昨日までボランティアをした南相馬市を離れ、今日から福島市での
活動が始まりました。
お世話になった方々に見送られ、福島市に出発です。
途中、飯舘村の役所に寄り、モニタリングポストで線量の確認をしました。
この日の役所の線量は、0.44μSv/h。
震災の年の夏は3μSv/hだったそうです。少しずつ、除染作業の効果が現れていることが分かります。
しかし、役所を離れると、0.97μSv/hが手元の線量計で観測され、
モニタリングポストの線量は、あくまでその地域の1つの値であることに気付きました。
臼石小学校の前では、除染作業を行っていました。
現在、臼石小学校は進入禁止になっており、少し離れた所で周辺の3つの小学校が集まって
1つの仮設校舎に統合されています。
自分の慣れ親しんだ学校に通えないというストレス。
子どもたちは、3校合同の校舎で、新しい友達関係を築くことはできているのでしょうか。
学校のこと以外にも、子どもたちはたくさんのストレスを抱えているはずです。
臼石小学校を眺めながら、震災後の子どもたちの状況が気になった1日でした。
文責 宮崎公立大学:田中亮佑
今日は、第3回「福島の子どもたち宮崎に来んねキャンプ!」に参加していただいた親子の方々と久しぶりにお会いしました。
子どもたちも元気な姿を見せてくれ楽しいひとときとなりました。
土曜日ということもありましたが、一緒に遊んだ本宮市の屋内遊具施設「スマイルキッズパーク」には、たくさんの子どもたちが遊んでいました。
子どもたちが多すぎて、遊びにくさも感じました。
嬉しかったことは、来んねキャンプ当時、未就学だった子どもが小学校に入学して、2月よりもたくましくなっているように感じました。
その一方、多感な時期に外で遊ぶことが制限されてストレスを感じている子どもたちがいることを残念に思いました。
子どもたちがのびのびと五感を使って遊べるような環境整備も進めていかなければならないと感じました。
文責:宮崎大学 みさき
今日は南相馬を出発して福島市に移動しました。
中には砂場もあり、スウェーデンから輸入した特別な砂を使用しているとのこと。感触は、、、少し粘土質でしっとりしていました。形成も簡単なのですが個人的にはかなり違和感がありました。雨が降った後と乾燥した時では、砂の状態は全く異なるのに、ここの砂はいつでも同じ状態です。やはり、自然の中で遊ぶのが一番良いなと感じました。
午後は福島市のあぶくま法律事務所でお話を伺いました。
9月10日に行われる東電に対する第4次集団提訴の準備で慌ただしい中、時間を作っていただきました。
東電側に津波対策が不十分だったと責任を追及したところ、「6m級の津波対策はしていたが、10m級は想定外の事態だった」と回答があったそうです。
ところが、実は「想定外」ではないようなのです。
1990年代に国から東電に対して「10m級の津波がきたときのシュミレーションを!」と要請があり、東電は「10m級の津波では、原発の電源が喪失する」という結果をだしました。
それにも関わらず10m級の津波が来ない方に賭けて、6m級の対応しかしていませんでした。
安全性を軽視し、コスト削減を図った結果が今回の事故につながったのではないでしょうか。
お隣の鹿児島に川内原発があり、串間市にも原発推進の動きがみられる私たちにとって、今回の事故は決して他人事ではありません。「明日は我が身」です。
原発の存在意義についてもっと多くの人に考えて欲しいと思いました。
文責:宮崎大学 遠矢聖仁
今日は五日間お世話になった、ボランティアのための宿泊施設、カリタスを立ちました。私自身、2日間は寝込んでいたので、施設のシスターなどにとてもお世話になりました。
この施設では、ボランティアの人たちが全国から集まって来ていて、毎日のように出会いと別れがあります。
なのでそれぞれの作業が終わり施設に戻ってくると、ギターを弾きながら歌ったり、お酒を飲みながら話したりしていました。
中には一人で来ている大学生もいました。
真面目な活動の中のにも愉快さがあるような雰囲気や環境、スタッフの方々の温かさが、
若者でも被災地に飛び込んでボランティアができる要因になっているのだと思います。
本当にお世話になりました。
午後、福島市に移動して、国と東電を相手取って裁判を起こしている方々のお話を聞きました。
お話を聞いて行く中で、国や東電の、被災者の方々に対する向き合い方への怒りが大きいのだと感じました。
色んな方のお話しの中で、政府は原発から同心円で線引きして、補助金の額を決めていましたが、
実際のところ原発から近いから放射線量が高いわけではなく、また遠いから低いわけではないことを理解しました。
そんな中で、原発から近い地域ではすぐに避難勧告が出たにも関わらず、原発から離れた地域では放射線量が高い所でも、
情報開示が遅れたために通常の生活を続け、被爆した多くの方々がいたことを知りました。
放射能の話が上がる時、たびたび『福島』を一括りにされます。
それは食べ物にしても、補償金にしても、復興の進み具合にしても。
しかし、福島の中でもそれぞれの地域によって、震災後の影響や苦しみは多様多種です。
分断統治によって同じ県民の中で、いがみ合っている現状もあります。
放射能によって福島県の中がどのような状態にあるのか、ネットなどの偏った意見に左右されることなく、たくさんの人に知ってもらいたいと思いました。
追伸:小玉直也
学生たちが日々学ぶ原発事故後の報道されない福島の声。
今日はあぶくま法律事務所の鈴木弁護士と原告団の方々の深刻な話を伺いました。
鈴木さんには、その後の夕食もつきあっていただき、ごちそうになりありがとうございました。
そして、無関心な若者が多いといわれる昨今ですが、裁判や原告など若い人が足を運んで話を聞いてもらうだけでも、現地で頑張っている人の励みになるそうです。
また、機会が会えば、お話を伺いたいと思います。
今回は貴重な時間を割いていただき、ありがとうございました。
そして、この日までお世話になった南相馬。
早朝6:20に駐車場に集合し仮設住宅や近所の方々とラジオ体操が日課でした。
夜の交流が盛り上がる事もありますが消灯は23時と早寝早起きで健康的なスケジュール。
このラジオ体操を毎朝準備、運営している長崎さん本当にありがとうございました。NPO法人のスタッフの長崎さんから写真が送られてきたので紹介します。
そして、元気で頑張るあらためさん。震災後の話をいろいろ聞かせていただき感謝です。
夜のライブは行けませんでしたが、また会えるのを楽しみにしています。
本当に元気なおじいちゃんで、いろんなイベントなどでキャンドルを灯し街をロウソクで明るくしている素敵な方でした。
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