2025年3月25日火曜日

福島・ドイツ高校生交流プロジェクト5日目

福島・ドイツ高校生交流プロジェクト5日目
帰国後体調不良でしたがようやく36度台にさがり、投稿します。
かさねて高校生たちのレポートが書き上がり、少々遅れて5日目の投稿となりました。
この日は朝8:30までにデュイスブルグ中央駅に集合し高速鉄道、日本でいう新幹線でベルリンへ移動。
思い起こせばこの日も前夜の、体調不良でデュイスブルクの病院に行ってました!笑
ICEの乗車する電車を調べる担当の高校生はまいみと朝日が電光掲示板に表示されている9:05発のICE545の乗車ホームを調べみんなを案内。
元々は1stのチケットを購入していたのですが、指定席でいっぱい。2ndの車両のみんなで一緒に乗車できる場所を引率のめぐが調整して座席に座って移動することが出来ました。



ベルリン中央駅ではジャーナリストのふくもとさんが迎えに来て頂き、高校生たちを案内。Fukumoto Masaoさんありがとうございます。
ベルリン中央駅の構造は東京駅と違い、各フロアーがコンクリートで仕切られてなく、3階に位置するホームに太陽の光が照らされ、しかもその光が2階にも、1階にも、地下フロアーにも届くように構造されている。
そして電力の消費を抑える効果を発揮していた。
ドイツで最も日本と異なると感じるのは、発電方法の再生可能エネルギーへの転換だけではなく、電力やエネルギーの消費量をどうやって下げていけるのか!の努力が雲泥の差と言っても良いくらい異なる。
ベルリン中央駅から、この日担当の朝日とまいみの案内で宿泊する宿にチェックイン。
荷物を置いて、ベルリンの壁を訪問。東西冷戦時代の分断とそれを乗り越えた歴史を学ぶ


バナナもお菓子も手に入らなかった。東ドイツから自由を夢見て、壁を越えようとして、射殺された人々の苦悩は想像してもしきれない深いものだったやろう。
高校生たちからの質問に丁寧にふくもとさんに答えていただき貴重な時間となりました。
そこからベルリンの報告会の会場、Jdzb(ベルリン日独センター)に移動。
高校生たちはデュイスブルグの高校の講堂での報告会につづきドイツ2回目の英語での報告会が実現しました。


まだまだ緊張したおももちだったものの、なるべく原稿を見ずにオーディエンスを見ながら表情豊かにスピーチができている高校生も徐々に増えていき、これまでの努力が花開きだしたと感じた時間となりました。
実は前回ベルリンでの報告会を開催した会場の教会が都合がつかず、会場が見つからず苦労していました。
そこで、これまで出会ったベルリン在住のドイツ人に連絡しまくって、半年前に宮崎県日南市に観光に来ていた際に私が声かけてCARPの天福球場のキャンプや飫肥城を案内したカップル、センドラ&ベニーがjdzbに直接連絡してもらい今回の会場使用となりました。
また、当初予約した際に170ユーロ(約3万円)と言われた使用料もjdzb側との交渉で40ユーロで使用させていただき、とても助かりました。
ベルリン日独センター(jdzb)さん今回のご配慮本当にありがとうございます。
そんなjdzbはアースウォーカーズのドイツプロジェクトの第一回目の助成金をいただき、この企画が始まるきっかけとなった団体です。


その昔、中曽根首相とコール首相の呼びかけで始まった日独の高校生の交流の助成金『たけのこプロジェクト』の最終年2013年にアースウォーカーズが受諾して開催された、
福島・ドイツ高校生交流プロジェクトはJDZBが審査して実現しました!
今年、初めて訪問するJDZBに感慨深い思いで第一回目のベルリン訪問に思いを馳せました。
そして第一回目からサポートして頂いている、ふくもとさんには感謝でいっぱいです。
あれから第10回目が開催されることとなったプロジェクトですが、ピーク時は1400万円の予算があり年間200人近くの子どもたちのサポートをした時期もあるが、
今は650万円の予算で年間数十人のサポートに留まっている中、昨年の理事会で累積赤字が260万円を超えて、そろそろ団体の解散も視野に入れたほうがいいのではないかと、理事の弁護士さんから初めて意見が上がった。
なんとか、福島の子どもたちや被災地や戦地の子どもたちの支援に関わり続けたいと願う中、今年からはなんとか累積赤字が減少するようにしていかないといけない。
ぜひ、みなさんの温かいご支援とご協力をこれまでに増してお願いして、共に福島の子どもたちのサポートを継続していきましょう。
特定非営利活動法人
アースウォーカーズ
代表理事:小玉直也
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氏名 菅野愛華 5日目 主な訪問先 ベルリン
今日は9時の電車に乗ってベルリンに行きました。ドイツへ来て3日目で結構疲れてきました。でも4時間の電車に乗れてよかったです。またホストファミリーがおにぎりを持たせてくれたのでお昼はおにぎりを食べることができました。久しぶりの日本食を食べれてよかったです。電車の中ではずっと寝ていました。ベルリンについて景色を見てみるとデュースブルクと全然違うことに驚きました。ベルリンには沢山のきれいな建物がありました。映画の中にいるような感覚になりましたホテルに向かう途中犬の糞を踏んでしまいました。ベルリンの事が少し嫌いました。ふくもとさんにベルリン中央駅を案内してもらいました。ベルリン中央駅は屋根の上にソーラーパネルが着いていました。しかしらそれで得たエネルギーは駅の中で使われてないことに驚きました。またベルリン中央駅内には蛍光灯が少なかったです。しかし、駅内は明るかったです。ドイツのエコは進んでいると感じました。条件が揃っているときの再エネ率は80%と知りすごいと思いました。次にベルリンの壁を見に行きました。駅には入れないようにふさがれていた跡がありました。ふくもとさんは昔東ドイツに住んでいたのでその時の話を聞きました。ものはなくとても貧しかったけどみんなで助け合って生きていたそうです。教科書では教えられないことも知れました。ふくもとさんの話を聞いて東ドイツにもいいところもあるのかなと思いました。夜はみんなでアジア料理を食べました。西村さんご飯ありがとうございました。とても美味しかったです。
I will do my best with my speech!



根本莉子 5日目 ベルリン
朝からデュースブルクからベルリンまでバスで移動しました。着いたら福本さんが待っていてまず白い電車の電力はすべて再エネでまかなわれていると分かりました。また、木を植えて日影が出来ると温度差で風がふくと分かりました。それによりクーラーを節約できるので福島ももっと木を植えたほうがいいと思いました。
地球温暖化の原因で二酸化炭素がどう関係しているかくわしくは知らなかったので、排出された二酸化炭素は下にいきそれが蓄積されているからだと分かりました。次に駅の中に入って説明をしてもらいました。駅の中にほとんど電気がないと聞いていたので表示が見えにくいのかと思ってましたが、上の天井が開いていて光が入ってくるし、日本の駅より騒がしい雰囲気がないと思いました。とても省エネなので日本もそうしたらいいのではと思いましたが、ドイツはそれを考えて十字に交差した構造にしたので日本で今から取り入れるのは無理らしいです。駅中の温度は地下から上まで吹き抜けになっているので夏でも地下の涼しい空気が来るので省エネになっていると聞きました。実際開いている所に手をかざすと涼しかったです。駅で小玉さんが買ったポテトが今まで食べた中でいちばんおいしかったです。ベルリンの壁に着いたとき、福本さんから何で2つの壁の間があいてるのかと質問されて分からなかったのですが、そこを通ると見つかりやすいので射殺されるということが分かりました。後で高い所に登ったとき、死角が全くなかったので逃げ切れないと思いました。また、福本さんが当時の東ドイツに住んでいたことにとても驚きました。東はソ連側だったので住んでいたとしたら西ドイツがいいと思っていましたが、東ドイツは物がなかったけどみんなで協力できたことがよかったと聞いて実際住んでいた人に聞かないと分からないことがありました。西ドイツに逃げる人が増加した時、アメリカのようにお金を出すのではなく壁を作って強制的に出られなくした所がソ連のやり方なんだなと思いました。夕飯はベトナム料理を食べました。久しぶりのアジア料理で、上にのっていた揚げ春巻きみたいなのがおいしかったです。ビールを少しのみましたが、意外においしかったです。同じテーブルだった福本さん、瀧本さんと西村さんとドイツのことなどについて話せてとても楽しかったです。西村さん10ユーロの寄付ありがとうございます。
Thank you for dnating to Earth Walkers.



曲山澪 5日目 ベルリンの壁
デュースブルグ中央の駅に集合して、アイリーンとデュースブルグの駅中のパン屋さんでクロワッサンを買って食べました。昨日バスの中で朝食に何を食べたいかを聞かれた時、ソーセージと答えましたがドイツ人は普通朝食にパンを食べると言われたので、クロワッサンを食べることにしました。とてもサクサクで美味しかったです。そのあとあおいちゃんとスタバで私はキャラメルマキアートを飲みました。とても美味しかったし、身体温まりました。
電車で4時間くらいかけてベルリンに向かいました。その間に2、3日目のレポートを書いたり、アイリーンが作ってくれたサンドウィッチを食べました。とてもいい時間になりました。ベルリンの壁に行く前に福本さんと合流して、駅中の再生可能エネルギーについて学びました。ドイツの駅はフロアごとに仕切られていないため、日中は太陽の光を一階まで利用し、照明を利用しない環境に優しい取り組みがされていて、驚きました。ベルリンの壁では、東ドイツの人々が西ドイツに逃げないよにする壁で壁をよく見てみると壁の中に鉄棒が剥き出しになっていていかに抜け出したいかが伝わってきました。夕食はアジア料理のお店に行きました。私はサケドンを食べました。サーモンと酢飯を食べて人生で初めてカクテルを飲みました。美味しかったですが、少し酔っ払いました。今日は再生可能エネルギーや歴史について考える良い機会になってよかったです。福本さん夕食代ありがとうございました。
Thank you! I learned about renewable energy and history.
ベルリンで2回目の報告会をしました。ベルリンにある図書館のような場所で行いました。前回のスピーチよりも相手の目を見ながら発表することができてよかったです。次回も頑張りたいです。




氏名:宮口あおい 5日目 主な訪問先:ベルリンの壁、報告会
デュースブルクから4時間電車に乗ってベルリンへ着いた。ベルリン中央駅で福本さんにお会いし、ドイツのエネルギーについてお話をしていただいた。
再生可能エネルギーのデメリットである”安定的ではない”という問題を解決するために太陽光での発事量が多い時にほかの発電方法で補うなど常に調整していると聞いた。
日本ではあまり再エネの割合が高くなくドイツのように再エネを再エネで補うという方法は考えにくいなと思ったと同時に、ドイツの再エネの使い方の上手さに感動した。
いかに電気を節電できるかということにおいて特にドイツは特化していることを知り、駅の構造をうまく造ることで日光が地下まで届くように設計されているのが非常に興味深く感じた。
地球温暖化のしくみも改めて学ぶことができ、もっと自分ごととして考えていこうという気持ちになった。
ベルリンの壁では今まで教科書でしか見たことのなかったものを目の当たりにし、人々の重い気持ちが直に感じられた。壁は想像していた高さよりももっともっと高く、壁を登って向こう側に行くのはとっても大変だっただろうなと思った。特に私が印象的だったと思ったのは東ドイツ側と西ドイツ側にどちらにも壁があり、二重になっていたところだ。二重の壁を越えるまでの間に広い空間があってそこで射殺されていたと知り、東西を交わらせない徹底ぶりにとても驚いた。福本さんのお話の中に、貧しかったからこそ協力し合う精神があったとあり、壁の多くは悪い歴史だったかもしれないが、良い面がなかった訳ではないだろうし、その良さに気づける人々も素敵だと思う。                           Todays speech was well done!
Next time, I want to do my best!!



大内 朝日 5日目・主な訪問先:ベルリン
今日はふくもとさんにベルリンについてたくさん教えてもらいました。まずベルリン中央駅の構造について、屋根が透明になっていて最上階から地下まで吹き抜けになっているため、電気がなくても光が入るようになっている。ドイツの新幹線は再エネでできた電気を使って走っている。しかし、赤い色をした電車はまだ化石燃料で走っている。ドイツでできる再エネの電気料は20-50%と差が大きい。曇りで風もない日は再エネでは全ての電気をまかなえないため、他の化石燃料やガスを使ってできた電気でまかなっている。ドイツはバスも再エネの電気を利用している。バスにはパンタグラフがないため、蓄電をして走っている。しかし、充電するのに時間がかかるという課題がある。私たちは駅を見学した後ベルリンの壁を見に行った。1989年11月9日ベルリンの壁崩壊。どうしてドイツは西と東に分かれてしまったのか、ドイツは連合国によって分裂された。西ドイツは、アメリカ、フランス、イギリスに、東ドイツはソ連によって分断された。1949年、すぐに壁ができたわけではない。西ドイツに逃げようとする東ドイツの人が多かった。それは西ドイツの方が経済的に裕福だったからだ。マーシャル・プランと言ってアメリカが戦後西ドイツの経済を復興させるためにお金をたくさん積んだ。逆に東ドイツは、敗戦国としてソ連から管轄された。東ドイツはソ連に鉄道などを賠償金として全て渡した。そのため東ドイツは西ドイツに比べて自由がなく、経済も発展しなかった。このことについて学校では教えてくれないとても大切なことだと思ったし、実際に壁を見て、高さを実感し、自分の力の無さを痛感した。Good to know about German history.



氏名加茂舞美 5日目 主な訪問先 ベルリンの壁
今日は、電車に乗ってベルリンに行きました。ファーストクラスの乗り場が分かって良かったです。ホストファミリーがお弁当を作ってくれました。 ゆで卵がピンク色で驚きました。塩も何もなかったけど、参加者がマヨネーズを持っていて助かりました。
ベルリンで福本さんに、話を聞きました。駅の屋根には、太陽光パネルが貼られていました。そして、駅はエアコンや照明を使わなくていいように工夫されていました。ベルリンの壁は東側と西側に2つありました。 壁を1つ越えたとしても、もう1つあるしすぐに見つかって射殺されることを聞いて、とても辛い気持ちになりました。福本さんは、 西ドイツがいいとは全然思わなかったそうです。ものが少ないから壊れたら、みんなで助け合って直していたそうです。今は壊れたらすぐ新しい物を買うけど、助け合って直すのはいいと思いました。
今日は、2回目の報告会でした。前よりもQRコードを長く見せることができて良かったです。東日本大震災があった時のドイツ視点の話を聞いて衝撃的でした。
Thank you, Mr. Fukumoto, for sharing So many stories with us!



阿曽琴香 五日目 主な訪問先:ベルリンの壁、レストラン、ホテル
今日はベルリン観光しました。昨夜寝てしまったので、朝シャワーを浴び、ホストファミリーが長い旅になるからと、パンやりんご、たくさんのお菓子を持たせてくれました。集合場所の駅までイダちゃんと歩いて行きましたが、これから二日間会えなくなると思うと悲しくなりました。まだ駅のホームの見方が難しかったですが、無事四時間の長い旅を経て、ベルリンに着きました。そこでは、ジャーナリストのふくもとさんがドイツについてたくさんのことを教えてくれました。私が驚いたのは、ドイツは様々な方向で電気社会ということです。常にその日の天候に合わせ発電し、再エネに合わせ対応していること、そのため多くの発電される日と、そうでない日の差は、20%~80%にもなることなど、交通機関だけでなく、生活のあらゆるところに再エネを利用していると、知ることができました。地球温暖化問題になると、「そもそも地球温暖化はなぜなるのか」と根本的な部分から考えました。理科的に考えるとすごく簡単なことなのですが、私は理科がとても苦手なので、この問いを考えるのが難しかったです。しかし、こんな真剣に考えて、理解できたのは初めてと思えたほど頑張れました。
次にベルリンの壁へ行きました。教科書でしか見たことのない世界遺産を自分の目で実際に見れたのはとても良い経験でした。ベルリンの壁で苦しめられた人、亡くなった人、家族と会えなくなった人など、ベルリンの壁の歴史を知れば知るほど、どうして?なんで?なんのために?という疑問がたくさん浮かびました。また、当時旧東ドイツに住んでいたふくもとさんのお話は、とても貴重な話でした。ふくもとさんは、貧しいからこそ、食べ物のありがたみや、互いが協力して助けあう良さがあったとおっしゃっていました。この話を聞き、改めて自分がどれだけ恵まれているのか実感しました。日独交流センターでは、2回目のスピーチを披露しました。2回目だったので落ち着いてスピーチができました。ですがまた文を忘れてしまって、伝わりやすいスピーチができなかったので、次のスピーチまでに言葉が伝わるようにしたいです。質疑•応答では、被災当時や被災地の現状、ドイツ人が原発事故が起こった当時、日本が情報を明らかに報道しなかったことに対する怒りなど、さまざまな意見が飛び交いました。とても勉強になりました。夜は、アジアレストランに行き、久しぶりのご飯を食べられて幸せでした。ホテルはとても海外って感じで、おもしろかったです(笑)。
I appreciate your support.



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