2019年3月9日土曜日

2019・福島フィールドワーク 3日目

 

福島フィールドワーク3日目 宮崎大1年 榎戸雅基

(3/9 快晴)

今日は始めに昨年度と今年度の来んねキャンプに参加された高橋さんに宮崎の野菜を届けに行きました。

アースウォーカーズの野菜プロジェクトで福島のご家庭に宮崎の有機野菜を注文してもらっています。子どもたちも宮崎の野菜を好きになってくれて本当によかったです。

その後、あづま運動公園の屋内施設に向かいました。ここには屋内の遊具でトランポリンやボルダリングがあり、未就学児用のプレイルームもありました。子どもたちは夢中になってお昼を過ぎた頃まで遊んでいました。

この日はとても晴れていたのですがお昼を越えた辺りから利用する子どもたちが増えてきました。高橋さんに聞いたお話では震災の後にこの施設を利用する方が増えたそうです。8年たった今でも屋内で遊ばせるということは放射線を気にする保護者の方もまだ多いのかなと思いました。しかし、他の保護者の方に話を聞いたところ花粉が大変なため室内で遊ばせているとおっしゃる方もいたので放射線を気にする方ばかりではないのかな、とも思いました。

高橋さんご家族と別れたあとは二本松市にある福島県男女共生センターに向かいました。

そこでは「いのちが大事の集い」に参加されていた関久雄さんに震災当時の話をうかがいました。

地震が発生したときに悪い夢かと思うくらい大きく長く揺れたこと、家に帰ってすぐに食料や水を確保したが燃料や資材は何時間待っても手に入らなかったこと、原発が爆発したことを知り奥さんや子ども・両親を車にのせて遠くへ行かせ自身は福島に残ったことなどを教えていただきました。放射線の対策と思いポピドンヨード液を薄めて飲んだこともあったそうです。

お話を聞いて地震の直後に物資を確保するなど的確な行動が取れたことがすごいと思いました。

また、そのときに多くの知り合いのかたが色々な物資をもってきてくれたことも教えていただきました。

山梨にいた友人のかたはトラックいっぱいのガソリンを届けてくれたそうです。その方が石巻へ向かうと警察や多くのNPOの人たちがどこへ何をどれくらい配当するかを決めていたため一ヶ月ほど石巻からでれなかったということをお聞きしました。

これを聞いてそれほど多くの方々が支援をしてくださったと思うとともに受けとる側がもう少しでも効率的になれればよかったのかなとも思いました。

今日の夜ご飯は「川鳥」で餃子を食べながら、福島大学の災害ボランティアセンターのOBの方々に話をうかがいました。

社会人4年目の神さんは震災直後に福島大学で避難所が設立されたときからボランティアを続けていました。

避難所生活が続いた一ヶ月は暮らしている人たち全員がひとつの家族みたいで避難所が閉まる際にはみんな泣きながらお別れ会をしたこと、仮設住宅に引っ越してからもお年寄りの方々に足湯に浸かってもらい学生が手をもみながらお話をしたり季節ごとのイベントなどを多く開催したこと、原発事故で離ればれになった家族が一緒に過ごす時間を作りたいと思い家族キャンプを企画したことなどを教えていただきました。

また、福島県内の学生でボランティアネットワークを作り情報交換や他のボランティア活動への参加をスムーズにしたことなど話してくださいました。お話を聞いて大学生でもイベントなどをを企画して開催することで役に立つことができて感動したとともにもし震災が起こったときに自分たちもボランティア活動を積極的に進めていきたいと思いました。

また気象庁に勤めている山形県米沢市出身の栗田さんからもお話をうかがうことができました。

福島大学に通っていたが第三回福島のこどもたち宮崎に来んねキャンプでお母さんがたから話を聞いて自分がそれを知らなかった福島の現状に衝撃をうけたこと、宮崎と米沢とで放射線の線量が同じだったことを知り米沢で福島の子どもたちにリフレッシュしてもらうキャンプをしようと思ったこと、色々な方々の力を借りて福島のこどもたち日帰りリフレッシュキャンプin米沢が現在まで続いていることなど教えていただきました。お話を聞いて福島にいるひとが現状を知らないことがあることに驚きました。今でも現地の方々の話を聞くこと本当に大事だと知り今回福島を訪れてよかったと思います。

帰り際に川鳥の店主の方にもお話を聞かせていただきました。福島原発が作られる前にもっと反対をするべきだったと責任を感じていること、仮設住宅から家電が盗まれる事件が発生したことがとても悲しかったこと、震災から月日が経つにつれて行政と市民との気持ちのギャップが広がっていることなどを教えていただきました。また、被災したなかで優しさや思いやりがどれほど大切か感じたことも聞かせていただきました。お話を聞いて辛いなかでこそ互いに支え合うことが本当に大事だと感じました。店を出るときに店主さんと握手をしました。

美味しい餃子と熱いお話をありがとうございました。

 

2019年3月8日金曜日

2019・福島フィールドワーク 2日目

 

福島フィールドワーク2日目 宮崎大1年  榎戸雅基

(3/8・晴れときどき曇り)

今日は最初に福島市の信夫山に向かいました。そこでは朝早くから放射性廃棄物を処理していました。ビニールシートで覆われた多くの廃棄物を見て圧倒されました。


次に復興住宅にお住みになられている熊田さんにお話をうかがいました。

浪江市で被災された当時のことをお聞きしました。建物の二階から津波を見たひとがいること、普段なら片道30分の道路を2,3時間かけて逃げたこと、仮設住宅に住む前に住む場所を点々としたことなど多くの経験をお聞きしました。同じ場所が震災の前後でどう変わったか地図や写真なども交えて詳しく教えていただきました。熊田さんにはそのあとも1日色々なところを紹介していただきました。本当にありがとうございました。

続いて向かったのは希望の牧場です。ここでは脱原発を強く活動している吉沢さんにお話をうかがいました。

震災後に原発から14km離れた牧場で原発事故の爆発音を聞いたこと、飼っていた牛たちをおて逃げなければいけなかったこと、牧場にかえると多くの家畜が餓死しており生き残っていた家畜牛や豚もすぐに国から(持ち主の同意うえで)さっ処分するよう言われたことがなどを聞かせていただきました。

また牧場で飼っている黒毛和牛はメラニン色素が変異して白い斑点がでたりしたそうです。吉沢さんは原発事故が起こってから現在に至るまでの8年間、330頭の牛を飼いながら脱原発運動を続けてこられたそうです。吉沢さんの話を聞いて原発について深く考えされられるとともに、吉沢さんが本当に牛たちを大切に想っていることを感じました。

次に浪江の現状を見に行きました。当時の浪江町ではその大部分で避難指示が出されていました。二年前に帰還困難区域を除くすべてのエリアで避難指示が解除され浪江町に許可証なしで入ることが出きるようになりました。

復興が進むJR常磐線の浪江駅周辺ではカフェがオープンしていました。中は多くのお客さんで賑わっていました。二年前の避難指示解除の後に浪江駅から北へ開通したのですが浪江駅以南へ向かう線は未だに運転を見合わせていました。

浪江駅を後にして次はより沿岸側に向かいました。浪江町は津波の被害を強く受けた場所で復興も進んでいるのですが今でも少し当時の傷跡が残っていました。壁が倒壊し中にある大量の木片やタイヤが見えたままの家屋。天井の装飾が剥がれ瓦礫が散らばったままの小学校。それらは写真で見るものよりも胸に迫るものがありました。あとで聞いた話なのですが瓦礫が残っていた請戸小学校は東日本大震災の余震が起きた日に津波を想定した避難経路を職員会議で少し考え、そのときの内容が本震で被災した際に津波での被害者を出さなかったことに繋がったそうです。この話を聞いて事前に被災したらどう動くか話し合って認識しておくことは本当に大切だと感じました。

その後、カリタス南相馬へ向かいました。ここでは震災直後からボランティア活動を続けている松野さんにお話をうかがいました。

震災直後、軽トラックで逃げてるときに一瞬遅れていたら津波が押し運んできた瓦礫の山に飲み込まれていたこと、長男が通う小学校では近所の方々の「もう少し高いとこに避難するよう」という警告が津波による被災者を出さなかったこと、子どもたちを親元から離して遠くへ避難させたことが一番つらかったそうです。また、「あのとき死ねたら楽だった」と言われるほど苦しく大変だったと聞かせおっしやっていました。また、「生きていればなんとかなる。自分の命を守ることで周りも守ることができる」と教えていただきました。松野さんの話を聞いて何があっても前を向いて生きていくことの大切さを再認識させられました。

松野さんのお話を聞いたあと、大熊町へ行きました。大熊は帰還困難区域であるため事前に許可証を申請することで中を見ることができました。

第一印象は浪江と同じだなということでした。多くの壊れた家屋や今でも放置されたままの自動車などが残っていました。また、人がおらず昼間でも点滅する黄色信号などをみてとても違和感がありました。


また、その際に線量計をもっていきました。そこでは表面が土のところよりも側溝の線量が大きかったことに衝撃を受けました。雨水が地表の物質を押し流して側溝に蓄積されるのだそうです。また、車内にいるときでも福島・郡山市内では滅多にみない計測結果がでてとても驚きました。

今日の最後に今も残る仮設住宅に向かいました。

今では数が少なくなっていましたが現在も数世帯の方々が暮らしているそうです。周辺には仮設住宅が建てられていた場所がありましたが、今では砂利が敷かれており言われなければわからないほどでした。これを見て家族のスペースが決して広いわけではないし隣との距離が近く、人が密集する場所で何年も暮らすのは精神的にも大変だったと思いました。

今日、色んなところをフィールドワークして思ったのは以前の自分の想像より復興は進んでいたがまだ残存している震災の爪痕は想像を遥かに越えて未だに存在していることにとても驚きました。

また、色んな方々のお話を聞いてみなさん口を揃えて「楽しくいきることが一番」とおっしゃっていることがとても心に残っています。「また来てね」と言ってくださった福島の方々に何ができるかこれからも考えながらフィールドワークを続けていきたいです。

 

2019年3月7日木曜日

2019・福島フィールドワーク 1日目

 

福島フィールドワーク初日

(3/7・小雨のち曇り)

宮崎大1年 榎戸雅基

福島フィールドワークが始まりました。自分は東北自体 来たことがなかったのでとても楽しみです。

また、福島の現状を自分の目で見て直接感じる経験はあまりないので色んな体験をしていきたいです。



福島に来てまず思ったのは街並みが普通だということです。車の交通量も少ないということはなく、人が歩いていたり子どもが自転車で走っていたり。際立って変わったところはありませんでした。想像していた福島よりも人が多かったことに驚きました。



まず向かったのはペップキッズ郡山です。

ここは屋内遊具の施設でした。福島原発の爆発に伴った放射線によって外で遊べない子どもたちのために各市町村に屋内遊具の施設が作られました。



最初はブロックや簡易的な滑り台とかがあるだけだと思っていましたが、ブロックでの遊び場はもちろん、ブランコやボールのプールの他に人工芝や砂場・水場まであってとても驚きました。自分の幼い頃と同じように笑顔で遊ぶ福島の子どもたちの姿がとても印象深かったです。



 


ペップキッズ郡山をでるとすぐそばにモニタリングポストがありました。常にその場の放射線量を測定していてペップキッズ郡山を利用した前後で値が変化していました。放射線の測定が生活の一部になっていることにとても驚きました。


 


今日見たものは福島の現状のほんの一部であることに驚いています。これから多くのものを見たり色々な経験を聞いたりして自分には何ができるか、どのように他のひとへ広めていくかなどをもっと考えていきたいです。

2019年3月5日火曜日

どるふぃんプレゼンツ 第8回 福島の子どもたち宮崎に来んねキャンプ! 7日目②(活動7日目 2月23日)

どるふぃんプレゼンツ第8回福島の子どもたち宮崎に来んねキャンプ
7日目の夜には日向学院高校の海の家でお別れ会が行われました。

まずは宮崎センター合唱団の方にコーラスを披露していただきました。
ハッピーバースデーとビリーヴを歌っていただき、二曲の間にはおべんとうばこのうたを子供も大人も一緒に歌いながら、手遊びをして楽しみました。

次は食事です。カレーの具材はグリーンコープさん、お米は西田農園さんなど、さまざまな方から多くの食材をいただきました。食事を作ってくださったのはグリーンコープさんと天空カフェジールさんです。みなさん本当にありがとうございました。
司会をする緊張のあまりその時は食事が喉を通らなかった私は、参加者のみなさんがお皿いっぱいに料理をいただいてたのを羨ましいそうに見ていました。
食事をいただいてる際に宮崎大学の学生が今年の9月に西日本豪雨災害があった広島県呉市にボランティアへ行った話をさせていただきました。
発表した1年生の坂本くんは
「呉のボランティアに行って約半年が経とうとしています。災害から2ヶ月たった広島の状況を福島の子どもたちやお母さん、宮崎の方々に伝えることができたので良かったです。そして、現在の広島の状況を伝えるためにももう1度広島に行きたいと思っています。もっと現在の広島の状況を知り、広島の現状を多くの方に伝えていきたいと思います」
と話していました。

次にお別れ会に参加していただいている協力者の方のご紹介と贈呈式を行いました。
日向学院海の家を去年に引き続き提供していただいた、中田副校長先生。
お別れ会当日の準備を手伝っていただいた九州労金のみなさん。
お米を提供していただき、4日目にはにんじん堀りを体験させていただいた西田農園さん。
食材を提供していただいたり、お別れ会のご飯を作っていただいたグリーンコープさん。
グリーンコープさんからは子どもたちへお菓子のプレゼントがあり、子どもたちは大喜びでした。

続いて今回の来んねキャンプのスライドショーを流しました。
7日間福島の子どもたちがどこへ行って何をしたのかを写真を見せながら説明しました。子どもたちの食べ物を頬張ったり、幼稚園の遊び場やサッカー場、海で元気いっぱい遊んだりする姿が参加者の方に伝えられてよかったです。
次に学生のスピーチでした。来んねキャンプ参加が4回目になるゆっきーさん、初めてのゆうだい、私の3人が発表しました。それぞれの立場からのスピーチで今回の来んねキャンプで見たり聞いたりしたこと、それを受けて感じたことを伝えました。

続いて福島のお母さんたちからのスピーチを行いました。
東日本大震災が起こって8年が経った福島の現状や各家庭の状況、来んねキャンプに参加しての感想などを伝えていただきました。
「原発事故が起こって子どもたちが遊べない状況は2度とあってはならない」
「外遊びが出来ない状況でも自分が好きな福島で子どもにも育って欲しい」
「宮崎の人はみんなあったかくてまた宮崎に来たい」
と涙ながらに話すお母さんの姿を見て、来んねキャンプを続けたいという気持ちが強まりました。
また学生から色紙を各家庭に渡す際に一言ずつ話すのを聞いて、学生の成長を感じました。

続いて第8回福島の子供たち宮崎に来んねキャンプのメインスポンサーである幸森さんから一言いただきました。
今回幸森さんのお宅でご飯をいただいたり、夜の学生ミーティングとして使用したり、公民館を宿泊場所として提供していただいたりと多くのサポートをしていただきました。
最後に代表の小玉さんからの挨拶でした。今回開催が厳しいとされていた第8回の来んねキャンプが無事お別れ会を迎えれたことを感じました。
今回の来んねキャンプ開催直前の学生ミーティングの一番はじめに部長が「ボランティアはしてあげてるわけではなくてさせていただいている」と言っていました。その言葉の意味が来んねキャンプに参加してよくわかりました。
多くの支援していただいている方々のおかげで当日の私たち学生がボランティアができているんだなと感じました。
また福島の現状を少しでも知った今、来年の来んねキャンプや他の保養を行うに向けて、何ができるかを考えていきたいと思います。

福島の子どもたちの支援が継続できるよう、一口500円からのマンスリーサポーターを募集しています。

ぜひ、下記からご連絡お待ちしています。

http://earthwalkers.jp/pg621.html


NPO法人アースウォーカーズ
代表理事:小玉直也 090-8301-1123

文責:松阪睦実 宮崎大学2年
編集:榎戸雅基 宮崎大学1年