2016年4月24日日曜日

宮崎大2年 井上翔 熊本地震ボランティア(4/23-24)

文責:宮崎大学2年 井上翔 熊本地震被災地ボランティア(4/23-24)

近況はフェイス ブックにアップしているので、ぜひ「いいね!」お願いします。
https://www.facebook.com/EarthWalkers.jp/?pnref=lhc
 
4月23日(土)

こんにちは、宮崎大学教育文化学部2年の井上翔です。今日から1泊2日で熊本の被災地ボランティアに参加します。

アースウォーカーズで東日本大震災で被災された方の支援を行っていていました。昨年の夏には東北地方に実際に行きました。九州地方から遠いということもあり、5年前のことを忘れつつある人がいることを感じていました。

今回宮崎の身近な熊本で地震が起こり、被害は隣県の大分県にも広がり、九州全土が揺れの恐怖と闘っているという状況があります。現地に行って起きたことを見て、自分もできることをやりたいと思い今回のボランティアに参加しました。

今日は朝から物資の積み込みをした後宮崎を出発しました。高速道路を八代で降りたのですが、県外ナンバーで大変道が混んでいました。多くのボランティアを含めた方々が熊本に来ていることを感じました。

熊本に着いて、最初に見た建物は地震の被害で、今にも崩れ落ちそうな感じでした。
地震の被害を受けた建物

次に物資の仕分け作業のお手伝いをしました。地元の中学生、高校生が多く参加しており、会話を通して地震のことを知ることができました。物資は全国各地から大量に集まっており、仕分け作業が非常に大変でした。自分の地元からの物資を見たときは、少し嬉しかったです。

午後からは避難している方のための炊き出しのお手伝いをしました。炊き出し班の中には東日本大震災で被災した方もいました。1000人分近い炊き出しを行いました。車中泊を余儀なくされている方と話をしたのですか、ボランティアのありがたさ、そして今回の震災の怖さ、先が見えない不安が大きいとおっしゃっていました。支援は短期的なものでなく、継続的に行っていく必要があると感じました。

避難所に物資を届ける様子

今日学んだこと、感じたことを整理し、明日の活動につなげていきたいです。




4月24日(日)

今日は、朝から益城町の災害ボランティアセンターでボランティア活動を行いました。依頼ごとにチームを7、8人で組んで、行動しました。ニュースで見ていたようにボランティアの人数は1000人近く来ていたように思えました。

全国から集まったボランティア


僕の班は、瓦の撤去や傾いたブロック塀の解体を行いました。班には警察官や土木工事関係の人など、様々な県からいろいろな人がいました。多くの人が熊本のピンチを救おうと立ち上がっていると思いました。依頼主さんの家は危険度の高い赤色の紙が貼ってあり、住んではいけない家だとおっしゃっていました。作業は重労働で、途中で雨も降ってきて、終わった後は疲労感と達成感でいっぱいでした。

活動終了後の写真


今回は2日間しか活動することができませんでしたが、様々な景色や初めて会う人々など貴重な体験をたくさんできました。震災から立ちなおるにはまだまだ時間がかかるし長期的な支援が必要だと思います。こういった震災の中だからこそ、九州、日本が1つになって震災を乗り越えていくことが必要だと思いました。被災地のニーズに的確に応え、復興を進めていくことが大切だと思います。


熊本地震ボランティア 宮崎大2年 治田惇平

こんにちは、宮崎大学工学部2年の治田惇平です。今回1泊2日で熊本の震災支援のボランティアに参加させてもらいました。

おとなりの熊本で震度7の地震があって、直接受けた熊本はどうなっているのか、を知りたいのと、私に出来ることを探したい、と思っていました。それでアースウォカーズが今回の熊本ボランティアに参加したい人を集めていたので、「考えるより勢いでやってみよう」と考え、今回参加させてもらいました。

実際昨日熊本に入ってみると、震災によって倒壊した家や家財が倒れている様子を実際に目でみると震度7の恐ろしさを感じました。


地震によって傾いた建物

今日は、物資の搬入や、炊き出しのお手伝いをさせてもらいました。 一緒に活動していた中学、高校、大学生は、1人1人が自分に出来る役割を持って、友だちと協力しながら頑張っていました。このときは、1人の力だけでなく、たくさんの人の力を合わせれば時間がかかることもすぐに出来てしまう。またその学生を動かしてくれる指導員の方が本当に大事だと思いました。 炊き出しのお手伝いにも参加しました。暖かいスープやおにぎりを避難所で生活している人たちに配りました。炊き出しをしているおじさん、お姉さん方は私にとってすごくカッコ良く見えました。


物資の仕分け作業の様子





4月24日(日)

 2日目は、益城町災害ボランティアセンターに行きました。

そこでボランティアセンターに入ってきたニーズに合わせて、グループに分けられてわたしは被災された方の引越しを安永地区から木山地区のお宅へ荷物の搬送のお手伝いに参加しました。

同じグループの人たちは熊本で被災された方や高知や福岡で生活している人と様々でした。

私は1日だけの参加でしたが、メンバーの中には益城のボランティアにずっと参加している人もいました。

安永のお宅に行くまで益城町の中心を通っていきましたが、ここで震度7の揺れの強さを実感しました。

家がまさにぺしゃんこになってしまっていて、それが何件も続いている様子は自分の想像をはるかに超えたものでした。

安永地区にあるお宅に着くと、道に、おうちの駐車場によくあるブロックの塀が崩れてしまっていて、車が通るには狭い状況でした。

そこで引越しの前に その塀の片づけからはじまりました。ブロック塀はドリルで崩しながら少しずつ片付けました。

1軒だけでしたが、ドリルで崩すのは想像以上に時間がかかるもので、これが熊本全体になったら、と考えたらおそろしいと思いました。

片付けの中盤から雨も降ってきて、引越しのためお宅に入る時には強い雨になっていました。

片づけがひと通り済み、お宅に入ると地震直後の様子がそのままありました。
テレビやたんすが倒れていて、持ち運ぶテーブルや冷蔵庫がある台所は平皿やコップが割れている状態で散らばっていました。

冷蔵庫や電子レンジを運ぶ最中、踏まないようにはしていましたが散らばりすぎて食器のかけらを踏んでしまうこともしばしばありました。持ち運ぶ際、冷蔵庫がドアよりも大きくグループメンバーみんなの力を合わせて傷があまりつかないように持ってきた軽トラに乗せようとしましたが、外は大雨になっていたのでなかなか乗せ切れませんでした

全部乗せて、次は木山地区の新しい住居に運びました。その移動中もグループのメンバーとお話をして、私が大学生で宮崎から来たことを伝えたら、すごく驚いていました。

グループのメンバーは30代~60代と自分よりも年上で大学生のお父さんもいて、親近感がわきました。
面白い話もしてくれて、笑いもあり、災害ボランティアというきつい現場でこうやって笑わせられるような人にもなりたい、と思いました。

木山地区のお宅に着き、本来4階と聞いていましたが「2階で大丈夫」ということなので2階に運びました。もし かしたら負担になる私たちのために2階にしてくれたのかもしれない、遠慮してしまうのかなとふと思いました。運び入れる作業はさほど大変ではありませんでした。

被災者の方の家ではプライバシーもあるので写真で紹介は出来ませんが、活動を終えると本当に喜んでくれていました。
朝10時ごろからはじめて13時過ぎに終了しました。今回の活動を通して、私の力はほんの小さなものだったと思いますが、出来る限り継続して被災者のためにほんの少しのことでもいいから、活動していきたいと思いました。

活動を終えたあとにボランティアの中には、「働いているけれど、週末は熊本に行く」という方もいて、こういう想いを持つひとたちがいるから、「ボランティアをやりたい」と私は思えました。

ボランティア前のミーティングの様子

今回の2日間を通して、まずは「宮崎でも同じような震災が起こったら…」を日々考えるようにしたい。またこの震災を受けた様子を実際に自分の目で見るべき。今回きりではなく、できる限り継続して来たい、と思いました。
瓦が落ちた民家

文責:宮崎大学2年 治田惇平




 








2016年4月21日木曜日

宮崎大4年コガケイ 熊本地震ボランティア

アースウォーカーズでも、熊本地震の災害ボランティアスタート!!
文責:宮崎大学4年 コガケイ。

4月22日からアースウォーカーズでは、熊本地震のボランティアに入っています。

午前中はMRTの取材を受けた後に宮崎を出発し、まず八代市の市役所前で職員の方から話を伺いました。
市役所は鉄筋でありながら、地震の影響で立ち入ることができないそうです。 そのため、庁舎は場所を移しているとのことでした。
避難所は開設されていますが昼間に使われる方は少なく、夜などで不安な方が、一万人ほど利用されているようです。


また、コンビニなども営業しているので、今は炊き出し等はあまり行われていないそうです。
さらには、市内の中心商店街は元々から老朽化していたこともあり、アーケードを全部閉めて誰も入れなくなっているそうです。
全国からのボランティアの受け入れとして空き店舗を活用することも難しく、シャッターを開けないと中の様子が確認できないけれど、それすら踏み込めない状況が続いてるそうです。
しかしながら、これらは行政側から聞いた情報に過ぎないので、実際に避難所での声が聞けたら報告したいと思います。


次に、北上して氷川町役場へ。
氷川町では住民の多くの方が地震で物資を賄っているほか、自主避難をされている方も多く、物資面では足りているとの話を役場の方から聞きました。
これらは行政側からの情報に過ぎないので、実際に避難所での声が聞けたら報告したいと思います。


次に、宇土にある商工会の建物へ。
宇土市内では、建物、特に木造の古い建物などで屋根瓦が落ちるなどの被害が多発し、手付かずになっている箇所も多いそうです。お話を伺った商工会の建物内も、事務所の棚が倒れ、資料などが散乱したままになっていました。
14日の地震では倒れなかったので安心していた矢先、16日未明の地震で2次的に被害が起きてしまったそうです。


市内の他の建物でも同様にして、外面的な被害は見えなくても家の中が散乱して、4日以上たってもそのままになっている所が沢山あるそうです、
そのため、そのままでは生活が成り立たないので、 昼は仕事や学校に出て、夜は避難所へと戻られる方も少なくないそうです。
当然ながら、外壁や瓦の修理は我々のボランティアには難しいですが、部屋の中の片づけの手伝いなど、これから学生ボランティアなどでも出来る事がまだまだあると感じました。



その後、北上して熊本市内へ向かいましたが、その途中に宇土市役所前を通りました。
建物は4階建てで鉄筋コンクリートのようですが、写真で分かるように上階部分が完全につぶれていました。
一般的には鉄筋の建物は非常に丈夫なイメージが強いですが、今回の地震は震度6以上クラスの物が2日間、2度も起きたため、被害が増々拡大したことを痛感させられました。




その後は、熊本市内の商工会の施設へ。
ここには水やカップ麺などを始めとし、全国から支援物資が大量に届けられていました。
ここでは、特に熊本県内で被害の大きかった地域へその物資を届けていくため、軽トラや車に仕分けや積み荷を行いました。
地域によっては水ばかりが届きすぎて、逆に高齢者のおむつが届いていないなど、物資の調達が現地のニーズと合っていない避難所もあるそうです。
そのため、そのような混乱を防ぐためにも、商工会の方があらかじめ現地から聞いた情報を基に指示を受けながら、大量の物資の中から必要な物を選んで積み込みました。

その後は東に向かい、大津町の浄化センターへ。
ここは住民の方の避難所にもなっている上、頻繁に炊き出しも行われています。
この日も夕方から餃子スープの炊き出しとおにぎりやパンや飲み物の提供が行われるという事で、その手伝いを行いました。
特に高齢者の方に対しては、食事をご家庭まで運んだりするなどのサポートを行いましたが、こっちまでありがたくなるほどの声の掛け合いがあったことに、何より支援をしていく上でのやりがいと喜びを感じ取りました。
また、この地域の住民の方から聞いた話では、家の雨漏や屋根瓦が落ちるなどの被害が多発しても、2度も大きな揺れを経験している恐怖や、度重なる余震のリスクを考えて、家の片づけや修理を中々進められずにいる方も少なくないそうです。


また、この炊き出しの間にも避難所へと次々に高齢者の方が来られ、浄化センターの会議室に、20人以上の方がひしめき合って休まれていました。
本来は避難所となっていた別の体育館などが、今回の大雨の影響で土砂崩れの恐れがあると勧告され、狭くても避難所へ移らざるを得なくなっているそうです。
避難所を管理していた町の下水道課の方も、なんとかストレスがないように、特に高齢者の方が休めるようにスペースを作りたいが、水害と余震のリスクが同時に重なると、対応が非常に難しくなって来る。行政としてもできる限りのサポートをしたいが、中々思うようにも進んでいない現状があると話されていました。


一方、別部隊で別れてこの時間に益城町に入り、この日にスタートしたボランティアセンターに行って、社協の方に話を聞かれたそうです。
初日のボランティアは200人が参加して、今日は天候が悪かったので、個人の方の自宅の片付けはできずに避難所での物資の作業が中心だったそうです。
町内に避難所も転々としていて、益城中学校などは倒壊の恐れがあるからなのか、立ち入り禁止になっていたそうです。


その後、大津町の健康保健センターに行き、宮崎側から集まった物資を届けました。
ここで担当をされていた総務課の辻口さんの話では、全国から支援物資が集まる事は非常に嬉しいが、賞味期限の近い食べ物ばかりが届いたり、同じ四サイズのおむつが届くこともあり、その仕分けやバランスの見極めが非常に難しいとの事でした。
飲料水などに関しても、たくさん届いたのでもう必要ないと情報を流したら、今度は逆に足りなくなることもあるので、そのさじ加減の調整が必要と話されていました。


2日後に町のボランティアセンターも立ち上がる予定だそうで、その点の話し合いも含めて社協やNPO、ボランティア団体などと協業した支援が必要と思いました。

そのあと、何度か福島に支援に入られている熊本学園大学の吉村先生に福島市のYWCAの方から届けて欲しいという物資を預かっていたので、500人ほどが避難している熊本学園大学に行き、物資を届け、状況を聞くことができました。


最後になりますが、今日の熊本地震災害ボランティアで、NPOと行政と地域の防災上での繋がりと考えの食い違いや、地域コミュニティごとの災害時のニーズの相違を学びました。
完璧な答えは出せませんが、今回のような災害時に行政や民間企業などが賄いきれない現地のニーズを補完し、上手く相互に協業させる役割を作る事が、このアースウォーカーズのようなNPOの役割であり、それに学生の内から変わらせて頂けることやその機会に感謝したいです。


何よりもこっちまでありがたくなるほどの声の掛け合いがあったことに、何より支援をしていく上でのやりがいと喜びを感じ取りました。
今日は現地での聞き取りが多かったですが、次の土日にはまた別のメンバーがボランティアに入るので、出来る事を増やしてほしいと思います。
ボランティアを希望されている方、物資を届けたい方、寄付をされたい方はご連絡をお待ちしています。
http://earthwalkers.jp/pg648.html
http://earthwalkers.jp

2016年4月17日日曜日

満開の桜の上杉神社散策と屋内遊びを満喫!!(第23回福島の子どもたち日帰りリフレッシュプロジェクト)

今年度初の米沢プロジェクトが4月17日(日)に行われました。
4月の開催は初めてでしたが、米沢市役所の相田さんのご尽力で計画が進み無事実施することができました。


 
いつもより早めに福島駅に集合し、電車で米沢駅に移動しました。
電車での移動も初めてだったので、車窓からの景色はいつも参加している子ども達にとっても新鮮だったと思います。


実は、今回のプロジェクトは奥羽本線の大沢駅付近にある大沢集落で行う予定でしたが、天候不良のため急遽活動内容を変更しての実施となったのです。


米沢駅に到着すると、米沢のはっぴを着た愉快な3人がお出迎えしてくれました!!
 
市役所の相田さん、地域おこし協力隊の増子さんそして山形大学の橋口さんです。
子ども達とハイタッチをかわして気合十分です。


この日の米沢は小雨でしたが、ちょうど桜が満開で上杉神社周辺は情緒ある風景でした。
相田さんの案内のもと神社周辺を散策しました。
途中立ち寄った観光案内所では歴史クイズに挑戦する姿も見られました。

 

散策を終え、神社近くの児童会館で屋内遊びを楽しみました。
児童会館は、雨天時の屋内活動場所としていつも利用させていただいている施設です。
子どもたちは卓球やバドミントン、読書など思いもいに遊びます。
 
 
昼食は、地元では有名な牛肉店「さかの」さんのお弁当でした。
ミートボールが絶品で大人一人前の量でもおいしくいただくことができました。


午後は、児童会館から徒歩2,3分の所にある伝国の杜・上杉博物館の体験コーナーで「フロッタージュ」に挑戦しました。
「フロッタージュ」とは、凹凸のある素材の上に紙をのせて色鉛筆などでこすることによって模様をつくる技法のことです。


子どもたちは、薄い紙に穴が開かないように気を付けながらも、思い思いのイラストを描いていました。


この日最後のイベントは、米沢市が誇るゆるキャラ「かねたん」との記念撮影です!
「かねたん」は米沢プロジェクトには2度目の登場になります。


ちょうど、雨が上がり晴れ間が顔をのぞかせたタイミングでお堀に移動し写真を撮りました。
背景の松が岬公園は、日本で8つしか選ばれない「春のZEKKEIアワード」の一つに選ばれた場所です。
でも、子どもたちは絶景よりかねたんについたチャックが気になるようで、周りのスタッフはタジタジでした。


今回も一日充実した活動となりました!
文責:栗田

☆★☆★☆★☆★☆★☆★今日訪れた場所☆★☆★☆★☆★☆★☆★
松が岬公園・上杉神社→米沢市児童会館→伝国の杜・上杉博物館

2016年4月2日土曜日

福島の中学生AUSケアンズプロジェクト まとめ


上田愛莉
 今日で、オーストラリアケアンズリフレッシュプロジェクトが終わってしまいます。とてもあっという間に過ぎてしまったなと思いました。
 この10日間で成長したことは、英語で少しでもいいからコミュニケーションを取れるようになったことです。まず、出合った人に「HELLO]でもいいから積極的に話しかけました。慣れてくると、習った文法を活用したりしてたくさん話すことが出来ました。最初は自分が言いたいことが伝わるかとても心配でしたが、慣れてきて自信がつくとたくさん話しかけて伝えることが出来ました。また、ケアンズの人たちが私がしゃべっている英語を理解してくれようとしてくれたのでうれしかったです。
 二つ目は、、オーストラリアと日本の関係についてです。私は歴史がとても好きでとても興味を持ちました。日本はオーストラリアと戦争をしていて、日本がオーストラリアのたくさんのところに空爆を落としたそうです。

私はそのことを知らなかったのでとてもびっくりしました。このような話を聞き、自分が知らなかったことを知ることが出来たのでよかったです。とても勉強になりました。私はこの事実を知って今、戦争をしていた頃よりどれだけ平和な世界だといろいろと考えるようになりました。

今まで戦争って怖いんだなという感覚しかなかったけど、この機会を通して自分の考えなども持つことができ成長したなと思いました。
私がこんなに成長したのは、アースウォーカーズの小玉さんをはじめとする支援してくださったみなさまのおかげだと思います。

また、ケアンズの大自然の中でのびのびと福島ではできない経験をたくさんすることができたのもみなさまのおかげです。

本当に感謝の気持ちでいっぱいです。このプロジェクトに協力している皆様がいなかったら私はこの貴重な体験が出来なかったと思います。

このプロジェクトを通して、オーストラリアに行ったから学べたことがたくさんありました。このことをlpれからに生かして頑張りたいです。

約一週間たくさんの人に支えられて、とても楽しく過ごすことが出来ました。これからも福島の現状についてスピーチをし、世界の人に知ってもらいたいです。本当にありがとうございました。
Japan and Australian history. Japan was killed many Australian people. I don't know it. I had a very good experience. I enjoyed my home story very much. Cairns people are very kind and friendly. I want to go to Cairns again.






鈴木真宝 「ありがとうございます」 この言葉を何回言っても足りないくらいこのプロジェクトに協力してくださった方、募金をしてくださった方、見えないところでサポートして下さった方、いつも一緒にいてくっれた小玉さん、さりなさんに心から感謝しています。

私が、このプロジェクトで私が一番強く感じたことは二つありました。それは、「夢を絶対叶えよう!」、「恩返しがしたい!」という思いです。

一つ目の思いは、パロネラパークに行ったときに強く感じました。パロネラパークのお城を作ったホゼ・パネロラさんは夢を死ぬまで追い続けたから、夢-自分のお城を作るという事を実現することが出来ました。

私は、この事を知り、夢を絶対あきらめなければ夢のほうから近づいてくるのではないかと考えるようになったし、夢がかなったときにもう一度ここに帰って来たいと思いました。

この一つ目の似ていて、二つ目の思いにしたのは、私が夢を叶えようと努力すること、何かにチャレンジすることがこのプロジェクトで感謝をしたい方々に出来る私なりの恩返しだと思ったからです。

また、まきさんに「いいお医者さんになるで賞」「笑顔があふれるお母さんになるで賞」をいただいたり、ホストファミリーに「きっと真宝ちゃんならなれる」といってくださったからです。

この期待や応援の言葉は私が夢へと向かうのに背中を押してくれるものであり、夢へと近づく一歩でもあります。私は絶対に医者になる、いいお母さんになるという二つの夢を叶え、少しでも私にたくさんの言葉をかけてくださったかたに感謝の気持ち、恩返しの気持ちが伝わることを願っています。
 私はこのプロジェクトの間、小玉さんの夢の話を聞いている時間がとても好きでした。話を聞いてると胸がわくわくしてきて、「私でも日本、世界を変えられるのではないか?」と思えて、今まで見ていた世界、自分で描く未来が一層輝いて見えました。

小玉さんが考えている原爆ゼロになるという未来が少しでも近づくよう、私が先頭に立ってみんなをひっぱていくのでよくみててくださいね 小玉さん!
 一番「ありがとう」を伝えなくてはいけない両親には本当に言い表せないくらいの感謝の気持ちを伝えたいです。「今日来てくれてありがとう」、「このプロジェクトに参加させてくれてありがとう」「送り迎えをしてくれてありがとう」そして、「私を生んでくれてありがとう」こんなにいい経験が出来たのも、こんなに感謝の気持ちでいっぱいになれたのも、お父さんとお母さんが出会って、産んでくれて、育ててくれたからです。このたくさんのありがとうを体で表すためにもたくさん勉強を頑張ったり、部活を頑張ったりして、「私の人生 世界一楽しかったな」と思えるキラキラした毎日をもらった命で過ごしていきたいとおもいます。本当にありがとう。






尾形涼奈  まずは、アースウォーカーズの小玉さんやsmile with kidsのまきさんはじめ、このプロジェクトの資金集めの段階から現在にいたるまで、協力してくださったすべての皆様に心から感謝しています。本当にありがとうございます。
 たくさんの人々の協力のおかげで、大袈裟だと思うかもしれませんが、今ここに、Cairnsに行く前より一回りも二回りも成長した自分がいます。

私を成長させてくれたのは、大自然の中で最高の友達であり仲間である6人と、小玉さん、サリーさん、数々の心優しい方々と過ごした1週間です。

正直なところ、私は最初思いっきりリフレッシュすることだけを考えていました。思っていたとおり、楽しいこともたくさんありました。

海外の学校見学、さまざまな動物とのふれあい、久々の海、山登り、サッカー、鬼ごっこ、ショッピング。どれも福島ではなかなか体験することが出来ないことばかりで、とてもとても楽しくて、大きな思い出になりました。

でも、楽しい思い出をたくさん作って帰るつもりが、思い出よりも多く残ったものがあります。それは、学びです。
この一週間を通して、たくさんのことを学ばせていただきました。一番多かったのは、スピーチを通して学んだことです。何人もの人の前でスピーチをすることで、人前で緊張せずに話すことが出来るようになりました。

それよりも、福島のことを知ってもらい、理解してもらいこんなにも多くの人が福島の人に共感してくださっていて、サポートしてくださっているんだということを実感することが出来ました。

また、ホストファミリーや現地の人々と交流する中で、異文化に触れることが出来ました。

もちろん英語も上達させることが出来ました。

さらに、戦争についてや、ウランについてのお話を聞き、知らなかった事実を知ることが出来ました。これらだけでも、多くの学びです。

しかし、今私が思う一番の学びは、自分の将来に対しての学びです。海外でホームステイをして、視野が広がったのもそうですが、たくさんの人に感謝の気持ちを持ったことで学びました。

自分には今、何ができるのか、何をしたら恩返しになるのだろうか。Cairnsに招待してよかったと思ってもらえるのか。出た答えは意外とシンプルですが、よく考えると深いです。

それは、自分の無限の可能性を信じて、努力をきちんと積み重ね、夢を実現させることです。

そして、少しでも多くの人の役に立つことの出来るような、社会に貢献できるような、「ありがとう」と「ごめんなさい」をしっかりといえるような、世代のバトンをつないでいけるような、立派な人になって、報告をすることだとおもいました。

そのために、自分を変えます。この経験をフルに活かします。今、やるべきことを見極めてできる人になります。そして自分の夢を実現させます。

少しでも社会を、希望の光が差す方向へと導いていきます。それが私に出来る恩返しだと思っています。素敵になった福島に、いつしかみんなを招待したいです。

 こんなにも貴重な経験をさせていただいて、私は幸せ者です。ただ自分を変えるだけでなく、たくさんの人にこの経験をシェアしていきたいです。

今回この6人で、たくさんの人の支えの中で、大きく成長した10日間を、忘れることは絶対にありません。何度言っても足りませんが、支えてくださった多くの方々、本当にありがとうございました。

また、まだ言えていなかったけれど、今回のプロジェクトに応募させてくれて、理解してくれて、送り出してくれて、応援してくれて、日本から支えてくれたお母さんとお父さん、本当にありがとう。お金じゃ表すことのできないほどに本当に価値というか、実りのある10日間になりました。これからの私の成長を、どうかこれからも見守っていてください。お願いします。  どんなに高価な宝石よりも、どんなにきれいな海よりも、キラキラと永遠に輝く、一生の大切な思い出を、ありがとうございました。






渡邊こころ  私は今回のケアンズでの経験をして、成長したと思うことが2つあります。1つ目は、英語を頑張ろうと思う気持ちが強くなったことです。

最初のほうはまったく理解できずあきらめかけていましたが、少しでも話しているときしゃべる単語1つ1つを聞き取って理解できるような姿勢に変わりました。

また、スーパーでも積極的に英語にチャレンジして、伝わったときは本当にうれしかったです。また、ホストマザーに英語力が上がっていると言われ本当にうれしかったです。

2つ目は、「夢」というものの実現の難しさを実感して(パロネラパークで)今すぐにでも勉強しようと思えるようになったことです。フォゼさんのことを知って、今やらなかったら私の夢は絶対にかなわないと思いました。

なので、苦手なのをなくし、英語力を上げ、必ず夢を実現し、またその夢でもトップに立てる位になりたいです。そして、私がこう成長出来たのは、周りの皆さんの1人でもの力がなかったら出来なかったことだと思います。

なので、みなさん本当にありがとうございました。この機会を私に与えてくれたお母さんなども本当にありがとうございました。

まきさんをはじめとする多くの方々、私をここまで成長させてくれて本当にありがとうございました。たくさんの初めてありがとうございました。本当に本当にありがとうございました。
Dream come true is very difficult. I grow up very good. Thank you very much. I study very hard.






李偕言  今回オーストラリアプロジェクトに参加して学んだことは主に二つある。

1つは遠いオーストラリアに福島のことを心配してくれている人がとてもたくさんいることだ。

今回ケアンズに行くにあたってたくさんの人が協力をしてくれた、アースウォーカーズやsmile with kidsさんを含め、募金してくれた方々や、ケアンズで招待してくださった方、そのほかにも色々な人たちの支援があって、このプロジェクトは成り立っている。これらの人々はみんな、福島を心配してくれ、応援してくれた人だ。海が間にあっても、海を超えたところにこんなにたくさん応援してくれている人々がいるのに感動した。

また、ケアンズの人々のあたたかさを知ることが出来、とても良かった。
 二つ目は、感謝の心だ。僕はケアンズでとても楽しい思い出をたくさん作ることが出来た。

でも、僕が楽しい思い出を作れたのは僕らを楽しませるためにいろんな準備をしてくださった方がいるからこそだ。
1つ目の学んだことでも書いたが、福島を思ってくれ、応援してくれた方がこのプロジェクトを支えている。そのような人々が僕たちを楽しませるためにあちこちに連れて行ったり、見せてくれたり、そのための募金をしたりした。

また僕たちを送り出してくれた親にも、非常に感謝している。

感謝してもしきれないほど、大きなものをもらったりお世話になったと思っている。本当に感謝している。この二つ以外にも、僕が、学んだのはたくさんある。

オーストラリアの大自然や、オーストラリアと日本の戦争など、とても大切なものを他にもたくさんもらい、学び、ふれ、知ることが出来た。福島について伝えることが出来たし、逆に僕が学ぶものもたくさんあった。泣きそうなくらいに感謝するくらいたくさんの人の支えがあった。

本当にこんな経験をさせてくれたすべての人々に感謝する。 I really want to say thank you more and more. Thank you for helping us.






四垂流久  今回のオーストラリアの体験でわかったこと、学んだことは数え切れないほどあります。

その中でも特に学習できたと思うのは、夢への姿勢や初対面の人との接し方だと思います。

英語もケアンズに行ったことからたくさん学んだことはありますが、やはり大切なことはこの二つだと思うのです。

はじめに夢への姿勢について話すとすれば、これはパロネラパークというところで学びました。ホゼさんという人の夢へのまっすぐなところが本当にかっこよくてとても尊敬しました。

自分にあるもの、ないものを見極めていろんなアイディアを考える大切さを知りました。僕には夢があります。ホゼさんのようにとても苦労しないと叶わない夢です。

しかし、今回のことでその夢にまた一歩近づいたような気がします。また、いろんな人から人との接し方を学びました。

オーストラリアの方々は初対面の僕たちをやさしく受け入れてくれて、フレンドリーに接してくれました。あちらでは当たり前だったかもしれないけれど、そのことがとても嬉しく、学ばないといけないなと思いました。

日本にいるとそのようなことがあまりわからなかったからです。小学校に行ったときが一番びっくりしました。僕たちよりも年下なのにとても堂々としていて、いろいろ考えてくれていたのです。

そのときの僕のことを考えると、ここまで違うのかと反省しました。この二点はとても重要なことだと僕は思います。しかし、今の日本の大半がそれを出来ていないのです。まず、そこが課題かなと思いました。
また、歴史の知識においても日本は浅いと思います。例を挙げると、第二次世界大戦です。このオーストラリアに行って初めてわかった歴史がたくさんありました。

日本がオーストラリアを攻めたことも捕虜をいじめていたことも知りませんでした。

歴史においても今においても加害者側と被害者側ではぜんぜん見方が変わっています。当然ですが、加害者側は自分がやったことを正当化しようとしています。

しかし、僕は、その正当化させようとしたときに生じる誤解が、意見の食い違いにつながると思います。そして、それが歴史の重要性を消してしまうのだと思いました。

原田さんは事実を理解してそれを解釈し、教訓化するといっていました。しかし、今は事実しか学んでいません。今後はもっと次のステップに進まないといけないということを知りました。
 今回ぼくはたくさんの人たちに感謝をしています。
いつも優しく接してくれたホストファミリーの方々、オーストラリアの方々、そして僕たちを送り出してくれた両親に感謝をしています。皆さんのおかげでみんなと会えて楽しく過ごせたからです。僕は今回のことを生かして今後の生活の糧にしようと思います。本当にありがとうございました。






以上、中学生たちの最後のレポートです。
一つ前のブログで紹介した動画でこの文章を読み上げた中学生もいたので、重なる面もありましたが、そのまま紹介させていただきました。

2016年の春も福島の中学生がオーストラリアケアンズで成長する日々がめまぐるしかったです。

これまで、ブログでも紹介しているので、詳細は省きますが、新しい経験や学びの中で成長できる場を、アースウォーカーズとスマイルウィズキッズが主催して取り組めている事が本当に大きいと思います。

今後も、原発事故と放射能の影響を受けた子どもたちの支援を続けていけるよう、頑張ります。

いつも長い文章を読んでいただいた皆さん、本当にありがとうございます。