の方がいました。それを見て、誕生日を違う地で向かえたかったのかなと思い、すごく胸がいたくなりました。ふくもとさんがおっしゃっていた仕事と恋人を選ばされたらしい。というのを聞いてすごく苦しい気持ちになりました。教科書ではのってない沢山の体験を知れてすごく良かったなと思いました。
I definitely want to come to Germany agian. I want to work hard so that I can speak German fluently by then. And I hope to meet the woman I met this time again.

名前: 橘内 琴美
5日目
主な訪問先: ベルリンの壁博物館、ベルリンの壁
平和の式典では、まず、ふくもとさんのドイツ語で訳した裕太くんのスピーチを発表していたのがかっこよかったです。
日本から遠く離れたドイツで広島、長崎の原爆の式典を開いていただけることは本当にありがたいことだし、とても貴重な体験だと思いました。そして、白い鳩さんがすごく可愛かったです。飛ばす前は鳩さんがあばれてしまって抑えるのが大変だったけど、みんなで飛ばすと鳩さんたちが同じ方向に向かって飛んで行く姿を見て、感動しました。ベルリンの壁博物館では、ふくもとさんの話をきいて、大切な人と離ればなれになって会えなくなってしまうし、好きな本も読めないし、とにかく不自由な生活を送っていたことを詳しく知ることができて、とても心が痛かったです。しかもふくもとさんは、実際にその辛い日々を過ごしていたので、思い出したくないような苦しい過去のできごとを話すのは、やはりとてもつらかったのではないかと思いました。それなのに私たちにその話をきかせてくれたので、本当に感謝しかありません。ベルリンの壁は記者会見の場で、ギューターが「すべての東ドイツ国民に、東ドイツからの出国を認める」と発言し、そのニュースを知った民衆が検問所に押し寄せ、壁を突破していったという、すごくいいかんちがいが、人々を自由にすることにつながったのが、すごいと思いました。
I’m glad I was able to enjoy my last day in Berlin. I would like to get know host family and talk about many things at my homestay in Duisburg.

名前: 高橋 梓希
5日目
主な訪問先: ベルリンの壁博物館、ベルリンの壁
今日は、平和記念式典に参加をしました。一番に思ったのがこのドイツから遠く離れた地である日本の広島・長崎のためにたくさんの人が集まっていることが驚きだったし、その方々が一人一人真剣に話を聞いてくれていて、当たり前のことかもしれないけど、簡単にはできないことをやってくれてとても嬉しく思いました。ハトを飛ばしたのも初めてでとても貴重な体験だったし、平日だと飛ばせないことを聞いて、とてもラッキーだったなと感じました。
また、平和の鐘も鳴らすことができたので良かったです。この体験を、ドイツで行われていることを、日本に戻った時に、日本の人は知らない人の方が多いと思うので、何らかの形で伝えられたらと思うし、知らない人がこれを機に興味をもってくれれば良いなと感じました。
ベルリンの壁博物館では、実際の資料やふくもとさんの体験のお話をもとに、当時どんなことがあったのかを見て、聞いて、実際に触れることで当時あったことを直で感じることができました。実際に壁を見たときに、近くにあった亡くなった方の名前と日付が刻まれているものを見たときに、国境付近で人の手によって殺されているのにも関わらず、確実な人数ではなく、もっと多くの人々が殺されているかもしれないのに、その中でも分かる少ない人数しか分からないのは辛く悲しいことだし、とても残酷なことだと思いました。また、ふくもとさんが実際に体験した話も、実際に体験したからこそ分かる話が想い、考えがあって、当時の話を当時体験した人から聞く機会もないと思うので、とても貴重なお話をきかせていただいたし、もうこんなことはくり返してはいけないことだと強く思いました。
It is very sad that a lot of people were killed. I hope it will be a peaceful world.



















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