2013.3.31. 宮崎産業経営大学 阿万 裕之
おはようございます。朝です!!今日は7時30分起床でした。福島、、かなり寒いです!!この時期にして宮崎の真冬の寒さです。もちろん桜も咲いておりません。GW位に咲くみたいですね。
今日は行くところが沢山ありそうです。石巻市や南三陸など、、、。現在小玉さんの知り合いの方の事務所に来ています。
3a 郡山 (安全 安心 アクションin郡山)の代表 野口時子さんの事務所に来ています。主な活動内容は会話スペースの開設、支援物資の配分、市政へのロビー活動等を行っています。実際に今、野口さんから被災地での生活、活動を聞かせて頂きました。野口さんはお子さんが二人の四人家族です。活動のしおりを見せてもらいました。しおりの冊子に[子供たちを守りたい!][ふるさとを取り戻したい!]と書いてあります。実際に野口さんの話を聞かせてもらいましたが、放射線を何mmシーベルト浴びたらいけないというような話も聞けました。
マップの真っ赤な所では3万5千人中10名が既に被ばくしているみたいです。10名とも16歳前後、女性が7名、男性が3名被ばくして甲状腺に悪性の腫瘍が出ている話して頂きました。
話を聞いてものすごい恐怖感を感じました。被災地の方から直接話が聞けてとても貴重な経験ができました!!今私に出来る事を精一杯して行きたいと思いました。今から石巻市や南三陸に行くと思いますが、様々な方の話や被災地を見て聞いて、肌で感じてきたいと思います!!
午後からは、郡山から三時間かけて石巻市に行ってきました。車で被災地を見て回ったんですが、私は衝撃を受けました。家の一階がむき出しになった家やもともと家があったのに流されてしまった後の空き地、車1000台位が山積みになってたりとすべてが信じられなかった!
だいぶ復興は進んでるみたいですが、僕は唖然としてしまいました。生で被災地を見て、テレビでは感じられない被災地の人の顔、被災地の空気などを肌で感じる事ができました。
実際に、被災した住民の方から話を聞くことが出来ました。311の時は、波がすぐそこまできてて渋滞する車が降りて近くの住宅の屋根に登り、波を凌いだそうです。家の外回りを見てみると、津波が到達したラインがくっきりと残ってたりしてました。数字が書いてあったりする家もたくさんありました。
実際に、家の中を見せて頂きました。家の中にがれきがあったり、津波が来たライン、トイレや浴室もものすごくて体に電気が流れるほどの光景でした。
夜は一般社団法人BIG UP石巻のリーダーの一人 原田豊さんの家に泊めさせて頂きました。宿泊先で詳しく話しも聞けました。原田さんは震災があって一ヶ月しないうちに石巻市に来たみたいです。原田さんは現在主婦の方を二人雇っています。後一人雇うみたいですけど、最終的にはその被災地の方々だけでやっていければということを話してくれました。4、5年は支えて行きますけどね、、とも言ってましたね!!
今日は、被災地も見れて話も3人の方から聞けて、とても濃い一日でした。明日は原田さんと共にボランティアをする予定です。しっかり働きたいと思います。
こんにちは。宮崎大学の時枝明日香です。
宮崎で生活している私たちの皮膚は作りが薄くなってしまっているのかと思うほど(笑)、私たち3人は「寒い寒い」と騒いでいました。(笑)
実際に県から配布された資料やお子さんの通学路の放射線量の調査結果など見せていただいたり、「学校にある卒業生が植えた木も放射線量が高いのに、思い出の木だからという人もいて切ってくれない。子どもの命と木とどっちが大切なのかな。」など子どもを持つ親として、子どもたちのことを想う気持ちをお聴きすることができました。
また、放射能というものについて学んだ福島県に住む、中学1年生の女の子が書いた文章を読ませていただきました。
そこには、将来子どもを産めないことを覚悟したこと、放射線の影響で福島の人々がこれからどうなってしまうのか心配で夜も眠れないこと、行政組織への怒りが書かれていました。
私が中学生のときでは考えられないほど、深刻なことを考えている彼女の心‥‥‥。いくら考えても言葉がみつかりません。
私は彼女にも子どものことを心配する親の方々にも、何もできないし、何も言うことができません。住んでる場所が少し違っただけで私や私の親は悩んでいないけれど、でも同じ日本のご近所さんは心を苦しくしてる。そのことを忘れたくないと、心だけでもつながっていたいとただただ思います。
とっても笑顔がすてきなご夫婦で、また会いにきたくなりました♪
石巻を見て回りました。
津波で壊れた像、津波をかぶって取り壊すためそのままになった家、家の一階天井近くに残る水の跡、一面住宅地だったという場所に積み上げられた車、一面のさら地、等々。
商店通りを通ったとき、思ったより復興が進んでいるように感じましたが、爪痕が残っているところを見ると、何も言葉にできません。
波が来て走っては逃げ切れないと思い家の屋根に登ったこと、他の家にいた子どものことが心配で水がある程度ひいてから迎えに行ったが一面ガレキで足は血だらけだったこと、目の前にいる人がこんなことを話すというのは、正直背筋が寒くなりました。
BIG UPは石巻のコミュニティ支援を行っているそうで、コミュニティハウスにもボランティアさんや地域の方が出入りしていて、なんだかそういうのっていいなあと思いました。
津波の被害があったところでは、これからの町づくりのようなことが大切になってくるのだなと思いました。
明日も濃い一日になりそうです。
追伸:文責:小玉直也
今回、12回目の被災地入り、大阪までフェリーでそこから陸送で福島入りしました。車には積み込めないほどの物資をたずさえて。
到着し、移動保育プロジェクトで頑張っている、上国料さんの自宅に泊めてもらい朝を迎えました。
ともかく寒い朝。宮崎で除夜の鐘をつきにいった日より極寒で、一緒に来た明日香さんは「こんな寒さは宮崎の人の肌は対応できないよ!!」って。
雪がちらつく中、福島から石巻へ移動しましたが、2年前の被災直後は雪の中、暖房もなく毛布も無く石巻市湊小学校で1900人が震災当初の1週間を震え乗り切った話を思い出しながら、今でも想像を絶する苦しみを思い出します。
今夜の宿泊は当時アモールで奮闘し現在被災地支援の一般社団法人びがっぷを立ち上げ奮闘するコミニュティースペースにお世話になりました。
まだまだ、書ききれませんがとりあえず、失礼します。
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