2025年3月26日水曜日

福島・ドイツ高校生交流プロジェクト6日目

〜衝撃のベルリン〜
福島・ドイツ高校生交流プロジェクト6日目
ドイツでは原発や火力のエネルギー発電から再生可能エネルギーを促進している話を学ぶ事が多々あるのですが、
なにより衝撃を受けるのがエネルギーを使う総量をどう減らしていくか、CO2の排出をどうやたら減らせるか、が行政も企業も市民レベルでも意識されているのに驚く。
その一つが自家用車の使う量を減らしてなるべく公共交通機関をみんなが使うように努力するよう勧めている58ユーロチケット(ドイツランドチケット)です。
2022年に国民の大きな世論とともに緑の党が躍進しはじまったプロジェクトで9ユーロチケットとして始まった。
2024年は49ユーロチケットだったものが、2025年は58ユーロチケットに変更になった。
これでDBの高速鉄道(いわゆる新幹線みたいな鉄道)以外のほとんどの電車、地下鉄、市内バス、路面電車などがすべて乗車する事ができる。
画期的なシステムを導入し4年目を迎える。
お陰でこれまでは毎日の地下鉄代やバス代を高校生たちから集めていたものの、それが一気になくなりめっちゃ安くなっていった。
まぢすごい。
そして今回の衝撃のベルリンはここからはじまる。
ベルリン市内の公共交通機関の労働組合のストライキが行われ、3月26日、27日に市内の地下鉄、市バス、路面電車がストップする事に。
ストライキが起きない日本と起きるドイツとのメリット、デメリットを考える。
乗客目線での利便性やストレスの少ない交通事情の素晴らしさはある。
ドイツでは不便ではある中、1週間くらい前にストライキ情報が発表されるので、それに合わせて通学や通勤や仕事の移動などが計画される。
一方で労働条件がほぼ毎年改善されたり賃金が上がったり労働者目線で働きやすい職場を作るシステムがあるドイツ。
日本では、賃金が先進国で最低レベルだったり、休暇が世界でも異例の少なさ。世界では家族で3週間旅をするために休暇を取れる国がたくさんある。
家族との幸せを共有するために働くドイツと、会社のために働く日本との大きな違いと、ストライキが民主主義の原点であることを痛感する。
そんな話を長々すると、本文にはいれなくなるので、労組が違うため動いているSバーンという電車に乗ってこの日は
ナチスの歴史を学ぶ、ザクセンハウゼン強制収容所を訪問に2つめの衝撃を体感する。
以下、ザクセンハウゼン強制収容所と西村さん宅の訪問では引率の米本響の文章に少々加筆して掲載しています。
強制収容所の入り口の門に掲げられた “ARBEIT MACHT FREI”(働けば自由になる)という看板を前に、
高校生たちはザクセンハウゼン強制収容所を訪れました。
大きな門をくぐり、数え切れない人の人権が侵害された土地に足を踏み入れた高校生たちはその異様な空気観に笑みを失っていました。
 同行していただいた、福本さんが語る歴史に高校生は自分の立つ場所と当時の影を重ねてその恐ろしさを肌で感じ取ったようでした。光のない独房、布切れ同然の収容者用の衣服、人体実験を行うための手術台、そのいずれも強烈にドイツの歴史を今に生きるわたしたちに訴えかけてきます。
 見学を終えた高校生は、「自国の暗い歴史を学ぶ施設があることに驚いた。日本には自国が加害者となった歴史を学ぶ施設はあるのだろうか。」と語りました。高校生の中にまた一つ大きな問いが生まれた瞬間でした。
到着した入り口で笑顔の集合写真と収容所訪問後の重苦しい集合写真の顔の表情の違いが高校生たちの胸の内を表していました。
そこから、移動して、ベルリン市内へ
ここでは予定していたバス停までの移動が出来なかったため、目的地になるべく近いSバーンの駅に到着し、
次の目的地となっている西村さんに自家用車で送迎お願いしての移動となった。
 再生可能エネルギーについて講話を聞くためにベルリンにある西村さんのご自宅へと伺いました。
西村さんはエネルギーのコンサルタントとして働きながら、政府のベルリン大使館の通訳などのお仕事もされている方です。
ベルリンにてストライキが行われている影響を受け、バスや路面電車など公共交通機関が停止したために、西村さんに車を三往復してもらいやっとお話を聞くことができました。
 到着した西村さんが所有する部屋の壁を見ると30cmくらいの壁で3重窓となっていて、外気
 熱、交通、電力と私たちの生活を支えるエネルギーについて学んだ高校生は、普段は使うだけのものがどのように作られ、環境や社会に与える影響を想像する貴重な機会になりました。
日本ではエネルギーの発電方法の議論は耳にしますが、ドイツでは政府がどうやって消費量を減らせるか議論し、市役所の担当者が来年のエネルギー消費料を減らすための政策を市民にどう進めていくか議論し、市民も企業も目標にむけ徐々に消費エネルギーを減らしていくのを実現して行っている。
これは日本ではほぼ聞かない。そもそも議論すらされているのかわからないです。
 話を聞いた高校生は「太陽光発電と風力発電は補い合うことを知った。」、「原子力発電は安いと聞いていたが、新しく発電所を建てようとすると決して安いとは言えないことに驚いた」と語りました。
西村さんに最寄の駅まで送っていただき、さらに夕食をご馳走になりました。
ありがとうございます。
そのあと、ドイツプロジェクト始まって以来初の高速夜行バスでベルリンからデュイスブルグへの移動となります。
バスの出発駅に到着したところ、引率の私の携帯が紛失し警察にう届け出るというハプニングに見舞われながら携帯電話の無いまま高速バスでの移動となりました。
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アースウォーカーズの福島の子どもたちの支援をみなさんのお力添えで継続できるようよろしくお願いします。
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根本莉子 6日目 ザクセンハウゼン強制収容所、西村さん宅

駅で朝食のパンを貰った時福本さんに全部注文してもらいました。ザクセンハウゼンに到着した時普通の家に溶け込んでいる感じが、正反対だけど、広島の原爆ドームに似ていると感じました。ザクセンハウゼンにはユダヤ人だけでなく少数民族や知的障害の人も収容されたと聞きました。門や収容所が解放された時間を示している時計は重圧感があったし、中は思っていたよりずっと広かったです。福本さんが窓の光の入る量が部屋によって違うことや、アウシュビッツには45×45の牢屋で座ることもできない牢屋もあると聞きました。中に入ると光が1点だけの部屋や真っ暗な部屋はのぞき穴で見ました。その部屋にいた人の写真などがあったり、食堂やベッドが古くなっていて生活していた跡という感じがしたので、本当にユダヤ人などが収容されていたのだと実感しました。ドイツは収容所の悲惨さを伝えていこうとしているけど日本は他の国にしたことを教えようとしないのでそこが日本の悪い点だと思います。でも今から伝えていこうとしても被害を受けた国からしたら遅いとなると思います。次に西村さんの自宅に行き、再エネの話を聞いたり、スピーチをしました。原子力は二酸化炭素を排出しないけど、事故の危険があるから反対していましたが、原発を建てて15年ぐらいしないと稼働しないことやコストがかかるということを聞いてさらに再稼働に反対しようと思いました。
ドイツは気温が27℃以上だと休校になるらしいのでそれなら毎日夏休みだと思いました。日本では風力発電があまりないのでドイツの主な再エネが風力と太陽光であることに驚きました。ドイツの省エネの理由の1つにエアコンをできるだけ使わないようにぶ厚い壁と3重の窓の家がほとんどだということが分かりました。福島の夏は暑すぎてエアコンの温度を下げてもきかないことがあるのでエアコンをあまり使わず快適に暮らせる家はいいと思いました。西村さんが再エネや原子力についてくわしく話してくれたので前より再エネのことが分かりました。
I want to buy a house with German architecture.




氏名阿曽琴香 6日目 主な訪問先ザクセンハウゼン強制収容所. 西村さんのお宅、ケバブ

今日はベルリン2日日でした。パンを買って、電車とバスを使い、ザクセンハウゼン 強制収容所に向かいました。その途中の駅近くに爆弾が飾られていました。その駅 周辺は戦争当時ウランの研究所があった地域でそれを理由にその地域に落とされた場所だと分かりました。私が驚いたのは、まだそういった未爆発の爆弾が見つかっているということです。まだまだ戦争の傷跡が残っているんだなと感じました。ふくもとさんが放射 線について詳しく話してくれたおかげ理解が深まりました。ザクセンハウゼン強制収容所では、風が冷たくとても寒かったです。ユダヤ人はこんな寒い日も暑い日もこの空間の中で残酷な日々を送っていたと思うととても胸が痛みました。暗いに独房室や焼却場、人体実験室。「なんでこんな残酷なことが平気でできるんだろう。」ほんとうに悲しくなりました。中でも一番胸が苦しくなったのは身長を測る道具に隙間が空いていて、そこから射殺していたことです。他にも様々な形で、 虐殺をしていた物が展示されていました。ナチスによって殺されたユダヤ人を運んでいる様子の慰霊碑の場とても空気が重く感じました。ドイツはこうやって過去の過ちを忘れないようにする為の場所がたくさんあります。しかし、日本は過去にナチス軍と同じようなことをしたのに、それを学ぶ場がないと思いました。実際私も慰安婦問題については知りませんでした。日本もドイツの教育方針を見習うべきだと思いました、その後西村さんの講演を聞きにうかがいました。西村さんのお話はとても興味深く、再生可能エネルギーの歴史や未来についてたくさん教えてもらいました。 中でも印象に残ったことは、ドイツの若者が声を上げ、ドイツ政府に対し裁判を起こし今を大きく変えたことです。若者がこれからの未来を変えていくと西村さんはおっしゃっていました。 日本でもこういった若者がたくさん増えれば良いなと思いました。そして、私もその一員に なりたいです。西村さんには、多くの寄付をしていただきました。本当にありがとうございました!!夜はおいしいケバブを食べ夜行バスに乗りデュースブルクへ向かいました。Thank you for your valuable experience!!!



氏名:加茂 舞美 6日目:ザクセンハウゼン強制収容所

今日はザクセンハウゼン強制収容所に行きました。収容所に入れられるのは、ユダヤ人だけでなく、同性愛者、障害者、ナチス政権に反対した人達も迫害されていたと聞いてとても多くの人が迫害されていたんだと思いました。
身長をはかるふりをして後ろから銃で撃って殺すのがとても印象的でした。私は日本の戦争に時に日本が他の国にしたことを全然知らないと感じました。日本もされたことについての資料館だけでなく、日本がしたことについての資料館を作るべきだと思いました。26.27日にストライキがあって、電車、バス、地下鉄が止まって西村さんが3往復もしてくれました。日本はストライキで電車が止まることはないから不思議な気持ちでした。
強制収容所に行った後は西村さんの家で話を聞きました。地球温暖化になっているのに、最近大雪が多い理由を知ることができてよかったです。西村さんのお家は壁の厚さが80cmで3重窓で外は寒かったのにお家の中はあったかくてすごいと思いました。そしてエアコンを春夏秋に使わなくていいと聞いて日本もそういう家が増えてほしいです。西村さんがアースウォーカーズに寄付をしていただいておいしいケバブを食べることができました。ありがとうございました。
Thank you Nishimura for your donation to earthwalkers!



宮口あおい 6日目 ザクセンハウゼン強制収容所、西村さん講話

ザクセンハウゼン強制収容所に行って1番最初に感じたことは“寒さ”だ。昨日より気温が低く天気があまりよくなかったため寒かった。しかしそれだけでなくとにかく風が冷たかった。入ってすぐ点呼場を案内していただいた。誰か1人でもかけていたらその人が見つかるまでは外にずっと立たされるとのことだった。今は3月で冬よりも少し暖かいにもかかわらず、私は暖かいジャケットを着ていたにもかかわらず凍えるような寒さを感じたので薄い布一枚で何時間もあの風が強く吹く更地に立たされているのはどんなに過酷だったのだろうか。思いを巡らせるだけで辛かった。沢山の場を案内していただいたのだが、その中で最も印象的だったのが、人体実験も行っていたことだ。
足を一歩踏み入れてみるとなんだか重く暗い空気が肩にのしかかり、少し気分が悪くなった。特に人体実験された死体の保管場へ続く階段は現在のの私たちも死へ続くと引きずるような恐怖を感じた。全体の見学を経て1番感じたのはどうしてこんな残酷なことができるのかとゆうことだ。仮にも私がナチス側だったら人の権利を剥奪できるようなことができただろうか。「きっとそれはできない」と言うのが今の想いだが、当時精神までナチスの考えに浸されていたらできたのかもしれない。どっちにしろ今の私はnoと言う答えしか持っていないので当事者の話の話も伺ってみたいと感じた。
西村さんの話もとても貴重で、様々な再生可能エネルギーに興味が湧いた。日本のエネルキーの使い方も見直す時が来たなと感じたし、しっかり考えられるようになりたいと感じた。
Thank you for giving us many precious opportunities!
Everything was for fan!!



大内朝日 6日目 主な訪問先:ザクセンハウゼン強制収容所、西村さん訪問

今日もふくもとさんにたくさん説明してもらいました。今日はドイツの暗い歴史について、第二次世界大戦中ドイツでどんなことがおきていたのか知ることができました。ザクセンハウゼン強制収容所はナチス、ヒトラー政権が、ユダヤ人、同性愛者、性的少数派、知的障害者、共産主義者などを迫害、殺害したとても残酷な場所です。そこには点呼場やゲットーという囚人を閉じ込めておく場所、遺体を焼く焼却炉、遺体をおいておく倉庫などがありました。私が一番衝撃だったのは、身体測定をする、と言っておき、身体計に立つと、わずかな隙間からうなじを打たれる、という処刑の仕方です。何も知らない囚人があっという間に殺されてしまうと考えると鳥肌が立ちました。ふくもとさんから昔は亡くなった人たちを解剖する道具や、ホルマリン漬けになった囚人たちの臓器も展示してあったと聞いてさらに驚きました。ザクセンハウゼン強制収容所はすごく空気が重く、息苦しい場所でした。
その後は西村さんの所へ再生可能エネルギーについて学びに行きました。再生可能エネルギーのデメリットとしてコストパフォーマンスが悪い、広い土地が必要などが挙げられます。しかし、このまま化石燃料を使いつづけていては、地球温暖化は進み、資源もなくなってしまいます。エネルギー政策で大切なことは、S+3Eの安全供給、経済効率、環境配慮、安全 と5Dのデジタル化、脱炭素化、分散化、規則緩和、少子高齢化民主化です。まず、エネルギーの消費量を減らし、省エネ、非化石転換をします。発電方法はメインとして太陽光にしていった方が良いということを聞きました。昔に比べて太陽パネルのデザインが変わってきたり、色や模様がついているなど色々な所で利用される未来がもう少しのところまで来ていると思います。
Today was a day where I learned a lot about Germany!




曲山 澪 6日目:ザクセンハウゼン強制収容所 西村さん

福本さんにベルリンのこと、放射線のこと、原発のことを話してくださいました。ザクセンハウゼン強制収容所に行きました。ドイツがユダヤ人を強制的に収容所に入れ、奴隷として厳しい状況下で働かされている、写真、道具、施設を見学しました。
実際に足を運んで、自分の目で見る収容所は、想像を超えるものでした。収容所の敷地は思っていたより広く、いたる所に監視塔がありました。いかに、逃げることが困難であるかがわかりました。また、身体を測定すると言われ実際に行くと、身長を測る後ろから銃で打たれていた話や、ここで骨になるまで燃やしたという話を聞きました。罪の重さによって、部屋の広さ、窓の大きさ、ベッドの有無など、実際に目にすることでそこにいた人々の辛さを感じました。自分はこんなに自由に過ごしていていいのか?と思いました。ドイツは自分たちがやった過ちを見直し、忘れない為に、今後二度と同じことを繰り返さないようにこのような施設があって、日本は攻められたことしか施設として展示しないが、ドイツは自分たちが攻めたことを展示していました。日本も自分たちの過ちを見直す方がいいと思いました。西村さんの再生可能エネルギーの講話を聞きました。ドイツと日本の発電の違いや、再生可能エネルギーの良さを知ることができました。夜にご飯を食べに行きました。私はみきさんと2人でアジア系料理を食べました。みきさんと一緒に会話しながら食事して、とてもいい時間を過ごすことができました。
I was glad to learn many things. I would like to expand this experience.




菅野 愛華 6日目 訪間先:ザクセンハウゼン強制収容所

今日は午前中にザクセンハウゼン強制収容所へ行きました。
ナチスはユダヤ人の他に性的小数者や政府に反対の立場の人などを収容していたことを知りました。この場所で人が殺されていたと思うとゾッとしました。なぜ、その人達は殺されなくてはいけなかったのだろうと思いました。当時、ザクセンハウゼン強制収容所の近くには住宅地がありました。市民はザクセンハウゼン強制収容所の存在を知っていてどのようなことが行われているのか分かっていました。市民の中には、ザクセンハウゼン強制収容所のことを良く思わない人もいたと思います。ですが、見て見ぬふりをしていたことを知りました。見て見ぬふりをするというのは、今の日本でも起こっていることだと思います。私たちは、物事についてきちんと向き合う必要があると思いました。ザクセンハウゼン強制収容所の近くに警察学校がありました。そこには看板が立てられていました。看板には、憲法が書かれていました。
憲法には、ナチスがやったことに対して、二度と同じことを繰り返さないようなものになっていました。ドイツは自分達がやった過去のことについて向き合っていると思いました。一方、日本は、自分達が過去にやったことに対してまだまだ向き合い足りていないのではないかと思いました。自分達がされた事はもちろん、自分達がしたことを学ぶ必要があると思いました。
それが世界が平和になる一歩なのではないかと思いました。
I hope the world will be peaceful.

2025年3月25日火曜日

福島・ドイツ高校生交流プロジェクト5日目

福島・ドイツ高校生交流プロジェクト5日目
帰国後体調不良でしたがようやく36度台にさがり、投稿します。
かさねて高校生たちのレポートが書き上がり、少々遅れて5日目の投稿となりました。
この日は朝8:30までにデュイスブルグ中央駅に集合し高速鉄道、日本でいう新幹線でベルリンへ移動。
思い起こせばこの日も前夜の、体調不良でデュイスブルクの病院に行ってました!笑
ICEの乗車する電車を調べる担当の高校生はまいみと朝日が電光掲示板に表示されている9:05発のICE545の乗車ホームを調べみんなを案内。
元々は1stのチケットを購入していたのですが、指定席でいっぱい。2ndの車両のみんなで一緒に乗車できる場所を引率のめぐが調整して座席に座って移動することが出来ました。



ベルリン中央駅ではジャーナリストのふくもとさんが迎えに来て頂き、高校生たちを案内。Fukumoto Masaoさんありがとうございます。
ベルリン中央駅の構造は東京駅と違い、各フロアーがコンクリートで仕切られてなく、3階に位置するホームに太陽の光が照らされ、しかもその光が2階にも、1階にも、地下フロアーにも届くように構造されている。
そして電力の消費を抑える効果を発揮していた。
ドイツで最も日本と異なると感じるのは、発電方法の再生可能エネルギーへの転換だけではなく、電力やエネルギーの消費量をどうやって下げていけるのか!の努力が雲泥の差と言っても良いくらい異なる。
ベルリン中央駅から、この日担当の朝日とまいみの案内で宿泊する宿にチェックイン。
荷物を置いて、ベルリンの壁を訪問。東西冷戦時代の分断とそれを乗り越えた歴史を学ぶ


バナナもお菓子も手に入らなかった。東ドイツから自由を夢見て、壁を越えようとして、射殺された人々の苦悩は想像してもしきれない深いものだったやろう。
高校生たちからの質問に丁寧にふくもとさんに答えていただき貴重な時間となりました。
そこからベルリンの報告会の会場、Jdzb(ベルリン日独センター)に移動。
高校生たちはデュイスブルグの高校の講堂での報告会につづきドイツ2回目の英語での報告会が実現しました。


まだまだ緊張したおももちだったものの、なるべく原稿を見ずにオーディエンスを見ながら表情豊かにスピーチができている高校生も徐々に増えていき、これまでの努力が花開きだしたと感じた時間となりました。
実は前回ベルリンでの報告会を開催した会場の教会が都合がつかず、会場が見つからず苦労していました。
そこで、これまで出会ったベルリン在住のドイツ人に連絡しまくって、半年前に宮崎県日南市に観光に来ていた際に私が声かけてCARPの天福球場のキャンプや飫肥城を案内したカップル、センドラ&ベニーがjdzbに直接連絡してもらい今回の会場使用となりました。
また、当初予約した際に170ユーロ(約3万円)と言われた使用料もjdzb側との交渉で40ユーロで使用させていただき、とても助かりました。
ベルリン日独センター(jdzb)さん今回のご配慮本当にありがとうございます。
そんなjdzbはアースウォーカーズのドイツプロジェクトの第一回目の助成金をいただき、この企画が始まるきっかけとなった団体です。


その昔、中曽根首相とコール首相の呼びかけで始まった日独の高校生の交流の助成金『たけのこプロジェクト』の最終年2013年にアースウォーカーズが受諾して開催された、
福島・ドイツ高校生交流プロジェクトはJDZBが審査して実現しました!
今年、初めて訪問するJDZBに感慨深い思いで第一回目のベルリン訪問に思いを馳せました。
そして第一回目からサポートして頂いている、ふくもとさんには感謝でいっぱいです。
あれから第10回目が開催されることとなったプロジェクトですが、ピーク時は1400万円の予算があり年間200人近くの子どもたちのサポートをした時期もあるが、
今は650万円の予算で年間数十人のサポートに留まっている中、昨年の理事会で累積赤字が260万円を超えて、そろそろ団体の解散も視野に入れたほうがいいのではないかと、理事の弁護士さんから初めて意見が上がった。
なんとか、福島の子どもたちや被災地や戦地の子どもたちの支援に関わり続けたいと願う中、今年からはなんとか累積赤字が減少するようにしていかないといけない。
ぜひ、みなさんの温かいご支援とご協力をこれまでに増してお願いして、共に福島の子どもたちのサポートを継続していきましょう。
特定非営利活動法人
アースウォーカーズ
代表理事:小玉直也
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氏名 菅野愛華 5日目 主な訪問先 ベルリン
今日は9時の電車に乗ってベルリンに行きました。ドイツへ来て3日目で結構疲れてきました。でも4時間の電車に乗れてよかったです。またホストファミリーがおにぎりを持たせてくれたのでお昼はおにぎりを食べることができました。久しぶりの日本食を食べれてよかったです。電車の中ではずっと寝ていました。ベルリンについて景色を見てみるとデュースブルクと全然違うことに驚きました。ベルリンには沢山のきれいな建物がありました。映画の中にいるような感覚になりましたホテルに向かう途中犬の糞を踏んでしまいました。ベルリンの事が少し嫌いました。ふくもとさんにベルリン中央駅を案内してもらいました。ベルリン中央駅は屋根の上にソーラーパネルが着いていました。しかしらそれで得たエネルギーは駅の中で使われてないことに驚きました。またベルリン中央駅内には蛍光灯が少なかったです。しかし、駅内は明るかったです。ドイツのエコは進んでいると感じました。条件が揃っているときの再エネ率は80%と知りすごいと思いました。次にベルリンの壁を見に行きました。駅には入れないようにふさがれていた跡がありました。ふくもとさんは昔東ドイツに住んでいたのでその時の話を聞きました。ものはなくとても貧しかったけどみんなで助け合って生きていたそうです。教科書では教えられないことも知れました。ふくもとさんの話を聞いて東ドイツにもいいところもあるのかなと思いました。夜はみんなでアジア料理を食べました。西村さんご飯ありがとうございました。とても美味しかったです。
I will do my best with my speech!



根本莉子 5日目 ベルリン
朝からデュースブルクからベルリンまでバスで移動しました。着いたら福本さんが待っていてまず白い電車の電力はすべて再エネでまかなわれていると分かりました。また、木を植えて日影が出来ると温度差で風がふくと分かりました。それによりクーラーを節約できるので福島ももっと木を植えたほうがいいと思いました。
地球温暖化の原因で二酸化炭素がどう関係しているかくわしくは知らなかったので、排出された二酸化炭素は下にいきそれが蓄積されているからだと分かりました。次に駅の中に入って説明をしてもらいました。駅の中にほとんど電気がないと聞いていたので表示が見えにくいのかと思ってましたが、上の天井が開いていて光が入ってくるし、日本の駅より騒がしい雰囲気がないと思いました。とても省エネなので日本もそうしたらいいのではと思いましたが、ドイツはそれを考えて十字に交差した構造にしたので日本で今から取り入れるのは無理らしいです。駅中の温度は地下から上まで吹き抜けになっているので夏でも地下の涼しい空気が来るので省エネになっていると聞きました。実際開いている所に手をかざすと涼しかったです。駅で小玉さんが買ったポテトが今まで食べた中でいちばんおいしかったです。ベルリンの壁に着いたとき、福本さんから何で2つの壁の間があいてるのかと質問されて分からなかったのですが、そこを通ると見つかりやすいので射殺されるということが分かりました。後で高い所に登ったとき、死角が全くなかったので逃げ切れないと思いました。また、福本さんが当時の東ドイツに住んでいたことにとても驚きました。東はソ連側だったので住んでいたとしたら西ドイツがいいと思っていましたが、東ドイツは物がなかったけどみんなで協力できたことがよかったと聞いて実際住んでいた人に聞かないと分からないことがありました。西ドイツに逃げる人が増加した時、アメリカのようにお金を出すのではなく壁を作って強制的に出られなくした所がソ連のやり方なんだなと思いました。夕飯はベトナム料理を食べました。久しぶりのアジア料理で、上にのっていた揚げ春巻きみたいなのがおいしかったです。ビールを少しのみましたが、意外においしかったです。同じテーブルだった福本さん、瀧本さんと西村さんとドイツのことなどについて話せてとても楽しかったです。西村さん10ユーロの寄付ありがとうございます。
Thank you for dnating to Earth Walkers.



曲山澪 5日目 ベルリンの壁
デュースブルグ中央の駅に集合して、アイリーンとデュースブルグの駅中のパン屋さんでクロワッサンを買って食べました。昨日バスの中で朝食に何を食べたいかを聞かれた時、ソーセージと答えましたがドイツ人は普通朝食にパンを食べると言われたので、クロワッサンを食べることにしました。とてもサクサクで美味しかったです。そのあとあおいちゃんとスタバで私はキャラメルマキアートを飲みました。とても美味しかったし、身体温まりました。
電車で4時間くらいかけてベルリンに向かいました。その間に2、3日目のレポートを書いたり、アイリーンが作ってくれたサンドウィッチを食べました。とてもいい時間になりました。ベルリンの壁に行く前に福本さんと合流して、駅中の再生可能エネルギーについて学びました。ドイツの駅はフロアごとに仕切られていないため、日中は太陽の光を一階まで利用し、照明を利用しない環境に優しい取り組みがされていて、驚きました。ベルリンの壁では、東ドイツの人々が西ドイツに逃げないよにする壁で壁をよく見てみると壁の中に鉄棒が剥き出しになっていていかに抜け出したいかが伝わってきました。夕食はアジア料理のお店に行きました。私はサケドンを食べました。サーモンと酢飯を食べて人生で初めてカクテルを飲みました。美味しかったですが、少し酔っ払いました。今日は再生可能エネルギーや歴史について考える良い機会になってよかったです。福本さん夕食代ありがとうございました。
Thank you! I learned about renewable energy and history.
ベルリンで2回目の報告会をしました。ベルリンにある図書館のような場所で行いました。前回のスピーチよりも相手の目を見ながら発表することができてよかったです。次回も頑張りたいです。




氏名:宮口あおい 5日目 主な訪問先:ベルリンの壁、報告会
デュースブルクから4時間電車に乗ってベルリンへ着いた。ベルリン中央駅で福本さんにお会いし、ドイツのエネルギーについてお話をしていただいた。
再生可能エネルギーのデメリットである”安定的ではない”という問題を解決するために太陽光での発事量が多い時にほかの発電方法で補うなど常に調整していると聞いた。
日本ではあまり再エネの割合が高くなくドイツのように再エネを再エネで補うという方法は考えにくいなと思ったと同時に、ドイツの再エネの使い方の上手さに感動した。
いかに電気を節電できるかということにおいて特にドイツは特化していることを知り、駅の構造をうまく造ることで日光が地下まで届くように設計されているのが非常に興味深く感じた。
地球温暖化のしくみも改めて学ぶことができ、もっと自分ごととして考えていこうという気持ちになった。
ベルリンの壁では今まで教科書でしか見たことのなかったものを目の当たりにし、人々の重い気持ちが直に感じられた。壁は想像していた高さよりももっともっと高く、壁を登って向こう側に行くのはとっても大変だっただろうなと思った。特に私が印象的だったと思ったのは東ドイツ側と西ドイツ側にどちらにも壁があり、二重になっていたところだ。二重の壁を越えるまでの間に広い空間があってそこで射殺されていたと知り、東西を交わらせない徹底ぶりにとても驚いた。福本さんのお話の中に、貧しかったからこそ協力し合う精神があったとあり、壁の多くは悪い歴史だったかもしれないが、良い面がなかった訳ではないだろうし、その良さに気づける人々も素敵だと思う。                           Todays speech was well done!
Next time, I want to do my best!!



大内 朝日 5日目・主な訪問先:ベルリン
今日はふくもとさんにベルリンについてたくさん教えてもらいました。まずベルリン中央駅の構造について、屋根が透明になっていて最上階から地下まで吹き抜けになっているため、電気がなくても光が入るようになっている。ドイツの新幹線は再エネでできた電気を使って走っている。しかし、赤い色をした電車はまだ化石燃料で走っている。ドイツでできる再エネの電気料は20-50%と差が大きい。曇りで風もない日は再エネでは全ての電気をまかなえないため、他の化石燃料やガスを使ってできた電気でまかなっている。ドイツはバスも再エネの電気を利用している。バスにはパンタグラフがないため、蓄電をして走っている。しかし、充電するのに時間がかかるという課題がある。私たちは駅を見学した後ベルリンの壁を見に行った。1989年11月9日ベルリンの壁崩壊。どうしてドイツは西と東に分かれてしまったのか、ドイツは連合国によって分裂された。西ドイツは、アメリカ、フランス、イギリスに、東ドイツはソ連によって分断された。1949年、すぐに壁ができたわけではない。西ドイツに逃げようとする東ドイツの人が多かった。それは西ドイツの方が経済的に裕福だったからだ。マーシャル・プランと言ってアメリカが戦後西ドイツの経済を復興させるためにお金をたくさん積んだ。逆に東ドイツは、敗戦国としてソ連から管轄された。東ドイツはソ連に鉄道などを賠償金として全て渡した。そのため東ドイツは西ドイツに比べて自由がなく、経済も発展しなかった。このことについて学校では教えてくれないとても大切なことだと思ったし、実際に壁を見て、高さを実感し、自分の力の無さを痛感した。Good to know about German history.



氏名加茂舞美 5日目 主な訪問先 ベルリンの壁
今日は、電車に乗ってベルリンに行きました。ファーストクラスの乗り場が分かって良かったです。ホストファミリーがお弁当を作ってくれました。 ゆで卵がピンク色で驚きました。塩も何もなかったけど、参加者がマヨネーズを持っていて助かりました。
ベルリンで福本さんに、話を聞きました。駅の屋根には、太陽光パネルが貼られていました。そして、駅はエアコンや照明を使わなくていいように工夫されていました。ベルリンの壁は東側と西側に2つありました。 壁を1つ越えたとしても、もう1つあるしすぐに見つかって射殺されることを聞いて、とても辛い気持ちになりました。福本さんは、 西ドイツがいいとは全然思わなかったそうです。ものが少ないから壊れたら、みんなで助け合って直していたそうです。今は壊れたらすぐ新しい物を買うけど、助け合って直すのはいいと思いました。
今日は、2回目の報告会でした。前よりもQRコードを長く見せることができて良かったです。東日本大震災があった時のドイツ視点の話を聞いて衝撃的でした。
Thank you, Mr. Fukumoto, for sharing So many stories with us!



阿曽琴香 五日目 主な訪問先:ベルリンの壁、レストラン、ホテル
今日はベルリン観光しました。昨夜寝てしまったので、朝シャワーを浴び、ホストファミリーが長い旅になるからと、パンやりんご、たくさんのお菓子を持たせてくれました。集合場所の駅までイダちゃんと歩いて行きましたが、これから二日間会えなくなると思うと悲しくなりました。まだ駅のホームの見方が難しかったですが、無事四時間の長い旅を経て、ベルリンに着きました。そこでは、ジャーナリストのふくもとさんがドイツについてたくさんのことを教えてくれました。私が驚いたのは、ドイツは様々な方向で電気社会ということです。常にその日の天候に合わせ発電し、再エネに合わせ対応していること、そのため多くの発電される日と、そうでない日の差は、20%~80%にもなることなど、交通機関だけでなく、生活のあらゆるところに再エネを利用していると、知ることができました。地球温暖化問題になると、「そもそも地球温暖化はなぜなるのか」と根本的な部分から考えました。理科的に考えるとすごく簡単なことなのですが、私は理科がとても苦手なので、この問いを考えるのが難しかったです。しかし、こんな真剣に考えて、理解できたのは初めてと思えたほど頑張れました。
次にベルリンの壁へ行きました。教科書でしか見たことのない世界遺産を自分の目で実際に見れたのはとても良い経験でした。ベルリンの壁で苦しめられた人、亡くなった人、家族と会えなくなった人など、ベルリンの壁の歴史を知れば知るほど、どうして?なんで?なんのために?という疑問がたくさん浮かびました。また、当時旧東ドイツに住んでいたふくもとさんのお話は、とても貴重な話でした。ふくもとさんは、貧しいからこそ、食べ物のありがたみや、互いが協力して助けあう良さがあったとおっしゃっていました。この話を聞き、改めて自分がどれだけ恵まれているのか実感しました。日独交流センターでは、2回目のスピーチを披露しました。2回目だったので落ち着いてスピーチができました。ですがまた文を忘れてしまって、伝わりやすいスピーチができなかったので、次のスピーチまでに言葉が伝わるようにしたいです。質疑•応答では、被災当時や被災地の現状、ドイツ人が原発事故が起こった当時、日本が情報を明らかに報道しなかったことに対する怒りなど、さまざまな意見が飛び交いました。とても勉強になりました。夜は、アジアレストランに行き、久しぶりのご飯を食べられて幸せでした。ホテルはとても海外って感じで、おもしろかったです(笑)。
I appreciate your support.