2013年9月5日木曜日

東北ボランティア3日目 9月4日

9月4日(水)福島ボランティア活動報告3

今日の午前中は、小玉さんと白山さんと一緒に福島県南相馬市の小高地区と
双葉群浪江町を車で当時のことを話してもらいながら、
現在の状況を見てまわりました。



まだ、車がそのまま放置されている所や、地震の影響で壊れてしまった家などがありました。





震災から約2年半経った今も傷跡があるのは、正直苦しい思いでした。
ここに、家族があって友達がいてみんな普通に笑顔で生活していたと考えると、
人ごとのようには思えなくなりました。

僕は、徳島でも田舎の方の出身なんですが、
この8月に帰った時、スーパーなど生まれたときからある店が閉店していて、
コンビニばかりになっていたのを見て、なんか辛いなと感じました。
それだけのことで悲しくなるのに、ここで暮らしていた人たちはどんな思いなんだろう
と考えると、すごく胸が苦しかったです。



















こんな、悲劇は繰り返して欲しくないです。


でも、四国電力は伊方原発を再稼働させたいようですね。
伊方原発は福島原発のタイプとは違うといいますが、
福島にきてみて再稼働賛成とはいえないです。


午後からは、借り上げサロンという、避難した人たちが集まる所に、お邪魔させていただきました。
他にも「元気モール」という団体さんも来ていて基本的にその人たちの手伝いとおばあちゃんたちとお話をしてきました。

お話をしていて、おばあちゃんが
前向きになれっていわれてもなかなかできないんだよ」と聞いたときは、
思い出させてしまってすいませんという気持ちになりました。
しかし、そのおばあちゃんはもう一言
「でも、一番帰ったらみんなに伝えてほしいのは、支援ありがとうございましたということ!」
その言葉を聞いたときに僕はなにも返すことばが浮かびませんでした。苦し
い思いをしたはずなのに、なんで一番伝えたいことが感謝の言葉なんだと思いました。
原発をなくしてほしいだとか、放射能の問題だとかいっぱい不安があるはずなのに、
一番伝えてほしいことが感謝の言葉とは、想像していなかったです。

また、震災当時からいままでこの人たちに何もしていないのにと思うと申し訳なさと情けない気持ちになりました。
他人の行為に感謝することそれが、どれだけ素晴らしいことか感じることのできた一日でした。

いままで僕を助けていただいたすべての人へありがとうございますって言いたい気分です。

明日は、避難指示解除準備区域での室外作業です。
すこしでも、家に帰りたい人が帰れるように頑張っていきたいです。
最後に、いままで助けていただいたすべての皆さん、ありがとうございます。

文責:須見

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○●気仙沼ボランティ1日目●○

2年ぶりに、気仙沼の水梨小学校仮設住宅にやってきました!!
2年前に来た時に自治会長をされていた菊田さんは、
現在は一般社団法人ボランティアステーションin気仙沼の代表をされていらっしゃいました。

今回、またマッサージをしに伺わせて欲しいという連絡をさせて頂いたら、
一つ返事で色々準備をして下さいました!
本当にありがたいです☆

そして、菊田さんに案内して頂き、水梨小学校の仮設住宅の集会室に行くと、
すでに住民の方々がマッサージを待っていて下さいました!!

前回させていただいた方もいて、2年前なのに覚えていて下さっていて、
とっても嬉しかったです!!

前回来た時に、集会室に時計が無いということで、
急遽、アースウォーカーズから時計を寄付させて頂いたのですが、
その時計の横に、アースウォーカーズという名前を貼って下さっていて、
前回、会わなかった方々も、
「あ〜このアースウォーカーズの方ですか〜!ありがとうねぇ〜」
って言っていただきました☆


でも、その写真を撮り忘れたので、明日写真撮ります!!!

ここの仮設住宅は、水梨小学校の校庭に建てられています。


40世帯くらいの内、5世帯の方々がお家を建てられ引っ越しをされたとのこと。
「学校の校庭なので、何年ここにいられっか、わかんねぇけど、
私は後5年くらいはいる覚悟だぁ〜」
とおっしゃっている方もいました。

町の様子などを見ても、完全復興には、まだまだまだまだ時間がかかりそうだと思いました。

とっても明るくみなさんおしゃべりされているのですが、
「変わりねぇべか?」
「まぁ〜明るくなったり、暗くなったりだべ〜」
「あはは、電気を消したり、つけたりみたいだなぁ〜」
「でも、みんな一緒さぁ〜、思い出す時もあるけど、それを我慢してんだぁ〜」

やっぱり、そんな簡単に忘れる事はできませんよね。。。
でも、こうやって明るく暮らしていらっしゃるのを見て、
こちらが勇気をもらいます。
マッサージをさせて頂いて、少しでも体か軽くなり、
これからも前向きに頑張って頂きたいなと思います。

(現自治会長さんの千葉さんと♡)

マッサージの後、前自治会長の菊田さんと現自治会長の千葉さんが、
震災当時のお話をして下さいました。

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地震が起きたとき時、自分はなぜか感が働き、家には向かわなかった。
もし、家に帰っていたら、今ここにはいなかったと思う。。。

家には妻と両親がいた。
2階に大人が立って胸の高さまで、津波は来たという…
妻は本当に奇跡的に助かり、救助され病院に運ばれていた。
両親は残念ながら、瓦礫の下から遺体で見つかった。
遺体確認に行ったが、体は膨れ上がり、唇もめくれていて、全く顔は分からなかったが、
来ていた洋服で、なんとか両親だという事が分かった。

妻が病院に運ばれたという噂を聞き、駆けつけたが、もう退院していて会えなかった。
それから避難所を探しまわった。

避難所を周り「すみませ〜ん!○○(妻の名前)はここにはいませんか〜?」と言いながら、
探しまわった。

震災から4日後「すみませ〜ん!」とまだ名前を言う前に「お父さん!」
という妻の声が聞こえた。

奇跡的な再会。
本当に本当に無事でよかった。

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姉も奇跡的に助かった。
津波が打ち寄せたとき、家には姉と旦那さん、娘さん2人が家にいた。

外が騒がしいな!と思ったお姉さんは、玄関を開けた。
その瞬間、津波が打ち寄せた。
そのまま波に飲まれたが、奇跡的に2階の手すりに捕まり助かった。
2階から身動き取れなかったが、自衛隊に救助された。
びしょぬれだったので、2階にあった旦那さんの洋服に着替えた。

そして、無事妹さんと再会する事ができたが、
ずっと、家に帰らなきゃと言っていたそうです。

でも、家の周りは瓦礫だらけで、とても帰れなかった。
が、4/1に帰ってみると、自衛隊の方々が道を造っていてくれて、帰る事ができた。

すると、自衛隊の方々が近寄って来て、
「このお家の方ですか?」
「この家が道を塞いでいるので、片付けさせて欲しい」と言って来た。
よく見ると、家はそのまま流され、道を塞いでいた。

「でも、ここにまだ3人いるはずなんです!」
と訴え、探してもらうと、
旦那さんと娘さんのご遺体が見つかったそうです。

でも、お姉さんは旦那さんの死を受け入れられなく、
「この人は違います」とずっと言っていたそうです。


ご本人のお家は、 跡形も無く流され、
バスタブとベンキだけになっていたそうです。

今、大雨や竜巻で、日本全国、災害が相次いでいますが、
竜巻の時はバスタブやベンキに捕まればいいんだよ〜!と教えて頂きました!

災害から学ぶ!災害対策!!!



津波で海岸から500mはなれた鹿折唐桑駅付近まで流された船。
保存することも検討されたらしいが、来週から解体されることになったということで、
見に行ってきました。

本当にリアルに津波の凄まじさが分かります。
でも、本当にリアルすぎて、ここの方達は辛いだろうなと思います。

ここで、黙祷をさせていただきました。

船の周りは、土台だけになった家の跡が一面に広がっていました。

ここにどれだけのお家があったんだろう…
ここでどれだけの命が亡くなったんだろう…

でも、そんな中でも少しずつ、少しずつ復興は進んでいました。


船のすぐ前にはセブンイレブンがありました。
恐らく、土台だけになってしまったセブンイレブンのタイルの上に、
簡易的ですが、新しいセブンイレブンが出来ていました。
(写真でわかるかなぁ??)

そして、まだ少し日があったので、2年前に来た時に、田んぼの泥かきをさせて頂いた場所に行ってみました。





(2年前の泥出しをしている写真。奥にまだ流された車が残っている)


2年前の写真とアングルが違うので、分かり難いかもしれませんが、
撓わに稲が実っていました!!!
ほんの少しお手伝いをさせていただいただけですが、とってもとっても嬉しかったです☆


(再建された簡易郵便局

明日も水梨小学校の仮設住宅に行ってきます。
心と身体のケアができるようにがんばります!!

文責:あこロジ〜☆

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