アースウォーカーズでも、熊本地震の災害ボランティアスタート!!
文責:宮崎大学4年 コガケイ。
4月22日からアースウォーカーズでは、熊本地震のボランティアに入っています。
午前中はMRTの取材を受けた後に宮崎を出発し、まず八代市の市役所前で職員の方から話を伺いました。
市役所は鉄筋でありながら、地震の影響で立ち入ることができないそうです。 そのため、庁舎は場所を移しているとのことでした。
ここは住民の方の避難所にもなっている上、頻繁に炊き出しも行われています。
この日も夕方から餃子スープの炊き出しとおにぎりやパンや飲み物の提供が行われるという事で、その手伝いを行いました。
特に高齢者の方に対しては、食事をご家庭まで運んだりするなどのサポートを行いましたが、こっちまでありがたくなるほどの声の掛け合いがあったことに、何より支援をしていく上でのやりがいと喜びを感じ取りました。
また、この地域の住民の方から聞いた話では、家の雨漏や屋根瓦が落ちるなどの被害が多発しても、2度も大きな揺れを経験している恐怖や、度重なる余震のリスクを考えて、家の片づけや修理を中々進められずにいる方も少なくないそうです。
また、この炊き出しの間にも避難所へと次々に高齢者の方が来られ、浄化センターの会議室に、20人以上の方がひしめき合って休まれていました。
本来は避難所となっていた別の体育館などが、今回の大雨の影響で土砂崩れの恐れがあると勧告され、狭くても避難所へ移らざるを得なくなっているそうです。
避難所を管理していた町の下水道課の方も、なんとかストレスがないように、特に高齢者の方が休めるようにスペースを作りたいが、水害と余震のリスクが同時に重なると、対応が非常に難しくなって来る。行政としてもできる限りのサポートをしたいが、中々思うようにも進んでいない現状があると話されていました。
一方、別部隊で別れてこの時間に益城町に入り、この日にスタートしたボランティアセンターに行って、社協の方に話を聞かれたそうです。
初日のボランティアは200人が参加して、今日は天候が悪かったので、個人の方の自宅の片付けはできずに避難所での物資の作業が中心だったそうです。
町内に避難所も転々としていて、益城中学校などは倒壊の恐れがあるからなのか、立ち入り禁止になっていたそうです。
その後、大津町の健康保健センターに行き、宮崎側から集まった物資を届けました。
ここで担当をされていた総務課の辻口さんの話では、全国から支援物資が集まる事は非常に嬉しいが、賞味期限の近い食べ物ばかりが届いたり、同じ四サイズのおむつが届くこともあり、その仕分けやバランスの見極めが非常に難しいとの事でした。
飲料水などに関しても、たくさん届いたのでもう必要ないと情報を流したら、今度は逆に足りなくなることもあるので、そのさじ加減の調整が必要と話されていました。
2日後に町のボランティアセンターも立ち上がる予定だそうで、その点の話し合いも含めて社協やNPO、ボランティア団体などと協業した支援が必要と思いました。
そのあと、何度か福島に支援に入られている熊本学園大学の吉村先生に福島市のYWCAの方から届けて欲しいという物資を預かっていたので、500人ほどが避難している熊本学園大学に行き、物資を届け、状況を聞くことができました。
最後になりますが、今日の熊本地震災害ボランティアで、NPOと行政と地域の防災上での繋がりと考えの食い違いや、地域コミュニティごとの災害時のニーズの相違を学びました。
完璧な答えは出せませんが、今回のような災害時に行政や民間企業などが賄いきれない現地のニーズを補完し、上手く相互に協業させる役割を作る事が、このアースウォーカーズのようなNPOの役割であり、それに学生の内から変わらせて頂けることやその機会に感謝したいです。
何よりもこっちまでありがたくなるほどの声の掛け合いがあったことに、何より支援をしていく上でのやりがいと喜びを感じ取りました。
今日は現地での聞き取りが多かったですが、次の土日にはまた別のメンバーがボランティアに入るので、出来る事を増やしてほしいと思います。
ボランティアを希望されている方、物資を届けたい方、寄付をされたい方はご連絡をお待ちしています。
http://earthwalkers.jp/pg648.html
http://earthwalkers.jp
文責:宮崎大学4年 コガケイ。
4月22日からアースウォーカーズでは、熊本地震のボランティアに入っています。
午前中はMRTの取材を受けた後に宮崎を出発し、まず八代市の市役所前で職員の方から話を伺いました。
市役所は鉄筋でありながら、地震の影響で立ち入ることができないそうです。 そのため、庁舎は場所を移しているとのことでした。
避難所は開設されていますが昼間に使われる方は少なく、夜などで不安な方が、一万人ほど利用されているようです。
また、コンビニなども営業しているので、今は炊き出し等はあまり行われていないそうです。
さらには、市内の中心商店街は元々から老朽化していたこともあり、アーケードを全部閉めて誰も入れなくなっているそうです。
全国からのボランティアの受け入れとして空き店舗を活用することも難しく、シャッターを開けないと中の様子が確認できないけれど、それすら踏み込めない状況が続いてるそうです。
しかしながら、これらは行政側から聞いた情報に過ぎないので、実際に避難所での声が聞けたら報告したいと思います。
次に、北上して氷川町役場へ。
氷川町では住民の多くの方が地震で物資を賄っているほか、自主避難をされている方も多く、物資面では足りているとの話を役場の方から聞きました。
これらは行政側からの情報に過ぎないので、実際に避難所での声が聞けたら報告したいと思います。
次に、宇土にある商工会の建物へ。
宇土市内では、建物、特に木造の古い建物などで屋根瓦が落ちるなどの被害が多発し、手付かずになっている箇所も多いそうです。お話を伺った商工会の建物内も、事務所の棚が倒れ、資料などが散乱したままになっていました。
14日の地震では倒れなかったので安心していた矢先、16日未明の地震で2次的に被害が起きてしまったそうです。
市内の他の建物でも同様にして、外面的な被害は見えなくても家の中が散乱して、4日以上たってもそのままになっている所が沢山あるそうです、
そのため、そのままでは生活が成り立たないので、 昼は仕事や学校に出て、夜は避難所へと戻られる方も少なくないそうです。
当然ながら、外壁や瓦の修理は我々のボランティアには難しいですが、部屋の中の片づけの手伝いなど、これから学生ボランティアなどでも出来る事がまだまだあると感じました。
その後、北上して熊本市内へ向かいましたが、その途中に宇土市役所前を通りました。
建物は4階建てで鉄筋コンクリートのようですが、写真で分かるように上階部分が完全につぶれていました。
一般的には鉄筋の建物は非常に丈夫なイメージが強いですが、今回の地震は震度6以上クラスの物が2日間、2度も起きたため、被害が増々拡大したことを痛感させられました。
その後は、熊本市内の商工会の施設へ。
ここには水やカップ麺などを始めとし、全国から支援物資が大量に届けられていました。
ここでは、特に熊本県内で被害の大きかった地域へその物資を届けていくため、軽トラや車に仕分けや積み荷を行いました。
地域によっては水ばかりが届きすぎて、逆に高齢者のおむつが届いていないなど、物資の調達が現地のニーズと合っていない避難所もあるそうです。
そのため、そのような混乱を防ぐためにも、商工会の方があらかじめ現地から聞いた情報を基に指示を受けながら、大量の物資の中から必要な物を選んで積み込みました。
その後は東に向かい、大津町の浄化センターへ。また、コンビニなども営業しているので、今は炊き出し等はあまり行われていないそうです。
さらには、市内の中心商店街は元々から老朽化していたこともあり、アーケードを全部閉めて誰も入れなくなっているそうです。
全国からのボランティアの受け入れとして空き店舗を活用することも難しく、シャッターを開けないと中の様子が確認できないけれど、それすら踏み込めない状況が続いてるそうです。
しかしながら、これらは行政側から聞いた情報に過ぎないので、実際に避難所での声が聞けたら報告したいと思います。
次に、北上して氷川町役場へ。
氷川町では住民の多くの方が地震で物資を賄っているほか、自主避難をされている方も多く、物資面では足りているとの話を役場の方から聞きました。
これらは行政側からの情報に過ぎないので、実際に避難所での声が聞けたら報告したいと思います。
次に、宇土にある商工会の建物へ。
宇土市内では、建物、特に木造の古い建物などで屋根瓦が落ちるなどの被害が多発し、手付かずになっている箇所も多いそうです。お話を伺った商工会の建物内も、事務所の棚が倒れ、資料などが散乱したままになっていました。
14日の地震では倒れなかったので安心していた矢先、16日未明の地震で2次的に被害が起きてしまったそうです。
市内の他の建物でも同様にして、外面的な被害は見えなくても家の中が散乱して、4日以上たってもそのままになっている所が沢山あるそうです、
そのため、そのままでは生活が成り立たないので、 昼は仕事や学校に出て、夜は避難所へと戻られる方も少なくないそうです。
当然ながら、外壁や瓦の修理は我々のボランティアには難しいですが、部屋の中の片づけの手伝いなど、これから学生ボランティアなどでも出来る事がまだまだあると感じました。
その後、北上して熊本市内へ向かいましたが、その途中に宇土市役所前を通りました。
建物は4階建てで鉄筋コンクリートのようですが、写真で分かるように上階部分が完全につぶれていました。
一般的には鉄筋の建物は非常に丈夫なイメージが強いですが、今回の地震は震度6以上クラスの物が2日間、2度も起きたため、被害が増々拡大したことを痛感させられました。
その後は、熊本市内の商工会の施設へ。
ここには水やカップ麺などを始めとし、全国から支援物資が大量に届けられていました。
ここでは、特に熊本県内で被害の大きかった地域へその物資を届けていくため、軽トラや車に仕分けや積み荷を行いました。
地域によっては水ばかりが届きすぎて、逆に高齢者のおむつが届いていないなど、物資の調達が現地のニーズと合っていない避難所もあるそうです。
そのため、そのような混乱を防ぐためにも、商工会の方があらかじめ現地から聞いた情報を基に指示を受けながら、大量の物資の中から必要な物を選んで積み込みました。
ここは住民の方の避難所にもなっている上、頻繁に炊き出しも行われています。
この日も夕方から餃子スープの炊き出しとおにぎりやパンや飲み物の提供が行われるという事で、その手伝いを行いました。
特に高齢者の方に対しては、食事をご家庭まで運んだりするなどのサポートを行いましたが、こっちまでありがたくなるほどの声の掛け合いがあったことに、何より支援をしていく上でのやりがいと喜びを感じ取りました。
また、この地域の住民の方から聞いた話では、家の雨漏や屋根瓦が落ちるなどの被害が多発しても、2度も大きな揺れを経験している恐怖や、度重なる余震のリスクを考えて、家の片づけや修理を中々進められずにいる方も少なくないそうです。
また、この炊き出しの間にも避難所へと次々に高齢者の方が来られ、浄化センターの会議室に、20人以上の方がひしめき合って休まれていました。
本来は避難所となっていた別の体育館などが、今回の大雨の影響で土砂崩れの恐れがあると勧告され、狭くても避難所へ移らざるを得なくなっているそうです。
避難所を管理していた町の下水道課の方も、なんとかストレスがないように、特に高齢者の方が休めるようにスペースを作りたいが、水害と余震のリスクが同時に重なると、対応が非常に難しくなって来る。行政としてもできる限りのサポートをしたいが、中々思うようにも進んでいない現状があると話されていました。
一方、別部隊で別れてこの時間に益城町に入り、この日にスタートしたボランティアセンターに行って、社協の方に話を聞かれたそうです。
初日のボランティアは200人が参加して、今日は天候が悪かったので、個人の方の自宅の片付けはできずに避難所での物資の作業が中心だったそうです。
町内に避難所も転々としていて、益城中学校などは倒壊の恐れがあるからなのか、立ち入り禁止になっていたそうです。
その後、大津町の健康保健センターに行き、宮崎側から集まった物資を届けました。
ここで担当をされていた総務課の辻口さんの話では、全国から支援物資が集まる事は非常に嬉しいが、賞味期限の近い食べ物ばかりが届いたり、同じ四サイズのおむつが届くこともあり、その仕分けやバランスの見極めが非常に難しいとの事でした。
飲料水などに関しても、たくさん届いたのでもう必要ないと情報を流したら、今度は逆に足りなくなることもあるので、そのさじ加減の調整が必要と話されていました。
そのあと、何度か福島に支援に入られている熊本学園大学の吉村先生に福島市のYWCAの方から届けて欲しいという物資を預かっていたので、500人ほどが避難している熊本学園大学に行き、物資を届け、状況を聞くことができました。
最後になりますが、今日の熊本地震災害ボランティアで、NPOと行政と地域の防災上での繋がりと考えの食い違いや、地域コミュニティごとの災害時のニーズの相違を学びました。
完璧な答えは出せませんが、今回のような災害時に行政や民間企業などが賄いきれない現地のニーズを補完し、上手く相互に協業させる役割を作る事が、このアースウォーカーズのようなNPOの役割であり、それに学生の内から変わらせて頂けることやその機会に感謝したいです。
何よりもこっちまでありがたくなるほどの声の掛け合いがあったことに、何より支援をしていく上でのやりがいと喜びを感じ取りました。
今日は現地での聞き取りが多かったですが、次の土日にはまた別のメンバーがボランティアに入るので、出来る事を増やしてほしいと思います。
ボランティアを希望されている方、物資を届けたい方、寄付をされたい方はご連絡をお待ちしています。
http://earthwalkers.jp/pg648.html
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