文責:浦郷一哉
今日は楢葉町の矢内さん宅があった場所を案内していただきました。福島市から高速道路で向かっている途中,道路上の放射線量を表示する看板がいくつか設置してありました。原発に近づくにつれて数値が上がり,手元の線量計でもそれを確認することができました。黒いビニールで覆われた放射性廃棄物も各所で見受けられました。
案内していただいたところは荒れ地で住宅街があったとは思えませんでした。そこは原発から約17kmで放射性廃棄物の仮置き場が作られており,工事が続いていました。
震災直後は近所の公園にいて液状化現象が起き恐怖を感じたといいます。その後津波が来ると聞いてすぐに避難し,ご家族は全員無事でした.家は1階部分が津波により流されてしまい,2階は盗難の被害を受けたそうです.一瞬で多くのものを奪い去る津波の恐怖を改めて感じました。周囲には浸水地域を示す看板があり海岸には高い堤防が建設されていました。
震災直後は近所の公園にいて液状化現象が起き恐怖を感じたといいます。その後津波が来ると聞いてすぐに避難し,ご家族は全員無事でした.家は1階部分が津波により流されてしまい,2階は盗難の被害を受けたそうです.一瞬で多くのものを奪い去る津波の恐怖を改めて感じました。周囲には浸水地域を示す看板があり海岸には高い堤防が建設されていました。
午後は来んねキャンプに参加できなかった親子に宮崎の野菜を届けに行きました。きんかんやにんじん,玉ねぎ,さつまいもなどに皆さんとても喜んでくださいました。次回のキャンプにはぜひ参加していただきたいと思います。
キャンプに来てくれたりゅうま君,りゅうせい君,せいなちゃんにも会うことができました。大きな松ぼっくりを渡すと驚いて喜んでくれました。みんなまた宮崎に行きたいと言ってくれたので,次回はより良いキャンプになるよう頑張っていきたいと思います。
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