高校生たちは、ホストファミリーとの生活にも慣れ始めているようです。今日は、3日目の感想をアップしますよ~。
3日目は、ドイツ国際平和村訪問とドイツの高校での歓迎会がありました。平和村は、戦争で傷を負った子どもたちの治療を行っています。この日は、子どもたちとの交流の時間も設けていただき、貴重な時間となりました。遠い話だった戦争が、子どもたちと触れ合うことで、より真剣に考えることができたようです。歓迎会の前には、校長先生に挨拶させていただき、歓迎会は、ホストファミリーと楽しく食事ができたようです。
では、感想をどうぞ!(写真:ドイツ国際平和村提供)
齋藤雅 3日目
昨日の夜の経験から、私は大きく成長した(と思う)。前より思ったこと、感じたことを正しく言おうと気張らずポンポン口に出せるようになったと思う。朝食のパンも、初日はナイフをうまく使えず、ファミリーにやってもらったが、今日は自分でやると伝えて、ファミリーに見守られながら頑張った。みんなにじっと見られてなんだか緊張したが、ママに教えてもらいながらやり遂げてみせた。小さなことだがとても嬉しかった。
街中のパン屋さんのショーケースにあるパンにハチが大量に集まっていたのに驚いた。サイクリングロードを歩いてて事故に遭ったら歩行者が悪いというのにも驚いた。ドイツではできるだけ車の使用と減らそうという取り組みが数多く行われていて、とても良いと思った。車といえば、私のファミリーの家の周辺だけかもしれないが、各家庭の車庫やアパート・マンション専用の駐車場はなく、路上の空いている所にフリーに車を駐車しているのが新鮮でおもしろいと思った。
ドイツ国際平和村は思っていたよりも広く、建物が洗練されていて素敵だった。最初に見たビデオで、私はこんなにも傷つけられ、つらい思いをし、おびえているであろう小さな子どもたちが、安心して、傷つけられる心配もなく、のびのびと笑顔で過ごしていることにとても感動した。なんて素晴らしい活動を平和村の方々は行っているんだろう。平和村に参加しているボランティアの方々も、自分の生活を子どもたちの為に使うことをいとわない。なんて素敵なんだろう。
歩いている最中に、高遠さんの活動の一部を教えていただいた。つい先ほど地雷を踏んだ少年への対応を相談されたことを聞き、信じられないという気持ちになった。私たちがドイツで学んでいたときに、私たちにとってありえない、とても不幸で残虐的なことが起こっている。ショックだった。団体に属していないのに自分の意思だけで奉仕し、たくさんの人から信頼を受け、頼りにされている彼女はとてもかっこいい。私は彼女のように生きられないけれど、彼女の力になれるものならなりたいと強く思う。
歓迎パーティ。沖縄の学生も今回一緒に参加するということで私は基地問題について少し考えていた。私は中学の修学旅行で沖縄に行き、アメリカの基地を展望台から眺めたことがある。それは日本にある米軍基地の7~8割が沖縄にあるそうだ。あまりに広大で、これを沖縄から排除するのはどれほど困難なことだろう。しかし、実際に今も訓練時の騒音などに悩まされている人がいる。必ず解決されなければいけないのだ。
パーティの料理はどれもとてもおいしかった。ドイツのお母様方は総じて料理がこんなに上手なのだろうか。一番好きなのは私のママとデニツが作ったトルコの伝統的な料理だ。ベリーヤミー。
夜。とても楽しかった。歌ったり踊ったりムービーを撮ったり。結婚式の違いを語りあったりもした。英語はまだまだだけど自分の思いを伝えられる手段は言葉だけじゃないとわかった。明日もこの調子でがんばりたい。
Thank you
種市彩花 3日目
今日は観光がメインだった昨日とは違い、より学ぶことの多い1日でした。午前中には沖縄から来た高校生、大学生のグループと合流したのち、ドイツ国際平和村へ行きました。正直に言うと、私はこのプロジェクトに参加し、実際に行ってみるまでどんなところなのか全くわかっていませんでした。そのため、スタッフのボーさんや金子さんたちが平和村についての説明を受けたとき、私はとても驚きました。平和村では紛争地帯などの貧しい地域に住むケガや病気の子どもたちをドイツへ連れて来て、完治させてから母国へ帰すという活動を行っていること。その他にも、貧しい国々への募金をつのり、病院を設立するなどして現地の医療状況を改善するための活動、またそれだけでなく人々に平和についてかんがえてもらうという活動を行っていることを知りました。日本から遠く離れたこの土地でこのような活動が行われているということに驚きました。そして、さらに驚いたことが、日本は2番目に平和村への寄付が多いということです。そうであるにも関わらず、これまで平和村について知らなかった自分を恥ずかしく思いました。平和村についての説明を聴いたのち、私たちは平和村に住む子どもたちとコミュニケーションをとりました。子どもたちが想像していたよりも明るく笑顔だったことに驚くと同時に安心しました。子どもたちがふざけあっているのを見て「子どもは子ども」なんだなと思い、とても穏やかな気持ちになりました。子どもたちと接しているうちに、私もボランティアをしてみたいと感じました。話によると、独検2級以上の取得と6か月以上の滞在が必要と聴き、今の自分ではとても難しいことを知りました。大学を出てからでもボランティアとして参加できるよう、帰国後少しずつでもいいのでドイツ語の勉強もしていこうと思いました。
石塚明日香 3日目
今日は平和村に行ってきました。私は、映像や説明を聞くまで、平和村の存在やどういうことをしているのかも全く知らなくて、自分の知らないところでたくさんの日本人が支援していたり、子どもたちが傷ついていたり、知らないということは大変なことなんだと思いました。子どもたちは、悲惨な経験をしてきたと思うのに、無邪気に笑い合って遊んでいて心が痛みました。私だったら家族のいない異国の地で何を自分の体にされているかわからないという状況は恐ろしく、1人で落ち込んでしまうかもしれません。また、日本とそういう国でのギャップもすごく感じました。病院に行けることになったら、みんなではやし立てて喜ぶというのを聞いて、日本では、病院があってそこに通えるというのが普通なのに…そう思うと日本は恵まれた国なんだなぁと思いました。
ボランティアの人の話を聞いて、平和村のボランティアに興味が沸きました。ボランティアはドイツ語を話せないといけないので、大学でドイツ語を勉強したいと思いました。
午後からは歓迎パーティがありました。デンツの女子力が高すぎてびっくりした!福島の紹介をするなら、もっと前から準備したかったので早く言ってほしい。色んな人と話すことができて、うれしかったです。楽しかった!
斉藤悠介 3日目
今日は、ドイツ国際平和村に行ってきました。ここでは、アンゴラやアフガニスタンなどで傷ついた子どもたちをドイツ村に連れていき、治療し、母国に帰す活動をしています。ここドイツ村で広報担当のボーさんという方に少し説明をしていただけました。しかし、ボーさんはドイツ村のことよりもあの大震災で何も支援できなくてすみませんと聞いた時、とても衝撃的でした。そこまで日本に気を使ってくださってありがたいです。ドイツ村と日本は関係が深く、夏休みなどを利用し、ボランティアに来ている人がいると聞きました。ボランティアからここに就職していると聞いた時、今の職を捨て、このドイツ村へ就職することは並大抵の覚悟ではないと思いました。普通、戦争などで傷ついた子どもたちを国外で治療するなど、ただ負担がとてもかかり誰もしないことをしているので、とてもよい活動だと自分は思います。ドイツ村の目標は、世界平和及びドイツ村をなくすことです。ドイツ村がなくなるということは、それはケガをする子どもたちがいなくなるということだからです。しかも、飛行機をチャーターし、ドイツに連れて行き、治療を行っている活動はこのドイツ村でしかやってないそうです。しかも、飛行機のチャーターや治療は無償で行っているそうです。これは人に思いやりがあるという証拠です。こういう活動をしていけば、目標としている世界平和及びドイツ村が必要なくなる社会ができていくのかと思います。あと、子どもたちで一番多いケガが骨髄炎だそうです。切り傷からバイ菌が入り、骨が腐っていくという恐ろしい病気です。清潔な水、充実した医療設備がととのっていれば、こういった子どもたちが助かると思っています。なので、この世界から一刻も早く戦争をなくさなければならない。傷つく子どもたちをなくす、充実した設備を設置する、これが大切だと自分は思います。
坂井梨花 3日目
3日目、曇りのち雨です。午前中、ドイツ国際平和村に訪問しました。最初、平和村に入って、数人の子どもたちを見ました。とても楽しそうに遊んでいるようで、少し不思議に思いました。
最初、約1時間は金子さんなどからの話を聞きました。一番始めにみた映像はたった2~3分間程度の短い映像だったけど、その1本の映像だけでたくさんの感想をもちました。正直、手が震えました。見ているだけでも痛々しい火傷やケガを負っててショックでした。その後、モニターを使って平和村の設立、目標などを聞きました。今から約48年前に第3次中東戦争(6日間)が起こり、これがきっかけで設立されました。現在、230名、2歳から11歳までの子ども9ヶ国を受け入れていると聞いて、思ってたより多くて驚きました。また、他に活動の3つの柱として、①ドイツでの子どもの治療 ②子どもの母国の医療状況の改善(プロジェクト活動) ③多くの人に平和を考えてもらう(平和教育活動)、それぞれの活動の役割も聞けました。これらの活動を通して、平和村が望むのは「平和村がいつか必要なくなる社会になること」、私も聞いて共感できました。質問の前に子どもたちと会いました。私が映像で見た子どもたちと逢って、すごく元気そうで安心しました。平和村では戦争の二次被害についてたくさんの考えを持てました。
午後は歓迎パーティーで、ドイツの高校生、それから沖縄の生徒さんとも話をしました。楽しかったです。
帰宅後は、10:00頃まで公園へ遊びに行ってから寝ました。
塚野未来 3日目
今日はみんなでバスや電車を乗り継いで、ドイツ国際平和村に行きました。平和村は、日本からの物品や食料などの援助や、スタッフの派遣などによって成り立っていて、日本と深い関わりがある場所であるとのことでした。最初に、平和村に住む子どもたちについてのムービーを見ました。そこには、地雷や戦争などによって手足を失ってしまった子ども、全身に火傷を負っている子ども、きれいな水がないせいで、骨髄症になってしまった子どもなど、私たちよりはるかに年下の子がたくさん映っていて、とてもショックを受けました。日本では、見たことがないようなケガをしている子、治療を受けたいのに受けられない子が世界中にはこんなにいるんだなと改めてわかったし、日本の私たちがあたりまえのように暮らしている社会はとても恵まれているものだと再認識できました。
こんなに体に傷を負って、病気になってしまった子どもたちは、もう人に簡単に心を開いてはくれないのではないかと思っていましたが、いざ、接してみるとみんなが「ハロー!」「お名前は??」などと満面の笑顔で話しかけてくれて、とても心が打たれました。
素直な心を忘れず、日々親元を離れて自分の病気に立ち向かっている子どもたちをみて、もう二度と戦争は起こすべきではない、もうこのような子どもたちを増やさないでほしいと心から思ったし、同時に自分の恵まれた生活に感謝を忘れてはいけないなと強く思いました。
ホストファミリーの家で感じたことは、ホストマザーが最初に比べて私に興味を持ってくれるようになったということです。ホストマザーは普段、ドイツ語しかしゃべりませんが、知ってる単語を並べて私に「何のスポーツが好きなの?」「今何してるの?」「なぜあなたは髪がいつもまっすぐなの?」などとたくさん質問をしてくれてとても嬉しかったです。私もドイツ語はわからないけれど、もっと伝える努力をしていきたいなと思いました。明日のスピーチも頑張りたいです。
I was very shocked when I watched the movie of children lived in "Heiwa Mura". I think we should remember fightings, and never happened it.
千坂奈々 3日目
今日は平和村にいってきました。平和村という名前を聞いて私が想像したものは、広島の平和記念公園のようにオブジェとか資料とかがおいてある場所なのかなと思いました。しかし、いってみるとまったく異なるものでした。平和村は戦争などで傷ついた子供たちを治療し、母国を帰すことをしていました。平和村には3つの活動の柱がありました。①子供たちを治療し、母国に帰す。②現地に医療施設をつくる③平和教育活動
実際に子供達に会って感じたのは、子供はどこにいっても子供だなということです。やけどで顔や手がただれていたり、手がひどくはれていたり、松葉杖をついていたり、怪我をみんなかかえているのに、それを感じさせないくらい元気でした。誰かに「名前」と日本語を教えてもらってたらしく、みんなに「なまえ!」と聞かれました。子供達の中にも「なな」という子がいたらしく、何人かの子が「ナナ!ナナ!」と呼んで手を振ってくれました。こういうことってうれしいものですね。平和村は寄付金などで成り立っていると知り驚きました。たくさんの人が平和村を思い、協力しているのはすごいです。平和村のスタッフに興味をもちました。6ヶ月~1年というのは働きながらだと難しいのかなと考えたり、とりあえずドイツ語できるようになりたいと思いました。
午後の歓迎会で告知をしました。英語ができないなりになんとかなったのではないかと思います。ごはんはとってもおいしく、お腹いっぱいになりました。
小玉直也 3日目
3日目はドイツ国際平和村の見学!(写真:ドイツ国際平和村提供)
前日の近代史の戦争と異なり、いまも続く紛争に苦しむ子どもたちの現状を学び、サポートしている方々の話を聞いたり、子どもたちと触れ合いました。
まず、冒頭に地雷で足のなくなった子ども、爆風で全身火傷だらけの子ども、などなど施設で援助している子どもたちの映像を見ました。
その後、参加高校生に感想を聞くと、保原高校のユースケがいち早く手を挙げ感想を述べたのには、想定外で驚きました!!
それは、この日から同行している沖縄の高校生たちがディスカッション能力もあり、福島の高校生から最初に手を挙げたので、またこれがユースケなのが、彼の成長を感じた朝の出来事。
そして、4人目に述べた沖縄の高校生の感想に心が揺さぶられた。
涙を流しながら「もし、私がこの子たちと同じ町に住んでいて、次々に友達が傷つき家族が傷ついたら、想像しただけで、悲しさと悔しさが入り混じりました。そんなつらい中、必死に生活している彼らと比較して、私たちの恵まれた環境で出来ることを考えていきたい」と述べた。
様々な深刻な現状を聞いて、大事なのは、現地で苦しんでいる人の思いに心を寄せる事や、もし自分がその地にいたら、その時代に生きていたら、など想像力を働かせることがとても大事です。
そして、その現状に対して、聞いて学ぶだけでなく、私たちに何が出来るのか考える事が、新しい一歩となります。
そういう意味では、ボランティアで関わっている50代の女性の話も良かった。
ウルルン滞在記でドイツ国際平和村の2度目の特集の際に、日本人ボランティアが関わっている事を知り、自らメールでボランティアをしてみたいと連絡して、今、定期的に日本からドイツに来ているそうです。
一つのテレビ放送がきっかけとなり、自分にできる事を見つけ行動する女性の素敵な話に聞き入りました。
日本のみんな。国内外の諸課題はいっぱいあります。
ぜひ、一歩を踏み出して、出来る事からはじめてみましょう。
田中亮佑 3日目
ドイツ国際平和村を訪れました。
子どもたちの笑顔をみて、この笑顔を奪う戦争は絶対になくさなければならないと強い決意を持った。みんな「コンニチハ!」と声をかけてくれて、戦争で傷ついた子どもたちとは思えないほど、明るかった。一緒にサッカーをした子どもたちは、アフガニスタンの子どもが多かった。まずは、この子たちの国を知ることから始めたいと思う。
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