保育園を経営する郡山出身の山元さんは夫が宮崎県三股町出身らしく、先日、郡山市で出会った時に会話が弾みました。
震災後、山元さん夫婦は子ども達を連れ、高速道路を園のバスでひたすら走り宮崎に避難したそうです。
その後、宮崎の三股町長などの支援や物資をつんで、いわき市に届けて炊き出しなどをしていたそうです。いまも、安全な食材を子ども達に食べてもらおうと保育園で食べる食事には宮崎から食材を届けてもらって作っています。
そんな山元さんと出会ったのは、前週に郡山市で開催された市の除染プログラムの説明会に参加した際、不明瞭な点について私が質問をしました。この説明会の終了後に私に声をかけてきて頂いた山元貴絵さん。宮崎話しで盛り上がりこの日、保育園を訪問する事になりました。
原発事故以降、少しずつ減少する園児たちで経営が悪化する中、内部被ばくと外部被ばくから、どうやって子ども達を守っていけるのか思考錯誤していました。
宮崎からの食材を子ども達に届けるプロジェクトをサポートしていきたい事と別のNPOでフィリピンから毎週バナナを届けるプロジェクトを紹介して、可能性が広がっていきました。
この保育園は英語に日常から触れるシステムになっていて、この日もオーストラリア人2人、カナダ人3人が子ども達とふれあっていました。
そして、学校が終わった小学生達も保育園にやってきて学童保育しながら英語に触れていました。
2園で70人を超える園児達、外部被ばくを減少させるために除染をしつつ、安全な食材を福島以外から届け内部被ばくしないように一助と慣れるようがんばります。
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