2019年3月8日金曜日

2019・福島フィールドワーク 2日目

 

福島フィールドワーク2日目 宮崎大1  榎戸雅基

(3/8・晴れときどき曇り)

今日は最初に福島市の信夫山に向かいました。そこでは朝早くから放射性廃棄物を処理していました。ビニールシートで覆われた多くの廃棄物を見て圧倒されました。


次に復興住宅にお住みになられている熊田さんにお話をうかがいました。

浪江市で被災された当時のことをお聞きしました。建物の二階から津波を見たひとがいること、普段なら片道30分の道路を2,3時間かけて逃げたこと、仮設住宅に住む前に住む場所を点々としたことなど多くの経験をお聞きしました。同じ場所が震災の前後でどう変わったか地図や写真なども交えて詳しく教えていただきました。熊田さんにはそのあとも1日色々なところを紹介していただきました。本当にありがとうございました。

続いて向かったのは希望の牧場です。ここでは脱原発を強く活動している吉沢さんにお話をうかがいました。

震災後に原発から14km離れた牧場で原発事故の爆発音を聞いたこと、飼っていた牛たちをおて逃げなければいけなかったこと、牧場にかえると多くの家畜が餓死しており生き残っていた家畜牛や豚もすぐに国から(持ち主の同意うえで)さっ処分するよう言われたことがなどを聞かせていただきました。

また牧場で飼っている黒毛和牛はメラニン色素が変異して白い斑点がでたりしたそうです。吉沢さんは原発事故が起こってから現在に至るまでの8年間、330頭の牛を飼いながら脱原発運動を続けてこられたそうです。吉沢さんの話を聞いて原発について深く考えされられるとともに、吉沢さんが本当に牛たちを大切に想っていることを感じました。

次に浪江の現状を見に行きました。当時の浪江町ではその大部分で避難指示が出されていました。二年前に帰還困難区域を除くすべてのエリアで避難指示が解除され浪江町に許可証なしで入ることが出きるようになりました。

復興が進むJR常磐線の浪江駅周辺ではカフェがオープンしていました。中は多くのお客さんで賑わっていました。二年前の避難指示解除の後に浪江駅から北へ開通したのですが浪江駅以南へ向かう線は未だに運転を見合わせていました。

浪江駅を後にして次はより沿岸側に向かいました。浪江町は津波の被害を強く受けた場所で復興も進んでいるのですが今でも少し当時の傷跡が残っていました。壁が倒壊し中にある大量の木片やタイヤが見えたままの家屋。天井の装飾が剥がれ瓦礫が散らばったままの小学校。それらは写真で見るものよりも胸に迫るものがありました。あとで聞いた話なのですが瓦礫が残っていた請戸小学校は東日本大震災の余震が起きた日に津波を想定した避難経路を職員会議で少し考え、そのときの内容が本震で被災した際に津波での被害者を出さなかったことに繋がったそうです。この話を聞いて事前に被災したらどう動くか話し合って認識しておくことは本当に大切だと感じました。

その後、カリタス南相馬へ向かいました。ここでは震災直後からボランティア活動を続けている松野さんにお話をうかがいました。

震災直後、軽トラックで逃げてるときに一瞬遅れていたら津波が押し運んできた瓦礫の山に飲み込まれていたこと、長男が通う小学校では近所の方々の「もう少し高いとこに避難するよう」という警告が津波による被災者を出さなかったこと、子どもたちを親元から離して遠くへ避難させたことが一番つらかったそうです。また、「あのとき死ねたら楽だった」と言われるほど苦しく大変だったと聞かせおっしやっていました。また、「生きていればなんとかなる。自分の命を守ることで周りも守ることができる」と教えていただきました。松野さんの話を聞いて何があっても前を向いて生きていくことの大切さを再認識させられました。

松野さんのお話を聞いたあと、大熊町へ行きました。大熊は帰還困難区域であるため事前に許可証を申請することで中を見ることができました。

第一印象は浪江と同じだなということでした。多くの壊れた家屋や今でも放置されたままの自動車などが残っていました。また、人がおらず昼間でも点滅する黄色信号などをみてとても違和感がありました。


また、その際に線量計をもっていきました。そこでは表面が土のところよりも側溝の線量が大きかったことに衝撃を受けました。雨水が地表の物質を押し流して側溝に蓄積されるのだそうです。また、車内にいるときでも福島・郡山市内では滅多にみない計測結果がでてとても驚きました。

今日の最後に今も残る仮設住宅に向かいました。

今では数が少なくなっていましたが現在も数世帯の方々が暮らしているそうです。周辺には仮設住宅が建てられていた場所がありましたが、今では砂利が敷かれており言われなければわからないほどでした。これを見て家族のスペースが決して広いわけではないし隣との距離が近く、人が密集する場所で何年も暮らすのは精神的にも大変だったと思いました。

今日、色んなところをフィールドワークして思ったのは以前の自分の想像より復興は進んでいたがまだ残存している震災の爪痕は想像を遥かに越えて未だに存在していることにとても驚きました。

また、色んな方々のお話を聞いてみなさん口を揃えて「楽しくいきることが一番」とおっしゃっていることがとても心に残っています。「また来てね」と言ってくださった福島の方々に何ができるかこれからも考えながらフィールドワークを続けていきたいです。

 

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