この日は、朝からベルリンへの移動でした。それぞれホストファミリーとの別れを惜しんでいました。ホストファミリーとのたくさんの思い出ができたようです。ベルリンに移動した後は、ベルリン中央駅、連邦議会議事堂、ブランデンブルク門、ホロコースト慰霊碑、ゲシュタポ跡地にある博物館などを案内していただきました。環境、歴史の面から解説していただいて、高校生たちもたくさんのドイツの工夫を知ることができました。
斎藤悠介 今日はホストファミリーとのお別れの日でした。朝から少し重いムードでした。ホストファミリーのマリオとは、学校で駅には来れないので、マリオが学校に行く前にお別れしました。とても名残おしかったです。マリオが学校に行った後、駅に向かいました。ホストファミリーのなつみが、自分が駅についた後にきました。そしたら、おかしと飲み物をくれました。とてもうれしく少し泣きそうになってしまいました。ここでとても仲が良くなったデニツともとても名残惜しく何度もハグをしました。松尾先生にもこの1週間お世話になり、知らないことを多く教えてもらい、とても感謝しています。 お別れの時、ホストファミリー一人一人とお別れのあいさつをしました。泣かないと決めていましたが、とても悲しく泣いてしまいました。しかし、人はこのような出会いと別れをくり返しながら成長していくので、この出会いと別れは自分が成長していくのに大切な時間だと思いました。電車に乗り込み、見えなくなるまでお礼を言いながらいきました。また、ドイツのデュッセルドルフに行き、ホストファミリーに再会し、いろんなことを語り合いたいです。別れをすませた後は、ベルリンへ出発しました。ベルリンへ着き、福本さんみなさんにベルリンを案内してもらいました。まずベルリン中央駅の近くにあるバス停の紹介をしてもらいました。バス停にも再生可能エネルギーを使う工夫をしていました。バス停の屋根にソーラーパネルを設置ししていたのです。このようなちょっとした場所でも再生可能エネルギーに取り組んでいたので、それほどドイツは、エネルギーに対し、意識が強いということをあらためて知りました。 次にベルリン中央駅に戻り、駅の構造について説明してもらいました。この駅は吹き抜けになっており、ここでも太陽の光を地下深くまで届くように作られており、照明をほとんど使わず省エネやつながっていました。 後、地下からくる冷たい空気を利用し、冷房いらずです。しかし、冬になるととても寒くなってしまい困るそうです。ドイツの鉄道は消費者からのリクエストでドイツ鉄道カードをつくりました。このカードは年間費を払い、その年間費は自然エネルギーへとつかわれます。しかし、このカードにはいい点があります。それは、年間費の支払いの額に応じて、鉄道の運賃が割引などいい点がありあす。電力会社は自然エネルギーで発電した電気を優先して買わなければならないと聞きました。しかし、買いすぎたり、すると逆に停電になってしまい損しています。だからと言って買わないと電力会社は損害賠償を払わなければなりません。そこは難しい問題です。ここベルリン中央駅は、東ドイツ西ドイツと別れていた時、検問所があり、そこは今は「涙の宮殿」と言われています。その悲しい名前がつくほどですから、当時はとても大変な時代だと分かりました。駅の近くには首相官邸、国会議事堂及び政府機関がありました。日本だとまわりは建物ばっかりなのに、ドイツはとてもひらけており、緑豊かな場所でした。国が国民、市民のお手本となり環境を大切にしていると分かりました。次に国会議事堂に行きました。ここでも環境に対する優しさがみられました。ここの電気は植物油を燃料とし発電しています。その時に出た熱をとっておき、冬に使い、夏は冬の冷たい空気をとっておき、夏に使います。こうすることにより省エネにつながります。次に少しなのですが、歴史についても学んできました。第2次世界大戦中、ゲシュタポはユダヤ人を殺していました。これを今、ドイツは後悔しており、首相がしっかりと他の国などに謝罪し、中国や韓国など近隣諸国とのみぞをうめていかなければなりません。
千坂奈々 ついにきてしまった。別れの朝が。楽しすぎた。幸せすぎた。最高のホストファミリーだった。本当に大好きだ。また絶対くる。あ~ドイツ語話せたらと何度思ったか、英語もドイツ語も自分のものにしよう。今度来るときはもっと話そう。思いを伝えよう。本当にありがとう。出会ってくれた全ての人、本当にありがとう。Dankeschon!!! 4時間半新幹線にのってベルリンへ。ベルリン中央駅はとっても大きかったです。自然の光を最大取り込むような設計がなされていました。地下の風が上に流れるように使う人がいない時は動かないようになっているエスカレーター。様々な環境を考えた設計がなされていてこういうことが大切だったなと思いました。ドイツに首相官邸、国会議事堂、連邦議会を見ました。ごつい警備の人がおらず芝生が広がっており、とても開けていました。なんだか親しみやすさを感じました。とてもオープンな感じでいいなと思いました。ブーランデンブルク門の近くにあるヨーロッパの迫害された人々を追悼したモニュメント。とてもおしゃれな作りでした。ただの公園のようでした。人々はそこでおしゃべりし、寝っ転がっていました。初めはえ!!と驚きましたが、中を歩くと乗っかりたくなります。暗い感じで誰も近づかない場所になるより、身近になっていいのかなと思いました。ゲシュタポの本部があったところにも行ってきました。そこには資料館がありました。南さんに説明を受けながら回りました。学校などで聞くことができないことなどを聞くことができてよかったです。私が今日驚いたのは、ベルリン東西の分裂を経験した人たちの子ども世代が、ベルリン分裂について意識が高いことに驚きました。その人たちが行動したことで良い方向にドイツが進むことができたのかもしれない。私たちもその世代であるのだ。
坂井梨花 今日はホストファミリーとお別れの日でした。その前に、今日はお兄ちゃんの18歳の誕生日で、朝食の時間帯からお祝いムードでした。私はドイツ語で「ハーツリッヒン グルックウォシュ!」(誕生日おめでとう)とピアノで誕生日の曲を弾きました。かなり喜んでくれたので、簡単ではあったけど、やって良かったです。なんかもう当たり前だったことが、全部最後なんだなって思ったら寂しくなっちゃいました。 パトリチアは一度学校に行っちゃってたけど、駅に見送りに戻ってきてくれました。駅で夜がんばって書いた手紙とプレゼント渡して、写真撮って、話して。どんどん時間が迫ってくるにつれて、楽しかったこととか、大変だったこと、イロイロ思い出しちゃって、私そんな涙もろくないんですけど、涙でてきちゃって、そっからは泣きっぱなしでした。ドイツの友人たちは「泣かないで」とか言ってくれて、本当に大変だったけど来て良かったなあって心から思えました。ベルリンまでの4時間のあいだもけっこうホストファミリーとの話をしたりしました。 そうしてやっと着いたベルリン駅は環境のことを考えているなぁと感じれる部分が沢山あることを教えてもらいました。昼間は太陽光の光だけでも充分明るいようにガラス張りだったり、バス停の小さな屋根にまで太陽光パネルがついていて、徹底している都市だなって思いました。緑化にも積極的ですばらしいと思います。日本も屋根は沢山あるのだからソーラーパネルをつけたり、街に木を植えたりもっとやってみるべきだと思います。 国会はあわせ鏡になっているエレベーターに乗って、最上階に行ってドイツの政治のこととかを聞きました。ナチスは本当にたくさんの人をぎせいにしたんだなって再認識できました。
塚野 未来 今日は約1週間一番に過ごしてきたホストファミリーとお別れの日でした。朝、いつものように朝ごはんを食べている時、今日でこれも終わりになってしまうのかと思うと、とても寂しくて悲しい気持ちになりました。ご飯を食べてから出る直前まで私はホストファミリーのみんなに感謝の気持ちを伝えるためにハートやサンタクロースを折り紙で折ったものや日本の米やお菓子などの食べ物、「ダンケション‼︎」とドイツ語で書いた紙などをベットの上に並べて家を出ました。車の中で「今日が最後で悲しい」とホストに言うと「私も悲しい」と言ってくれて嬉しいと同時に寂しさも感じて複雑な気持ちになりました。駅で別れるときは、最後だから笑顔で‼︎と決めていたのですが、途中みんなもらい泣きして泣いてしまいました。泣いている時私の中ではこの1週間で英語が自分の思うようにあやつれず悔しかったこと、文法は、バラバラだったけどホストファミリー、一人ひとりが私の話を最後まで聞いてくれて心強かったこと、ご飯がとても美味しかったこと、ホストの小さかった時のアルバムをみせてくれたり私が@「パイレツオブカリビアンが見たい」と言ったら一緒に見てくれてすごく嬉しかったこと、サッカードームの熱気がすごくてとてもワクワクしたこと、などいろいろな思い出がよみがえっていました。こんなにもステイが楽しかったのはホストファミリーのおかげだし、私はこんなホストファミリーに出会えて本当に良かったです。私に素敵で貴重な体験をさせてくださり、本当にありがとうございました。
斎藤 雅 ホストファミリーと過ごす最後の朝。いつも通り私と彩花さんがたくさん食べ、デニツやママ、パパはあまり食べない。私は3人にそれぞれプレゼントと手紙を渡した。3人とも喜んでくれて嬉しい。ママは私を抱きしめ、私たちにまだドイツに残って欲しいこと、私は強い女性であるけれど、ベルリンは寒いので暖かくして健康に気をつけること、やっぱりまだ私たちにドイツで残って欲しい、ドイツに来た時はいつでも歓迎すると言ってくれた。パパとはいつもあまり話せなかったけれどたまに会うといつも笑顔でウインクしてくれた。料理も上手で頼りになるパパだ。デニツ、いつも明るくジョークを言って人を笑わせようとしたり、創作ダンスを踊るのが好きだった。自分の意見をはっきり言って困っている人がいたら知らない人でも声をかけて助ける。本当に3人に出会えて良かった。 駅での別れの時10日間お世話になった松尾さん。私たちを歓迎し、たくさんの準備、相談にのってくれた。デニツたちの先生だけれど私にとっても先生のような存在だった。感謝の気持ちでいっぱいだ。 これから素敵な出会いに巡り会えたことをとても嬉しく思うし、感謝している。彼らからもらったたくさんの愛情や勇気、知識を吸収して素敵な女性になりたい。 デュイスブルクを去り、4時間の移動を経て、ベルリンに到着した。そこから福本さんにベルリンを案内してもらった。バス停までにソーラーパネルがあること、その電力を地下でつないで各電柱に供給しているというのに感嘆した。途中で靴擦れが痛くなり、裸足で街を歩くことにした。地面ごとベルリンを感じられて面白かった。国会議事堂を見に行った時、上から天井がガラス張りになっている会議室の様子が見えた。議会が身近に感じられ、つねん市民が政治に注目していることを表していて良いと思った。また、いろんな地方から来た議員が地元の土を持ってきて、たまたまそこから様々な植物が生えてきたのはとても面白かった。視覚的にもドイツのたくさんの地域や考え方が合わさっているとわかるようだった。夜のベルリンは駅に出ると、真っ黒でデュイスブルクよりも活気がない気がした。シャワー室は暗くて虫がいっぱいいて怖かった。 thank you
豊田郁実 9日目
今日はついにホストファミリーの人とお別れでした。いつも通りに朝起きて、朝食を食べました。朝食はいつもどおりのチーズとハムをはさめたサンドウィッチでした。特に変わったことがなかったのでお別れという実感がわかないまま集合場所に着きました。駅に着くと、このプロジェクトに参加している人がほとんどでした。まだ、けっこう集合時間まで時間があるのに、、。やはり、会うのが最後だからかなと思いました。みんなはホストファミリーの人と話していたり写真を撮っていたり、、そういう光景を見て、あ、、、お別れするんだ、、と思い悲しくなりました。私はついホストファミリーとすごした日々を思い出してしまいました。今思うと本当に楽しかったなと感じます。BBQをしたり映画を見たり、一緒にショッピングにいったり、、。どれも私の大切な思い出になりました。そんな思い出を思い出しているうちにだんだん今日で最後なんだと感じました。なのでたくさん写真をとりました。そしたら、パートナーのジナがハグをしてくれました。ジナが「I miss you」といってハグをしてくれたのが嬉しかったです。と同時に悲しくなりました。やっぱり、別れって寂しくて悲しいんだなと思いました。電車が来て、乗って動いたしゅんかんに涙が出てしまいました。ホストファミリーには、感謝の気持ちでいっぱいです。今回、このプロジェクトに参加してホームステイという体験が出来て本当に良かったです。また、ホストファミリーの人と会って話したいです。
石塚明日香 9日目
今日は、ホストファミリーとお別れの日でした。お母さんが仕事のために朝早くにお別れの挨拶をしに来ました。お母さんがもう泣きそうで、あたしも泣きそうになりました。駅では、ニナが昨日作ったスイーツを持たせてくれました。私は何回もニナとハグして泣きました。
松尾先生は、私たちの受け入れはもちろん、今まで私の話を聞いてくれて、本当に感謝しています。まるで自分を見ているようだったと言われて、松尾先生は、私と同じような問題を抱えて、それを乗り越えてきたんだなあと思って、頑張って、また松尾先生に伝えたいです。
ベルリンは、環境への意識が高く、驚きました。バス停の屋根にソーラーパネルがあったり、ガラス張りにして電気を使わない工夫があったり、少しのアイデアで環境を守ることに繋がることをしていて、日本でも普及したらいいなと思います。
また、歴史に関するモニュメントなどが駅や道ばたに身近にあって、過去からの延長線上に今があって、過去から目を背けないというドイツ人の考え方にすごく納得しました。
※未掲載文は追って追加します。
小玉直也
多くの事を学んだデュースブルグの9日間を終えベルリンに向かいます。
朝、駅に見送りに来てくれた家族と涙の別れは感動的でした。
当初、会話がなかなか続かずコミュニケーションもおぼつかなかった高校生たちも、しっかり会話しながらハグしながら、お世話になった家族との名残惜しい時間でした。家族側も高校生側も良い感想を口にしていました。
さて、電車で4時間移動してベルリンに到着。
ここでは、宮崎市在住でアースウォーカーズ理事のサシャクリンガーと、昨年お世話になった、牛込さん、南さん、福本さん、流水さんらに、受け入れていただきベルリン中央駅に到着しました。
ここでは、宮崎市在住でアースウォーカーズ理事のサシャクリンガーと、昨年お世話になった、牛込さん、南さん、福本さん、流水さんらに、受け入れていただきベルリン中央駅に到着しました。
サシャの車に全員のスーツケースを入れ込み、ジャーナリストの福本さんに駅の構造や再生可能エネルギーの活用のあり方など学びの時間。
ふんだんに使われている太陽光パネル、電車のチケットに再生可能エネルギーを利用する%が表示された利用者と鉄道会社でその負担を出し合うシステムのチケット。
いろんな事がドイツの意識の高さを学ぶ時間となった。
そこから首相官邸前を通りながら、連邦議会議事堂へ。
日本のように物々しい警察官がいるわけでなく、とても開かれた場所にありました。
連邦議会議事堂の前にはナチスが政権を取った後、戦争に突入していくさなか、ナチスに処刑され命を奪われた、社民党、共産党の国会議員の石碑が残されていました。
連邦議会議事堂でも民主主義のあり方の工夫や再生可能エネルギーを活用した議会の様子などの説明を受け多くを学びました。
なにより、議事堂の屋上から町並みを見下ろすと、まあ緑の多い事。ある高校生はその風景を見て「ベルリンって森の中にあるんですね」の一言が印象に残りました。
なるべく町の温度が上がらないよう、新しい建物を建てたらその横に数十年後に大きな木になるよう植樹されていく。
先週、学んだNRW州でも「エネルギーの生産を再生可能エネルギーに変換していくだけでなく、消費電力をどうやって抑えていくかという大きな目標を持っている」と説明されていました。
私は単に、大きな冷蔵庫を使わないようにするという努力目標のイメージだったが、街づくりを進める上で電力が少なくてすむ街づくり。
首都ベルリンが森の中にあると言わしめるドイツに衝撃を受けました。
その後、ホロコースト記念館などを見て回りナチスの残虐な歴史を学ぶのですが、私は、離脱してtelecomでWiFiのチャージをしに行ったので、高校生たちの感想をブログからご覧ください。
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