2025年3月29日土曜日

福島・ドイツ高校生交流プロジェクト9日目

 福島・ドイツ高校生交流プロジェクト9日目

今日はホストファミリーデイ。各々高校生たちはホストファミリーとの最後の日を楽しく過ごしていることと思います。
私は盗難届を警察に届け、松尾先生と合流してブンデスリーガ1部のボルシア・メンヒェングラートバッハ vs ライプツィヒを観戦しにいき日本代表の板倉滉選手を応援しにいきました。
めちゃめちゃ良い試合で板倉選手も活躍しボルシアが勝利して楽しい1日となりました。
その後、翌日のお別れ交流会の買い出しで松尾さんとショッピングして帰宅の途につきました。
高校生たちのレポートを下記コメントから、ぜひご覧ください。







加茂舞美 9日目 主な訪問先:湖、デュッセルドルフ
今日は、2回目のホストファミリーDAYでした。朝ご飯を食べた後、ホストファザーとヴァレンティンと湖の周りをお散歩しました。リードをつけないで歩いている犬が多くて驚きました。ヴァレティンがマリというお人形を貸してくれてマリと私とバジルとヴァレンティンで一緒に写真を撮れて楽しかったです。
湖がとても綺麗で自然の中を歩けて幸せでした。湖に行った後はスーパーでお買い物をしました。ソーセージの種類がたくさんあったり、お肉が最り売りで日本と全然違くて楽しかったです。スーパーの写真を撮ってたらなんで撮ってるのっていう目で見られて恥ずかしかったです。スーパーに行った後は、ドイツの高校生達とデュッセルドルフでショッピングをしました。日本の物が売っているスーパーは日本で買うよりも何倍も値段が高くて驚きました。ドイツの本は、本の横まで装飾されていて、とてもかわいかったです。かわいいのに内容が分からないのが残念でした。
夕日が待麗なときに川の前でみんなと写真を撮ることかできて嬉しかったです。
夜ご飯にたくさんの種類のソーセージを食べれておいしかったです。ヨハネスが映画に誘ってくれて「夢」という映画を見ました。途中眠くなっちゃって途中までしか見ることができなくて残念でした。今日の夜はsummerタイムがあるので、不思議な気持ちです。
Today is the last night of my homestay and I miss
it very much!





氏名 宮口あおい
9日目 主な訪問先 デュッセルドルフ
午前中は特に用事がなかったため、家でゆっくり休憩する時間を頂いた。その間に荷づくりを終わらせ、3時バデュースブルクの駅へ集合した。今日はあいかちゃん、まいみちゃん、りこちゃんとそのホストファミリーと一緒にデュッセルドルフの街へ出かけた。
最初に入ったのは日本のアニメグッズや漫画が沢山売っているお店だ。隣にガチャガチャの店もあったのだが、どちらもとても賑わっており、長い列ができていた。日本のアニメ・漫画文化がかなり浸透していて多くの人が好いてくれていることが嬉しかった。
海外での日本文化の普及にもっと貢献したいなと感じた。
次に訪れたのは日本の食材が売っているスーパーのような所だ。
日本の食品がずらりと並んでいて一瞬日本に戻ったような気分がした。
不思議だった。私はドイツに来て4日目ぐらいからずっと納豆が食べたく、そのスーパーで発見した時はつい買ってしまいそうになったのだが、価段を見て驚いた。日本では90円程で買える納豆がその倍の300円程で売られていた。一緒に来てくれたホストファミリー達が日本のアニメグッズや漫画、食品を気になっていた様子だったので興味があるのなら、お土産として持ってくればよかったなと感じた。 お昼はパニーニを食べ、めぐさん達と合流しライン川へ向かってだ。 ライン川の河畔ではとっても美しい夕日と美しい街なみが相まってとっても感動した。そこで撮った集合写真は宝物だ。
家に帰るとホストマザーがトルコ料理をふるまってくれた。明日はトルコのお祭りらしく、伝統料理は日本人の舌にあう料理をしいて堪能した。I can't forget today's sunset!
I want to tell Japanese culture to foreign countries move!!




大内 朝日 9日目 訪問先Xanten(クサニテン)
今日は最後のホストファミリーデーでXanten というローマ時代からある歴史ある街に行きました。ホストファザーがその街の家のつくりについて説明してくれて、家の側面は一つ一つ違うところや、距離をはかるための石があるなど建築方法についてたくさん学べました。オランダから伝承した建築方法でした。なぜかわからないけど人が誰も歩いていなくて少し不気味でした。街を見終わった後はドイツにきて初めてのソーセージを食べました。ホストファミリーは美味しくなかったら残してねと言っていたけど、とてもおいしくてすぐ食べ終わってしまいました。たくさん歩いてつかれたので早めに家に帰ったのですが、シャーロッテがお土産を買いに行こう!と言ってくれたので、2人で近くのショッピングモールに行きました。ドイツで有名な香水や紅茶を買って、シャーロッテが私の妹のためにイースターのヘアゴムを買ってくれました。ドイツの本屋さんには日本のマンガがすごくそろっていて、わたしが集めているマンガでまだ買っていないものもありました。あまり有名なマンガではないけど、「私がこれが好きなマンガだよ」と指を刺すとシャーロッテが「私も読んだことがある」と言ってくれてうれしくなりました。家に帰ったら、キッチンにドイツのお菓子がたくさん並んでいて、私に持っていってと言ってくれました。ギリギリスーツケースに入ってよかったです。今日が最後の夕食ということでドイツ料理のシュニッツェルを作ってくれました。それはドイツで食べた料理の中で1番美味しかったです。ごはんを食べ終わった後、みんなで少し話をしました。「あなたはいつでも帰ってきていい」「あなたが来てくれてよかった」とたくさん言ってくれてわたしは泣くのをがまんするのに必死でした。英語が話せないわたしのために翻訳してくれたり、ゆっくり話してくれたり、すごく親切にしてくれて、感謝してもしきれません。
I am very grateful to my host family for welcoming.





菅野愛華 9日目 ライン川、ショッピングモール
今日は、昨日から家に泊まっているホストブラザーの幼なじみの美紀ちゃんを交えて朝食を食べました。美紀ちゃんは15歳で私より一歳歳下です。ドイツと日本のハーフでとてもかわいいです。今日でホストファミリーの朝食が終わるとなると寂しいです。私はご飯派ですが、ドイツのパンがとても美味しくていつも朝食が楽しみでした。午前中は、荷造りをしたりホストファミリーへお手紙を書きました。お手紙を書いている途中、ホストファミリーとお別れするのが悲しくて泣いてしまいました。一週間という短い時間でしたがとても濃い時間を過ごせました。荷造りはめんどくさかったです。午後はみんなでリトル東京へ行きました。漫画ショップへ行ってみると今流行っている漫画から有名な漫画まで揃っていました。マイナーな漫画もあり、驚きました。次に日本スーパーへ行きました。そこにはお刺身が売っていました。日本のお菓子がたくさん売っていて懐しい気分になりました。また、本屋さんにも行きました。表紙のかわいい本がたくさんあって欲しくなりました。最後にめぐさんと合流してライン川を見ました。夕日に照らされてとてもきれいでした。みんなでライン川を見れて本当にうれしかったです。夜はホストファミリーと最後の夕食を食べました。トマトソースのパスタを作ってくれました。すごく美味しくておかわりをしました。ホストファミリーと住所と電話番号を交換しました。寂しくなったら連絡しようと思います。
Thank you so much for this week! It was fun!





氏名 阿曽 琴香 9日目 主な訪間先 デュースブルク観光(ヨット)、動物園、スーパー
今日は、ホストファミリーと過ごす最後の日でした。今日でホストファミリーと会えなくなると思うと寂しくなりました。でも、一生懸命下調べや、プランを考えてくれていたので、今日は思う存分楽しもうと思いました。朝一で電車に乗って円をユーロに替えに行こうとしたのですが、予定時刻より早めに電車が行ってしまったので、結局替えられずに
、予定通り、デュースブルクの港を観光できるヨットに乗りました。晴れて青空のとても天気が良く、景色も最高でした。乗っている間、ホストマザーに建物の名前や何をするとろなのか、いろいろと説明してもらいました。昔からの建造物やリサイクル工場、いくつもの橋が立ち並んでいて、陸からは、見れないような景色でした。驚いたのは、橋が動いて、船が通れるように動くことです。残念なからそれは見れませんでしたが、他にも海上警察や、海上消防、車を運ぶ大型船などと日本でもあまり見たことがないものがたくさん見れました。観光が終わった後は、家でお昼ご飯を食べました。その際、ホストファミリーにインスタントのみそ汁を作ってあげました。残念ながらホストマザーとホストシスターはベジタリアンで食べられなかったのですが、ホストファザーなどはおいしいと言ってたくさんおかわりしてくれました。私も久しぶりにみそ汁を飲めて本当に幸せでした。改めて日本食はおいしいなと感じました。他にもホストマザーが作ってくれたクレープ生地のような上に好きなものを塗って食べたりと楽しい時間でした。午後は、動物園に行きました。数多くの種類の動物や魚がいました。動物園なのに、水族館のような日本ではない動物園でした。イルカのショーでは、歳が40歳から生後3か月のイルカがショーをしていました。技がいくつもあって歳上のイルカはなんなく技を決めていたのですが、まだ幼いイルカの子は技を決めきれていなくて、その頑張っている姿がほんとうにかわいく、守りたくなりました。その後も、全ての動物と会って、満喫できました。イダちゃんの妹ちゃんを追いかけっ子をしながら段々と仲良くなれて、今日で最後なんだと思うと寂しくなりました。
夜はイダちゃんといろいろ話して、最終日を終えました。
I'm happy to see you again, and thank you for everything.






根本莉子 9日目 Landscape Park、ショッピング





曲山澪 9日目 デュッセルドルフ






2025年3月28日金曜日

福島・ドイツ高校生交流プロジェクト8日目

 福島・ドイツ高校生交流プロジェクト8日目

3月28日のレポート遅くなりましたが高校生たちのレポートがそろったのでアップします。
この日はホストファミリーとドイツの授業体験3日目。
各々ホストファミリーとペアになって授業を受けます。高校が3つに分かれているので、私は一番生徒が多い高校の授業をいくつか受けてきました。
英語の授業では朝日が授業を受けていたので、先生に相談して授業の後半で福島のスピーチをさせてもらいました。
英語が苦手だった朝日が
ドイツの英語の授業で堂々とスピーチする姿に感動しました。
そのあと、澪、愛華、まいみの受けていた体育の授業に松尾先生と合流。
この日は体育のテストだったので、授業体験としてはちょっと難しかったですが、いろんなスポーツを高校生たちが体育館の中で頑張っていました。
そのあと、社会の授業に合流。琴香と愛華が受けていて、ドイツ語で社会の授業されても理解には程遠いですが、社会の先生に相談して、福島の原発事故後の体験も社会の授業で学びませんか?とお願いしたら、授業の後半で琴香と愛華のスピーチが実現して感無量。
ドイツの高校の最後の授業のあとは、みんなそれぞれホストファミリーのところに帰宅しました。
私は初めてデュイスブルグに来た2015年の時に高校生でその後に大学生になってボランティアをしてくれたデニツが夜ライブするという事だったので、一緒に行ってライブハウスで楽しみました。
高校生たちは慣れないドイツ語と英語の会話で最後の週末に家族で楽しんでいるのか?頑張っているのか?また高校生たちのレポートをコメント欄に貼り付けるので、ぜひご覧ください。
最後にドイツの高校を訪問し、福島の高校生たちが英語でスピーチしドイツで多くのことを学ぶ体験が今後とも続くよう、ぜひお力添えよろしくお願いします。
次回は8月の夏休みに高校生たちがドイツを訪問予定です。
アースウォーカーズへのご支援は下記からお願いします。




曲山澪 8日目 学校、wawtleld
今日は、15:00くらいまで学校の授業がありました。1時間目は美術、二時間目は社会、三時間目は歴史、4時間目はドイツ語の授業でした。美術は特に絵も描かず、先生がずっとドイツ語で話していて何も分からないので、友達が話しかけてくれたり、サンリオのシールをくれたりしました。二時間目は、昨日買えりが遅くなってしまったので、4時間くらいしか寝れてなかったので休みました。また、職員室に言って、小玉さんと松尾先生とお茶しながらホストシスターの相談を乗ってもらいました。彼女は情緒不安定の子だったそうで、わたしがそれに対応できませんでした。そういう人もいることに改めて気づかされました。私は将来医療従事者を目指しているので、いろんな人に対応できるようになりたいと思いました。学校の授業を2時間目から受けるのをやめて、職員室に言った後、K.AちゃんとMちゃんが体育の授業を受けていると聞いたので、行ってみました、楽しかったです。その後、保健室のような場所で1~2時間、ホテルで1時間くらい休みました。15:30からwastleldで福島の子7人とそのホストシスター・ブラザーでお買い物をしました。みんなで「haribo」やアクセサリー屋さん、お菓子屋さんなどいろいろな場所を回りました。HARIBOでは、私が知らないグミやチョコが多くあって、お店の中がカラフルでした。何十種類以上のものがあって驚きました。その後、みんなでジェラートを食べました。日本ではあまり見ない味があったので楽しく食べることができました。夜ご飯はホストファミリーの家でドイツ版コロッケのようなものと、ドイツ版焼き鳥のようなものを食べました。おいしかったです。Today, I had school all day. I was disappointed that I couldn't participate at all. However, I was able to go shopping with everyone after school and make some fun memories.




氏名 菅野愛華 8日目 主な訪問先 学校 ショッピングモール。
今日は、ドイツの高校の授業を受ける最終日でした。今日の授業は
社会科学と体育、政治、哲学でした。社会科学では2回授業を受けましたが、何をしているのかさっぱり分かりませんでした。
体育では体操のテストをしていて、参加できずに見学をしていました。
日本の高校だと体操の授業を受けることはないので癒ましいです。
政治の授業はリスニングをしてその問題を答えるような形で授業をしていました。日本に政治という料目はないのでどのように政治について教えているのか気になりました。ドイツの授業はノートを取らずに手を挙げて話し合いを中心に授業をしていました。日本の授業との違いに驚きました。午後はみんなでショッピングに行きました。初めてドイツのシュセングモールに行きました。
ですがあまり日本と違いがありませんでした。ショッピングモールではハリボーのお店があり、そこでたくさんのグミとハリボーグッズを買いました。日本には販売されていないグミも沢山ありました。
ユーロの計算の仕方がいまいち分からなかったので思いっ切り買うことができませんでした。なので次にハリボーのお店を見つけたら買い足りなかった分を買いたいと思います。次に薬局へ行きました。ドイツの日用品が沢山売っていました。そこでは入浴剤やリップなどを買いました。夜は韓国料理を食べに行きました。ドイツに来て韓国料理を食べるのは変な気がしました。夕食はホストファミリーとその友達の家族で食べました。久しぶりに大人数で食べたので楽しかったです。
I had the Korean dish bibimbag.It was very delicious.






根本莉子 8日目 シュタインバート
今日はホストファミリーのソエと1日学校に行きました。いろんな授業がキャンセルになって授業2時間と読書クラブのみになりました。読書クラブが終わるとみんなでショッピングに行きました。学校は1時間目がeducation scienceで2時間目が生物でした。education scienceの先生がドイツの授業は日本の授業と違うでしょ?とか質問してくれたけどなんて答えていいか分からずyesしか言えなかったです。授業を一緒に受ける時最初に先生に挨拶に行く時こんにちはを言ってくれる先生が多くて驚きました。どちらの授業も前の授業の資料を調べる感じだったのでひたすらレポートを書いていました。休み時間にソエとショッピングに行き本屋やスーパーに行きました。ソエがワッフルを買ってくれました。読書クラブの先生は可愛い先生で英語が苦手だと言っていたけど、英語で色々話しかけてくれました。ホストファザーも英語があまり出来ないと言いますが、私より話せないことはないです。また、読書クラブは名前だけでおやつを食べながら話をしてリラックスするクラブでした。そのあとは大勢でショッピングに行きました。ハリボーショップやクロックスのお店に行きました。ドイツの人はみんな優しくて買い物が遅くなってしまっても文句も言わずに待ってくれました。それにソエがアイスクリームを買ってくれました。dmでは食べておいしかったブラックチョコをポン菓子にぬったやつを買いました。あと、アイリーンがいろいろくわしくておすすめのやつを教えてもらいました。色々なお店に行けてとても楽しかったです。でも帰るのが遅くなってしまいました。その日はホストファミリーに日本料理をふるまう予定でしたが、次の日になりました。
It was so fun to go shopping with everyone!





氏名大内 朝日 8日目 主な訪問先 ランボーフェルマンギムナジウルー
今日は1日授業でした。まず8時15分から英語の授業を受けました。英語の授業ではアプリを使ってTFなどのクイズを開くものでした。私の学校でも英語の授業でクイズがあることが多いのですごく親近感がわきました。途中5分間、先生から時間をもらいスピーチをしました。後から感想を、同じ授業を受けた人から聞いたら、翻訳の所で笑うしかなかったと聞いてショックでした。 次にスペイン語の授業を受けました。その授業での先生がドイツ語とスペイン語を交互に話していて、途中から呪文のように聞こえてきました。ドイツの学生たちは1言語だけじゃなくていくつもの原語を学んでいてすごいなと思ったし、教科書を開いてスペイン語なのにみんな読めていてとても驚きました。先生からの質問にスペイン語で答え、ノートもスペイン語で書いていました。3時間目は数学でした。 教学では指数関数的成長という日本では高校2年生で習う内容をしていました。ホストシスターのシャーロッテが翻訳アプリをつかって説明してくれたのですが内容自体難しくて理解できませんでした。私が特に印象の強かった授業は政治です。政治の授業はドイツの昔の戦争に賛成だった政治家と戦争に反対のガンジーがどのような考えだったのかというのに、考える時間でした。すごく考えさせられました。放課後はみんなでショッピングに行きました。電車で30分くらいの所にあるショッピングモールで日本にもあるお店がいくつかありました。ハリボーの専門の店で日本ロいグミドマシュマロ・ハリボーグッズがたくさんありました。すごく楽しくて、あっという間に50ユーロ以上を1日で使ってしまいました。ドイツの高校生が考えてつれていってくれたのですごく感謝しています。またみんなでショッピングに行きたいです。
Today was a wonderful memory for me.





阿曽琴香
今日は、イダちゃんの授業を一緒に受けました。今日は、体育と地理の授業でした。体育の授業では飛び箱とマット運動をしました。久しぶりの飛び箱でとても不安でしたが、フォームがきれいに飛び箱ができて、うれしかったです。ドイツの高校生は、バク転などふつうできないような技を次々と行っていて、生徒どうしで、「ここはこうした方がいいと思う」など、お互いアドバイスを言い合って、何回も練習していました。日本の体育の授業とは違って、先生はいなく、音楽をかけながら、生徒が主体となって、行動していました。ここでも、カルチャーショックを受けました。私も側転や前転など技をたくさんでき、ドイツの高校生もほめてくれて、ずっとドイツにしたいなと思いました。(笑)地理の授業では、ドイツ高校生がSDGsについてプレゼンテーションをしていたのを聞いていました。英語ですべては理解できませんでしたが、長い時間プレゼンしていて、勉強になることが多かったです。授業後は、小玉さんがスピーチをする機会を作ってくれたので、急きょスピーチを披露しました。今までで一番スラスラ英語を話せて、良かったです。このまま良い状態をキープしていきたいと思います。放課後は、福島の高校生とホストシスター・ブラザーと一緒に、ウェストフィールドでショッピングしました。たくさんの種類の店があり、お土産やドイツの有名な商品なども買いました。そして、初日で壊れたキャリーケースの代わりで、新しいキャリーケースを買いました。悩みに悩んだ末、一番分かりやすいカラーで大容量のを選びました。やっとキャリーケースが買えた安心から、スマホをお店に忘れてきてしまい、気づいたのが、デュースブルグへ向かう駅を待ってるときでした。私はパニックで「終わった…」と思いました。でも、ドイツ高校生のみんながお店に電話してくれて、運良くそのお店の方が持っていてくれたので、ティモンが走ってバスを乗ってお店のところまでとりに行ってくれました。本当に感謝しきれないくらいで、松尾先生にもらったみかんをあげました。しかし、ティモンはみかんが好きじゃありませんでした。
Be careful not to forget anyting.




加茂まいみ 8日目 学校、ショッピング
今日は、最後の学校でした。おせんべいを何人かに上げたら、おいしいと喜んでくれてとても嬉しかったです。ヴァレンティンが朝ごはんに、ニンジンをぼりぼり食べていてとても驚きました。最初の授業は宗教でした。三人組でいくつかのグループに分かれていて、国家主義社会の宗教について話していたそうです。宗教の次はあいかちゃんと一緒にヘレナの体育を見学しました。体操着姿もかわいかったです。小葉、体育のテストで体操をしていてみんなかっこよかったです。体育の次はヴァレンティンと美術の授業を受けました。中心遠近法を使って聖母マリアの部屋と外の景色を書きました。中心遠近法をやったことがなかったし、久しぶりに美術の授業を受けることができてとても楽しかったです。最後はヘレナと哲学の授業を受けました。タブレットを使っていました。ドイツではタブレットを使っている授業を見たのが初めてだったので驚きました。放課後にみんなでショッピングに行きました。色々なお店に入れてとても楽しかったです。かわいいクロックスの飾りを見つけることができてとてもhappyでした。ドイツの人たちは、私たちがハリボーストアやアクセサリーなどを見ている間文句も言わずに待っていてくれました。dmではアイリーンがドイツで人気のリップを教えてくれました。好きなリップを見つけることができて良かったです。おうちに帰ったら、ホストファザーがトマトパスタを作ってくれてとてもおいしかったです。そして、ルーがなついてくれるようになってとっても嬉しかったです。That Lou is too cute♡





宮口あおい 8日目 主な訪間先:学校、ショッピングセンター
ホストシスターのエダちゃんと一緒に学校へ行った。一時間目にコンピューター、二時間目に哲学、三時間目に歴史の授業を受けた。ホームスティ初日に感じたのと同様、多くの生徒が自らの意見を積極的に発言していることに驚いた。日本のように先生が一方的に教えるのではなく、全員で課題について取り組んでいくという印象を受けた。自主的に物事を考えられるようになるためにも日本でもドイツのような形式の授業をしてみたいと思った。学校ではエダちゃんのお友達が私を歓迎して仲よくしてくれたのが嬉かった。
学校を終えて15時から日本人とドイツ人総勢16人でショッピングモールへ向かった。ドイツに来てから初めてのショッピングだったのでとても心が踊った。みんなでハリボーのお店やジェラート屋お菓子のお店などに行った。海外旅行が初めてなので、至る所が新鮮だった上、みんなとショッピングするという機会はなかなか、なかったのでとても楽しかった。
沢山の写真を撮って残せたので後から見返そうと思う。
ことかちゃんがショッピングモールの中に携帯電話を忘れてきてしまったとわかった時はめちゃくちゃ焦ったが、親切な人ばかりだったので適切な対応をしてくれ、解決することができたので良かった。途中でエダちゃんの体調が悪く先に帰ることになったのだが、家に帰った時に英語の理解力が私に足りなかったので、優しい言葉かけや何から手伝いすることができなかったのが悔しい。
次またショッピングする機会があれば、エダちゃんも一緒に楽しみたい。
Eda! Let's go shopping together next time!
I'm looking forward to going with you!



2025年3月27日木曜日

福島・ドイツ高校生交流プロジェクト7日目

 福島・ドイツ高校生交流プロジェクト7日目

レポートが遅くなりましたが、3/27の報告です!
これまで2013年から続けてきたプロジェクトでは長距離移動はDBの高速鉄道でしたが、はじめての夜行バス23:35ベルリン発で7:20にデュイスブルグ到着のバス。
日本みたいな高速バスでは無いから、狭くて大変だよって聞いてたけど、意外とリクライニング出来て、隣の席も空いてたので、ストレスも少なく移動できました。
デュイスブルグに到着して、学校のシャワーを借りて授業に合流。
引率のめぐが一緒にシャワーを浴びにいったけど、女子たちは冷たい水しか出なかったり、めっちゃ熱いシャワーだったりして、キャーキャー大変そうだったみたいですが。笑
私は1人体調が悪い高校生がいたので、ホテルの部屋で看病しながら、めぐとよねもっちゃんに学校にいってもらっていました。
物理の授業で放射線の勉強などもあったり、それが長引いて、そのあとの松尾馨さんの日本語の授業が出れなかったりハプニングもあったみたいです。
そして、ドイツでの演劇の授業。
これは、私は看病で出ていなかったので、同行した松尾さんにレポートを書いてもらったので、ぜひお読みください。
私も理事をしている高遠 菜穂子を広げていく活動をしているピースセルプロジェクト(PCP)でもイラクで演劇の授業などに向き合いがんばっている高遠 菜穂子さん。今回の高校生たちの英語のスピーチ指導も忙しい中サポートしてもらいました。
演劇の授業はとても興味があったのですが、看病を優先し、下記、かおるさんのレポートをお読みください。
〜以下転送〜
私は、ドイツのギムナジウム教員として、2006年から独協高校を2015年から福島の高校生グループと、2週間ほどの交流滞在の受け入れをしています。
今年は、さまざまな事情でこの2つの高校生グループがほぼ同時にわが校に滞在していました。
演劇指導をしている同僚が「Fukushimaをテーマに演劇指導しようか?」と提案をしてくれたので、はじめて演劇にトライしてもらうことにしました。
ドイツでは、共感性や自己表現力、創造性などをはぐくむための手法として、演劇的手法が文学の授業などに取り入れられていますから、その実践の一端を見てみたいと思いました。
同時に、震災やエネルギー問題についての学びを目指いてやってくる福島の高校生と、特別そのような課題を持たずにやってきた埼玉の高校生が交わることで、お互いが何かを発見してくれたらいいなあと思いました。
この日は、ドイツ人のJ先生の指導のもと、2時間半ほどの短時間で5分の振付演劇に取り組みました。予定されている言語表現はほんの2,3文の日本語のみで、震災前の高校生の日常、震災、震災後を表現します。
まずは、ウォーミングアップ。
感情が全くない状態の「ニュートラル・ギア」の表情を作り、そのままの表情で一点を見つめて直進します。ぶつかりそうになったところで方向を変えながら、さらにはスピードギアも変えて、様々な方向に直進する皆の姿は、すでに演者の様相。
しかし、地震が起きたと想定して震度ギアを挙げて歩くように指示されたところで、ひとりがぼそっと「地震起きたら歩かないし!」とつぶやいていたのが印象に残りました。
地震の経験がないJ先生には現実が想像できなかったのでしょう。
ウォーミングアップが終わった後は、4拍子×1小節の振付を作ります。
ニュートラル・スタンスで先生の作った4拍子の振付を練習して基本を理解したら、早速一般人ペア7組と医者・患者ペア3組に分かれて、振付を考えます。
一般人ペアは「(原発事故が起こる前の)日常の生活」を、医者・患者ペアは「医師が患者に放射能による病気の検査をする様子」を4拍の動作で表します。
それぞれ体を動かしながらペアで話し合って、より効果的な振付を考えていました。
そして、この4拍子の振付をもとに、J先生の想定に合わせて全体練習が行われ、あっという間に5分ほどの演劇が作られました。
ぜひ動画を見てみてください。演じているストーリーは以下の通りです。
1)高校生の日常: 10人の生徒が次々にステージに上がり、4拍振付で日常生活を表現。
2)地震発生:残りの10人が椅子のガタガタ音で地震を表現。全員が床に横たわる。
3)避難:10人の生徒が中央に集まり、心配でいっぱいのビニールの防護服を着る。恐怖と心配でずっと周りを見回している。
4)震災直後: 10人の生徒が椅子の上で、日常に戻る。しかし数名の生徒が体調を崩し、い医師に連れていかれる。
5) 全員診察:3人の医師がやってきて、一人ずつ放射能による影響を検査する。
6) フィナーレ:高校生たちが「ノーモア(もうたくさんです)」とささやく中、お金に目がくらんだ医師たちが「異常なし!(皆健康です)」とささやきながら 札束をばらまく
たった4拍の振付で表現する、というのは、17拍の音で表現する俳句のように、徹底的に無駄を省き効果的な表現を考えなければなりません。
また、知りあったばかりの高校生と協働して作り上げ、大勢の前で演ずるというのは、簡単なことではないと思います。
しかり、振付をやってみて、お互いに意見を述べながら修正し完成させていく姿、そして投げ出さずに最後までやり切った皆の表情は、ちょっと感動モノでした。
もし次回があるならば、演劇指導の先生と演者の皆さんの間でテーマについて対話する時間を持ち、お互いの共通理解を深めることができたらいいなあと思います。
演者のみんな、素敵な時間をありがとう!
以上がドイツで日本語教師として活躍している松尾馨さんからのレポートです。
上のyoutubeのチャンネル登録と「いいね!」もお願いします。
さて、コメント欄に高校生たちのこの日のレポートが貼り付けられるので、ぜひご覧ください。
このような福島の子どもたちの支援にぜひ、お力添えよろしくお願いします。
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根本莉子 7日目 主な訪問先 ケルン大聖堂 マインツ
今日は夜行バスでめっちゃ疲れて首がいたかったです。また9時からシャワーを借りたのですが時間がギリギリだったし、水が流れなかったので大変でした。
その後はボスマン先生物理の授業で事前にした質問に答えてくれました。ボスマン先生は原発反対派で事故がある可能性があるし、コストがかかるのにどうして原発を使うのかと言っていました。
先生が見せてくれた年ごとの発電の割合を見たのですが、東日本大震災の2011年はまだ再エネより原発の割合の方が高くてその後から風力や太陽光が増えていく感じでした。
バイオマス発電がコーンを水につけると出るガスで発電すると知ることができました。次が松尾先生の日本語の授業だったのですが、間違って物理の授業を受けてしまい、出られませんでした。松尾先生、すみませんでした。その次は演劇の授業でした。先生はとてもフレンドリーで楽しかったです。でも桜の音楽に合わせて自分が考えた日常の生活をイメージした振り付けを繰り返すのですが、桜の音楽が面白すぎて笑ってしまいました。先生が笑うのはなしと言うのですが無理でした。リハーサルを何回かやるうちに笑わなくなってきました。でも結果劇では笑いをこえるのに必死でした。しかも手袋を忘れてしまいました。独協のお別れ会では、独協の生徒がホストファミリーにスピーチをした時、みんな英語・ドイツ語がとても上手で驚きました。私は英語が出来ないから独協の人もドイツの人も何ヶ国語も話せてすごいです。私ももうすぐホストファミリーとお別れすると思うと寂しくなりました。
It was nice to do a play with Dikko High School students!





氏名 加茂舞美 7日目 主な訪問先学校
今日は、シャワーを浴びた後エネルギーついての疑問をボスマン先生に答えてもらいました。1970年ドイツは、原子力発電を使うとき、知識が無くて最新技術を使うことにわくわくしていたそうです。でもドイツは、福島の原発事故の前から、原発反対をしていたそうです。チェルノブイリの事故は、人位的ミスたったけど、福島は自然災害だった。日本はプレートが多くて地震が起こりやすいから.原子力発電は向いていない。
ボスマン先生の話を聞いた後、物理の授業を受けました。力学的エネルギーについてやっていたけど、日本と公式が違くて分かりませんでした。 今日の予定と理解できていなくて、日本語の授業を受けることができなくて残念でした。 お昼ご飯をいそいで食べて、演劇の授業を受けました。もともとあるお話を演じると思っていたから、考えてやるのが難しかったです。 ずっと笑わないでやらなければいけなくて笑わないようにするのが大変でした。練習は笑わなかったのに、本番で笑ってしまって残念でした。今日は、ひさしぶりにお米を食べれておいしかったです。
I was fine today! but I was tired.




氏名 曲山 澪 7日目 主な訪問先 学校、お別れ会
初めてみんなと一緒に物理の授業を2時間受けました。1時間目に、獨協高校の方々、福島の高校生で事前に用意した質問に答えてもらう形でした。主に原発、再生可能エネルギーについて質問したことに答えてもらいました。先生は、原子力発電よりも100%再生可能エネルギーの方がいいとおっしゃっていました。
また、原子力発電所は冷却することが必要なので、海の近くでしか発電させることができないそうです。そのため、原子力発電は限られた地域でしか発電できないということを学びました。再生可能エネルギーを使えば、他国からガス、石炭など輸入する必要がないので、輸入にかかるコストも削減できるというメリットがありました。
2時間目は、本来日本語の授業でしたが、私たちのミスでまた物理の授業を受けてしまいました。力学的エネルギー保存の分野で楽しかったですが、日本語の授業を受けていなくて松尾先生に怒られたのが残念でした。次からはミスのないようにスケジュールを自分で確認しようと思います。
午後は3時間くらい獨協の子たちと一緒に震災、原発事故の劇の練習をしました。6時からその劇を発表して、獨協の子たちのお別れ会をしました。みんなでピザやおにぎりなど食事をして楽しかったです。
これからは、再生可能エネルギー、人とのつながりを大切にして考えて生活していこうと思いました。獨協高校の皆様、物理の先生、協力してくださる方々、本当にありがとうございます。
Thank you for seeing to me and I'm very happy.
From now on, I will use this experiences.
new energy and bond. Thank you!



氏名:大内朝日 7日目 主な訪間先:学校
もう3分の1が過ぎてしまったと考えるとあっというまだと思いました。
ベルリンから夜行バスに思って学校のあるデュースブルグに着いたのは朝の8時過ぎでした。昨日はシャワーを浴びることができなかったので学校のシャワー室を借りました。
その後の物理の授業では、先日提出した質問について、ていねいに答えと説明をしてくれました。原子力発電についてドイツでは前から不安や反対の声があったそうです。先生の意見として福島第一原子力発電所は燃料を冷却しないといけないため、海のそばにある。
しかし、日本は地震や自然災害が多くとても事故の危険性が高い、そのため原発というエネルギーは使わない方がいいと言っていました。
私は本当にその通りだと思ったし、再稼働をするという話も絶対にやめた方が良いと思いました。東日本大災で多くの人が亡くなり、人々が悲しい思いをしたのに政府の考えが全く分かりません。ドイツでは2011年福島で原子力発電の事故があってから原子力発電所の数が一気に減ったそうです。しかし、原発の代わりに多く使われるようになったのは火力発電でした。でも地球温暖化の話が出てきてからは段々と化石燃料を使った発電は減っていき、今は風力発電が1番多くなりました。さらに最近ドイツではバイオマス発電も増えているそうで、その発電方法は、トウモロコシを水に浸し、ガスを発生させてそのガスを使って発電をするという方法だ。すくエコな発電だと思いました。
今日は獨協高校がドイツ最終日ということいでみんなでお別れパーティーをし
ました。パーテーの最初では3時間の演劇の授業でで練習した福島の原発事故
についての演劇をしました。あとから聞いたホストシスターの感想にあまり内容が分からなかったそうです。でも自分を表現できていてよかったよ!と言ってもらえて嬉かったです。
I leaned the importance of working together to create, something.



菅野愛華 7日目 お別れ会、学校
ベルリンで夕食を食べたあと、長距離バス乗り場があるBerlin Sudkreuz Bahnhof駅に移動して、1時間ほど待って23:35発のバスに乗車して8時間の深夜バスで移動して7:20にデュィスブルクに到着しました。バスの中は、思っていたより広くて、ちゃんと寝ることができました。昨日の夜からずっと体調が悪く、ベットで横になりたいと思ったのでデュィスブルクに到着したら、ホテルに行きました。初めての海外ということと、長時間の移動で体調不良になってしまったのではないかと思います。私以外の高校生たちは学校に移動して授業体験をしていました。ホテルでは、夕方までずっと寝ていました。また、たまごスープを飲みました。おいしかったです。
少し体調がよくなったので、授業が終わった放課後に開催されていた最終日の埼玉の高校生とのお別れ会に、参加しました。埼玉の高校生と仲良くなれたのでお別れするのは少し寂しかったです。でも、日本で会えるので前向きな考えができました。帰国報告会に来てくれるの言ったので、そこで会えるのを楽しみにしています。埼玉の高校生たちのスピーチを聴いて、自分たちにもお別れの時間がせまっているのを実感しました。楽しい時間は永遠ではないと感じました。
あと少しの時間ですが全力で、楽しみたいと思いました。
今日は、翌日が学校での授業体験最終日だったので、体調を回復させるために早めに寝ました。
The farewell party was fan!


阿曽琴香 7日目 ギムナジウム学校




宮口あおい 7日目 お別れ会、学校





2025年3月26日水曜日

福島・ドイツ高校生交流プロジェクト6日目

〜衝撃のベルリン〜
福島・ドイツ高校生交流プロジェクト6日目
ドイツでは原発や火力のエネルギー発電から再生可能エネルギーを促進している話を学ぶ事が多々あるのですが、
なにより衝撃を受けるのがエネルギーを使う総量をどう減らしていくか、CO2の排出をどうやたら減らせるか、が行政も企業も市民レベルでも意識されているのに驚く。
その一つが自家用車の使う量を減らしてなるべく公共交通機関をみんなが使うように努力するよう勧めている58ユーロチケット(ドイツランドチケット)です。
2022年に国民の大きな世論とともに緑の党が躍進しはじまったプロジェクトで9ユーロチケットとして始まった。
2024年は49ユーロチケットだったものが、2025年は58ユーロチケットに変更になった。
これでDBの高速鉄道(いわゆる新幹線みたいな鉄道)以外のほとんどの電車、地下鉄、市内バス、路面電車などがすべて乗車する事ができる。
画期的なシステムを導入し4年目を迎える。
お陰でこれまでは毎日の地下鉄代やバス代を高校生たちから集めていたものの、それが一気になくなりめっちゃ安くなっていった。
まぢすごい。
そして今回の衝撃のベルリンはここからはじまる。
ベルリン市内の公共交通機関の労働組合のストライキが行われ、3月26日、27日に市内の地下鉄、市バス、路面電車がストップする事に。
ストライキが起きない日本と起きるドイツとのメリット、デメリットを考える。
乗客目線での利便性やストレスの少ない交通事情の素晴らしさはある。
ドイツでは不便ではある中、1週間くらい前にストライキ情報が発表されるので、それに合わせて通学や通勤や仕事の移動などが計画される。
一方で労働条件がほぼ毎年改善されたり賃金が上がったり労働者目線で働きやすい職場を作るシステムがあるドイツ。
日本では、賃金が先進国で最低レベルだったり、休暇が世界でも異例の少なさ。世界では家族で3週間旅をするために休暇を取れる国がたくさんある。
家族との幸せを共有するために働くドイツと、会社のために働く日本との大きな違いと、ストライキが民主主義の原点であることを痛感する。
そんな話を長々すると、本文にはいれなくなるので、労組が違うため動いているSバーンという電車に乗ってこの日は
ナチスの歴史を学ぶ、ザクセンハウゼン強制収容所を訪問に2つめの衝撃を体感する。
以下、ザクセンハウゼン強制収容所と西村さん宅の訪問では引率の米本響の文章に少々加筆して掲載しています。
強制収容所の入り口の門に掲げられた “ARBEIT MACHT FREI”(働けば自由になる)という看板を前に、
高校生たちはザクセンハウゼン強制収容所を訪れました。
大きな門をくぐり、数え切れない人の人権が侵害された土地に足を踏み入れた高校生たちはその異様な空気観に笑みを失っていました。
 同行していただいた、福本さんが語る歴史に高校生は自分の立つ場所と当時の影を重ねてその恐ろしさを肌で感じ取ったようでした。光のない独房、布切れ同然の収容者用の衣服、人体実験を行うための手術台、そのいずれも強烈にドイツの歴史を今に生きるわたしたちに訴えかけてきます。
 見学を終えた高校生は、「自国の暗い歴史を学ぶ施設があることに驚いた。日本には自国が加害者となった歴史を学ぶ施設はあるのだろうか。」と語りました。高校生の中にまた一つ大きな問いが生まれた瞬間でした。
到着した入り口で笑顔の集合写真と収容所訪問後の重苦しい集合写真の顔の表情の違いが高校生たちの胸の内を表していました。
そこから、移動して、ベルリン市内へ
ここでは予定していたバス停までの移動が出来なかったため、目的地になるべく近いSバーンの駅に到着し、
次の目的地となっている西村さんに自家用車で送迎お願いしての移動となった。
 再生可能エネルギーについて講話を聞くためにベルリンにある西村さんのご自宅へと伺いました。
西村さんはエネルギーのコンサルタントとして働きながら、政府のベルリン大使館の通訳などのお仕事もされている方です。
ベルリンにてストライキが行われている影響を受け、バスや路面電車など公共交通機関が停止したために、西村さんに車を三往復してもらいやっとお話を聞くことができました。
 到着した西村さんが所有する部屋の壁を見ると30cmくらいの壁で3重窓となっていて、外気
 熱、交通、電力と私たちの生活を支えるエネルギーについて学んだ高校生は、普段は使うだけのものがどのように作られ、環境や社会に与える影響を想像する貴重な機会になりました。
日本ではエネルギーの発電方法の議論は耳にしますが、ドイツでは政府がどうやって消費量を減らせるか議論し、市役所の担当者が来年のエネルギー消費料を減らすための政策を市民にどう進めていくか議論し、市民も企業も目標にむけ徐々に消費エネルギーを減らしていくのを実現して行っている。
これは日本ではほぼ聞かない。そもそも議論すらされているのかわからないです。
 話を聞いた高校生は「太陽光発電と風力発電は補い合うことを知った。」、「原子力発電は安いと聞いていたが、新しく発電所を建てようとすると決して安いとは言えないことに驚いた」と語りました。
西村さんに最寄の駅まで送っていただき、さらに夕食をご馳走になりました。
ありがとうございます。
そのあと、ドイツプロジェクト始まって以来初の高速夜行バスでベルリンからデュイスブルグへの移動となります。
バスの出発駅に到着したところ、引率の私の携帯が紛失し警察にう届け出るというハプニングに見舞われながら携帯電話の無いまま高速バスでの移動となりました。
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アースウォーカーズの福島の子どもたちの支援をみなさんのお力添えで継続できるようよろしくお願いします。
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根本莉子 6日目 ザクセンハウゼン強制収容所、西村さん宅

駅で朝食のパンを貰った時福本さんに全部注文してもらいました。ザクセンハウゼンに到着した時普通の家に溶け込んでいる感じが、正反対だけど、広島の原爆ドームに似ていると感じました。ザクセンハウゼンにはユダヤ人だけでなく少数民族や知的障害の人も収容されたと聞きました。門や収容所が解放された時間を示している時計は重圧感があったし、中は思っていたよりずっと広かったです。福本さんが窓の光の入る量が部屋によって違うことや、アウシュビッツには45×45の牢屋で座ることもできない牢屋もあると聞きました。中に入ると光が1点だけの部屋や真っ暗な部屋はのぞき穴で見ました。その部屋にいた人の写真などがあったり、食堂やベッドが古くなっていて生活していた跡という感じがしたので、本当にユダヤ人などが収容されていたのだと実感しました。ドイツは収容所の悲惨さを伝えていこうとしているけど日本は他の国にしたことを教えようとしないのでそこが日本の悪い点だと思います。でも今から伝えていこうとしても被害を受けた国からしたら遅いとなると思います。次に西村さんの自宅に行き、再エネの話を聞いたり、スピーチをしました。原子力は二酸化炭素を排出しないけど、事故の危険があるから反対していましたが、原発を建てて15年ぐらいしないと稼働しないことやコストがかかるということを聞いてさらに再稼働に反対しようと思いました。
ドイツは気温が27℃以上だと休校になるらしいのでそれなら毎日夏休みだと思いました。日本では風力発電があまりないのでドイツの主な再エネが風力と太陽光であることに驚きました。ドイツの省エネの理由の1つにエアコンをできるだけ使わないようにぶ厚い壁と3重の窓の家がほとんどだということが分かりました。福島の夏は暑すぎてエアコンの温度を下げてもきかないことがあるのでエアコンをあまり使わず快適に暮らせる家はいいと思いました。西村さんが再エネや原子力についてくわしく話してくれたので前より再エネのことが分かりました。
I want to buy a house with German architecture.




氏名阿曽琴香 6日目 主な訪問先ザクセンハウゼン強制収容所. 西村さんのお宅、ケバブ

今日はベルリン2日日でした。パンを買って、電車とバスを使い、ザクセンハウゼン 強制収容所に向かいました。その途中の駅近くに爆弾が飾られていました。その駅 周辺は戦争当時ウランの研究所があった地域でそれを理由にその地域に落とされた場所だと分かりました。私が驚いたのは、まだそういった未爆発の爆弾が見つかっているということです。まだまだ戦争の傷跡が残っているんだなと感じました。ふくもとさんが放射 線について詳しく話してくれたおかげ理解が深まりました。ザクセンハウゼン強制収容所では、風が冷たくとても寒かったです。ユダヤ人はこんな寒い日も暑い日もこの空間の中で残酷な日々を送っていたと思うととても胸が痛みました。暗いに独房室や焼却場、人体実験室。「なんでこんな残酷なことが平気でできるんだろう。」ほんとうに悲しくなりました。中でも一番胸が苦しくなったのは身長を測る道具に隙間が空いていて、そこから射殺していたことです。他にも様々な形で、 虐殺をしていた物が展示されていました。ナチスによって殺されたユダヤ人を運んでいる様子の慰霊碑の場とても空気が重く感じました。ドイツはこうやって過去の過ちを忘れないようにする為の場所がたくさんあります。しかし、日本は過去にナチス軍と同じようなことをしたのに、それを学ぶ場がないと思いました。実際私も慰安婦問題については知りませんでした。日本もドイツの教育方針を見習うべきだと思いました、その後西村さんの講演を聞きにうかがいました。西村さんのお話はとても興味深く、再生可能エネルギーの歴史や未来についてたくさん教えてもらいました。 中でも印象に残ったことは、ドイツの若者が声を上げ、ドイツ政府に対し裁判を起こし今を大きく変えたことです。若者がこれからの未来を変えていくと西村さんはおっしゃっていました。 日本でもこういった若者がたくさん増えれば良いなと思いました。そして、私もその一員に なりたいです。西村さんには、多くの寄付をしていただきました。本当にありがとうございました!!夜はおいしいケバブを食べ夜行バスに乗りデュースブルクへ向かいました。Thank you for your valuable experience!!!



氏名:加茂 舞美 6日目:ザクセンハウゼン強制収容所

今日はザクセンハウゼン強制収容所に行きました。収容所に入れられるのは、ユダヤ人だけでなく、同性愛者、障害者、ナチス政権に反対した人達も迫害されていたと聞いてとても多くの人が迫害されていたんだと思いました。
身長をはかるふりをして後ろから銃で撃って殺すのがとても印象的でした。私は日本の戦争に時に日本が他の国にしたことを全然知らないと感じました。日本もされたことについての資料館だけでなく、日本がしたことについての資料館を作るべきだと思いました。26.27日にストライキがあって、電車、バス、地下鉄が止まって西村さんが3往復もしてくれました。日本はストライキで電車が止まることはないから不思議な気持ちでした。
強制収容所に行った後は西村さんの家で話を聞きました。地球温暖化になっているのに、最近大雪が多い理由を知ることができてよかったです。西村さんのお家は壁の厚さが80cmで3重窓で外は寒かったのにお家の中はあったかくてすごいと思いました。そしてエアコンを春夏秋に使わなくていいと聞いて日本もそういう家が増えてほしいです。西村さんがアースウォーカーズに寄付をしていただいておいしいケバブを食べることができました。ありがとうございました。
Thank you Nishimura for your donation to earthwalkers!



宮口あおい 6日目 ザクセンハウゼン強制収容所、西村さん講話

ザクセンハウゼン強制収容所に行って1番最初に感じたことは“寒さ”だ。昨日より気温が低く天気があまりよくなかったため寒かった。しかしそれだけでなくとにかく風が冷たかった。入ってすぐ点呼場を案内していただいた。誰か1人でもかけていたらその人が見つかるまでは外にずっと立たされるとのことだった。今は3月で冬よりも少し暖かいにもかかわらず、私は暖かいジャケットを着ていたにもかかわらず凍えるような寒さを感じたので薄い布一枚で何時間もあの風が強く吹く更地に立たされているのはどんなに過酷だったのだろうか。思いを巡らせるだけで辛かった。沢山の場を案内していただいたのだが、その中で最も印象的だったのが、人体実験も行っていたことだ。
足を一歩踏み入れてみるとなんだか重く暗い空気が肩にのしかかり、少し気分が悪くなった。特に人体実験された死体の保管場へ続く階段は現在のの私たちも死へ続くと引きずるような恐怖を感じた。全体の見学を経て1番感じたのはどうしてこんな残酷なことができるのかとゆうことだ。仮にも私がナチス側だったら人の権利を剥奪できるようなことができただろうか。「きっとそれはできない」と言うのが今の想いだが、当時精神までナチスの考えに浸されていたらできたのかもしれない。どっちにしろ今の私はnoと言う答えしか持っていないので当事者の話の話も伺ってみたいと感じた。
西村さんの話もとても貴重で、様々な再生可能エネルギーに興味が湧いた。日本のエネルキーの使い方も見直す時が来たなと感じたし、しっかり考えられるようになりたいと感じた。
Thank you for giving us many precious opportunities!
Everything was for fan!!



大内朝日 6日目 主な訪問先:ザクセンハウゼン強制収容所、西村さん訪問

今日もふくもとさんにたくさん説明してもらいました。今日はドイツの暗い歴史について、第二次世界大戦中ドイツでどんなことがおきていたのか知ることができました。ザクセンハウゼン強制収容所はナチス、ヒトラー政権が、ユダヤ人、同性愛者、性的少数派、知的障害者、共産主義者などを迫害、殺害したとても残酷な場所です。そこには点呼場やゲットーという囚人を閉じ込めておく場所、遺体を焼く焼却炉、遺体をおいておく倉庫などがありました。私が一番衝撃だったのは、身体測定をする、と言っておき、身体計に立つと、わずかな隙間からうなじを打たれる、という処刑の仕方です。何も知らない囚人があっという間に殺されてしまうと考えると鳥肌が立ちました。ふくもとさんから昔は亡くなった人たちを解剖する道具や、ホルマリン漬けになった囚人たちの臓器も展示してあったと聞いてさらに驚きました。ザクセンハウゼン強制収容所はすごく空気が重く、息苦しい場所でした。
その後は西村さんの所へ再生可能エネルギーについて学びに行きました。再生可能エネルギーのデメリットとしてコストパフォーマンスが悪い、広い土地が必要などが挙げられます。しかし、このまま化石燃料を使いつづけていては、地球温暖化は進み、資源もなくなってしまいます。エネルギー政策で大切なことは、S+3Eの安全供給、経済効率、環境配慮、安全 と5Dのデジタル化、脱炭素化、分散化、規則緩和、少子高齢化民主化です。まず、エネルギーの消費量を減らし、省エネ、非化石転換をします。発電方法はメインとして太陽光にしていった方が良いということを聞きました。昔に比べて太陽パネルのデザインが変わってきたり、色や模様がついているなど色々な所で利用される未来がもう少しのところまで来ていると思います。
Today was a day where I learned a lot about Germany!




曲山 澪 6日目:ザクセンハウゼン強制収容所 西村さん

福本さんにベルリンのこと、放射線のこと、原発のことを話してくださいました。ザクセンハウゼン強制収容所に行きました。ドイツがユダヤ人を強制的に収容所に入れ、奴隷として厳しい状況下で働かされている、写真、道具、施設を見学しました。
実際に足を運んで、自分の目で見る収容所は、想像を超えるものでした。収容所の敷地は思っていたより広く、いたる所に監視塔がありました。いかに、逃げることが困難であるかがわかりました。また、身体を測定すると言われ実際に行くと、身長を測る後ろから銃で打たれていた話や、ここで骨になるまで燃やしたという話を聞きました。罪の重さによって、部屋の広さ、窓の大きさ、ベッドの有無など、実際に目にすることでそこにいた人々の辛さを感じました。自分はこんなに自由に過ごしていていいのか?と思いました。ドイツは自分たちがやった過ちを見直し、忘れない為に、今後二度と同じことを繰り返さないようにこのような施設があって、日本は攻められたことしか施設として展示しないが、ドイツは自分たちが攻めたことを展示していました。日本も自分たちの過ちを見直す方がいいと思いました。西村さんの再生可能エネルギーの講話を聞きました。ドイツと日本の発電の違いや、再生可能エネルギーの良さを知ることができました。夜にご飯を食べに行きました。私はみきさんと2人でアジア系料理を食べました。みきさんと一緒に会話しながら食事して、とてもいい時間を過ごすことができました。
I was glad to learn many things. I would like to expand this experience.




菅野 愛華 6日目 訪間先:ザクセンハウゼン強制収容所

今日は午前中にザクセンハウゼン強制収容所へ行きました。
ナチスはユダヤ人の他に性的小数者や政府に反対の立場の人などを収容していたことを知りました。この場所で人が殺されていたと思うとゾッとしました。なぜ、その人達は殺されなくてはいけなかったのだろうと思いました。当時、ザクセンハウゼン強制収容所の近くには住宅地がありました。市民はザクセンハウゼン強制収容所の存在を知っていてどのようなことが行われているのか分かっていました。市民の中には、ザクセンハウゼン強制収容所のことを良く思わない人もいたと思います。ですが、見て見ぬふりをしていたことを知りました。見て見ぬふりをするというのは、今の日本でも起こっていることだと思います。私たちは、物事についてきちんと向き合う必要があると思いました。ザクセンハウゼン強制収容所の近くに警察学校がありました。そこには看板が立てられていました。看板には、憲法が書かれていました。
憲法には、ナチスがやったことに対して、二度と同じことを繰り返さないようなものになっていました。ドイツは自分達がやった過去のことについて向き合っていると思いました。一方、日本は、自分達が過去にやったことに対してまだまだ向き合い足りていないのではないかと思いました。自分達がされた事はもちろん、自分達がしたことを学ぶ必要があると思いました。
それが世界が平和になる一歩なのではないかと思いました。
I hope the world will be peaceful.